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Vol.244:2014年12月20日号
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よみタイムVol.244 2014年12月20日発行

還暦からの夢と情熱
私が惚れ込んだ男
文・内田忠男
国際ジャーナリスト 名古屋外国語大学・大学院客員教授


MCを務めた内田氏

オーナー兼ドラマーの冨永氏
東京・秋葉原に程近い岩本町の靖国通り沿いに、「TN SWING JAZZ」というライブハウスが出現した。看板のサブタイトルに 「House of Big Band 」とあり、16人フル編成のビッグバンドが毎夜(日曜祭日を除く)出演、素晴らしいサウンドを聴かせている。
 私も、このハウスの親会社にあたる TNロジコムという物流企業の顧問を引き受けているので、全くの部外者ではない。プレオープンの9月2日や、開店以来初めて予約で満杯になった11月25日、そして年末最後の土曜となる12月27日に、MCを引き受けた。
 年柄もなくこの店に入れ込んで、ニューヨーク在住の皆様にまで紹介しようというのは、このご時世にあえてこういう店を開こうと決断した男のロマンにいたく感動し、共鳴し、放っておけなくなったからである。
 男の名は冨永務。1954年8月24日に長崎で生を受けた。家庭環境が複雑だったようで、少年期を施設で過ごしたこともあり、県立の商業高校には自ら学資稼ぎのアルバイトをして通った。「親の愛なんて感じたことがないね」と本人は言う。そういう境遇の中で、早くから音楽に魅かれ、打楽器に打ち込んだ。やがて、ドラマーとして世に出ようと決心する。
 歌謡ショーのバック・オーケストラで太鼓を叩き、九州から東京へと上ってきたのだが、その頃、既に結婚し、子供も生まれていた。ミュージシャンの受け取る報酬というのは、当時も今も、決して十分な額とは言えない。妻子を養うために、冨永は音楽への夢を中断する。
 阪神電鉄の物流部門に就職、営業を担当して見る見る業績を上げた。「営業というのは実績を上げれば上げるほど給料が上がる仕組みだった。本社の役員よりボクの月給の方が高くなったりして…」
 冨永は起業を思い立った。幾つかの曲折を経てTNロジコムの前身、エステイ物流を創業したのが1997年。それから9年後に現在の社名に改めたが、会社はほぼ一貫して右肩上がりの成長を続けた。
 「ボクはね、長崎弁だし、お世辞なんかまるで言えない。だから、いつもホンネ勝負なんです。ただ、他人のやらないことをやるように心掛けてきた」。本人が言うほど、冨永の長崎弁はキツいものではないし、論旨も極めて明快なのだが、ビジネスの世界に入ってから、会合での挨拶や商談での話し方など、イントネーションには少なからずコンプレックスを感じてきたようだ。テレビに出て、外国からリポートする私の日本語に、「いつも感心してた」という。
 その冨永と私の接点とは偶発的なものだった。2013年初秋の某日、冨永は出張で名古屋に来ていた。朝早くに目が覚め、何気なくつけたテレビの画面に私の顔を見てビックリ! 冨永の思考の中では、私はまだアメリカに住んでいるはずだった。それが名古屋のテレビに出ている?! 帰京後、ウェブサイトで私の事務所を見つけ、講演を依頼してきた。
 その講演会というのも、冨永は早くから「還暦を潮に、ビジネスの世界から離れる。会社は他人に譲って、自分は青春期に塩漬けにした音楽への夢を実現させる」ことを決意し、2014年決算を最後に、会社を離れることを決めていて、そのお別れと言うべき機会を模索していたという。その講演を私がOKした、という事情だった。秋葉原駅に近い貸しホールに、取引先や銀行、保険会社などから100人以上が詰めかけて、冨永の吸引力を見せつけたものだった。
 その夜、夕食を共にして、冨永のストーリーを聞く。聞きながら、人生への情熱をこれほど力強く語れる人間が何人いるだろうか、と考えていた。結局、この夜、私は冨永に惚れ込んだのである。それからは頻繁に会って食事をし、酒を飲み、殆ど切れ目なく語る冨永の人生談義に聞き惚れ、所々で私の考えを述べる、という日々が続いた。むろん、その話の中には、音楽への情熱も半端でなく入ってくる。冨永の本心は、かつて挫折したドラマーへの道を、いま一度登り始める、そのためにもハコが必要で、ハコを作る以上、4、5人のコンボしか演奏出来ないちっちゃなものは問題外。フル編成のビッグバンドが演奏出来るものをつくり、究極的には自分がそこで演奏する、というものだった。
 この間に、というより、かなり早い段階で「センセイ、ウチの会社の顧問になってもらえませんか」というオファーを受けた。「顧問って…私には何もできないよ」と答えても「もちろんセンセイに物流の営業なんかさせませんよ。重しのつもりでなって下さい」と、ほぼ一方的に話が決まってしまった。
 紆余曲折を経て、岩本町のビルの地下にスペースを見つけたのが6月頃だったろうか。そこから大車輪で、店内のデザイン、設計、見積もり、施工へと突き進んで行った。
 70坪ほどの店内で一番大きいスペースが、ビッグバンドを快適に収容出来るステージだ。客席は50席ほど、これもかなりゆったりしている。そしてバー・カウンター、厨房、さらにトイレには冨永が特に気を使って、清潔さと機能性を追求した。
 冨永の還暦から1週間後の9月初め、ハウスはオープンした。出演するメンバーは、かつてのシャープス&フラッツやニューハード、ブルーコーツ、東京ユニオンなど、日本でもフルバンド華やかなりし時代のトップバンドにいた連中をはじめ70人余りが登録され、事実上のリーダーである稲垣貴庸(いながき・よしのぶ、ドラムス)が、毎夜のメンバーをピックアップ。すべて、当代日本の一流といえるミュージシャンばかりだ。
 そのミュージシャンへの出演料も、大半のライブハウスが客から集めたカバーチャージの6割ほどを分配するのに対し、冨永は「客の入りがどうであろうと、定額をキチンと支払う、源泉税などはウチの会社が事務作業をする」と決めた。しかも、その「定額」が、今の東京都内のライブハウスのどこよりも高い金額を設定している。
 「赤字は覚悟のうえ。5年はやりますよ」と冨永は断言。一番喜んでいるのは、不安定な仕事に呻吟してきたミュージシャンだ。「これだけのハコができて、しかも毎夜開いてくれる。ひたすら感謝です」—。
 客の入りも徐々にではあるが上向いてきた。一度来た人は例外なく圧倒的な演奏に感動して帰る。リピーターどころか、ほぼ毎晩やってくるシニアシチズンも数人…。
 ところでドラマーとしての冨永、ごく稀にスティックを握ることもあるが、いかんせん荷が重い。このメンバーでキッチリ自分の演奏をするまでには、まだかなり時間がかかりそうだ。(敬称略)

T.N.Swing Jazz
東京都千代田区岩本町3-3-6井門岩本町ビルB1F
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