2016年12月23日号 Vol.292

さらば クリントン(ズ)
不毛の選挙、驚愕の結果が残した唯一の得

内田忠男
国際ジャーナリスト
名古屋外国語大学・大学院客員教授


第69回カンヌ国際映画祭で上映された「クリントン・キャッシュ」は、慈善団体「クリントン財団」の裏側を描いたドキュメンタリー。2015年5月に出版された同名本(原題:Clinton Cash: The Untold Story of How and Why Foreign Governments and Businesses Helped Make Bill and Hillary Rich、著:Peter Schweizer)が原作。同映画はNetflix、YouTube、Amazonなどで配信されている。


Such a nasty woman.
記憶している読者もおられるに違いない。これは、罵り合いとまで言われた大統領候補同士のテレビ討論の中で、ドナルド・トランプがヒラリー・クリントンの顔に投げつけるように言い放った言葉だった。
「ホントにイヤな女だよ」
トランプに、この言葉を放つ資格があったかどうかは別にして、まさに「言い得て妙」の表現と感じ、記憶に残った。
私は、かつて大統領を務めた夫のビルを含めて、クリントン夫妻が徹底して好きでなかった。政治信条の問題ではない。彼らの言動から挙措動作に至るまで、ウソっぽい、信用出来ない、油断がならない、…もっと安っぽい言葉で言えば、いけ好かない…。好きになれない、と言うより嫌いだったし、今日に至るも大嫌いである。
その根源をさかのぼれば、かなり古いことになる。
1988年、アトランタで開かれた民主党全国大会。レーガン政権の2期8年が終わりに近づいて、次の大統領を選ぶ選挙の年だった。
共和党候補は現職のブッシュ副大統領が問題なく決まり、民主党はマサチューセッツ州知事だったマイケル・デュカキスを指名した。その大会初日、基調演説に立ったのがアーカンソー州知事だったビル・クリントンだった。42歳になる直前の若さ、颯爽と登壇した時まで、私に嫌悪の感情がある筈もなかった。しかし、その演説が始まって時間が経過するにつれ、不快感が広がって行った。演説に中身がない、修辞法も極めて通俗的で輝きがない…何よりも長過ぎたのである。冗漫冗長で空疎なのに壇上の本人だけが得意然としている。こういう政治家にロクなものがいないのは、ジャーナリズムに長く身を置いて来た経験から明白だった。その時から私はビルが嫌いになった。
そのビルが、驚いたことに次の92年選挙では民主党の指名候補となった。
例によってウソっぽい言葉の羅列で共和党の現職大統領(父ブッシュ)をこき下ろし、ロス・ペローという右派候補が共和党票をさらってくれたお陰もあって、アレヨアレヨと言う間に当選してしまった。
「これはしたり」英語で言えば Oh my goodness, Damn!
実はこの選挙自体、私は東京で仕事をしていてじかには見ていなかったのだが、折々にもたらされる情報で危機は感じていたから、結果に驚きはしなかったが、不快感は隠せなかった。そして、その予感は直ぐに的中する。
選挙戦の最中から、ビルにまつわる不倫疑惑や、夫婦揃ってのカネの疑惑と言うべきホワイトウォーター・スキャンダルなど、囁かれていたのだが、その火消しに登場したのが、腕利きの弁護士、頭の切れる女性という売り込みのヒラリーだった。その発言がまた終始ウソっぽい…。さらに、ビルの選挙公約だった医療保険を全国民に普及する政策の実現にあたって、責任者に指名されたのがヒラリーだった。
ファーストレディとして、前代未聞の出しゃばりぶり…だが、その国民皆保険案は、日の目を見た途端に連邦議会の猛烈な指弾を受けて廃案となる。案の定、ロクなものではなかった。
ビルはビルで、大統領就任1年目の夏、パレスチナ和平のための「オスロ合意」が成立すると、抜く手も見せぬ早業でイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長をワシントンに呼び寄せ、自分の手柄のように振る舞いながら、この両者に歴史的握手をさせて見せたのである。
「オスロ合意」というのは、ノルウエー外務省が、周到な準備と長い時間をかけて、水面下でイスラエル、パレスチナ双方と接触しながら、パレスチナ側には、イスラエル国家を認めさせ、イスラエルには、パレスチナ国家創設のために、まずアラブ系パレスチナ人の暫定自治を認めさせることを漸く納得させたのだった。まさに、ノルウエー外務省のチエとアセと忍耐の所産だったのだが、その成果を全世界に発信する段になって、丸ごとクリントンに横取りされたのである。
私は、その抜け目のなさより、天も恐れぬ狡猾さと身も世もない利己的行為に吐き気を催すほどの不快感を抱いた。
ビルの施政については、これ以上、多くを語るまい。ただ、任期後半には、ホワイトハウスに研修に来ていたモニカ・ルインスキーという若い女性を、あろうことか自らの執務室に引っぱりこみ、表現するもおぞましい性的行為をしていたことが発覚、他の疑惑とも相俟って弾劾の瀬戸際まで追い込まれた。
その間、ヒラリーは、唾棄すべき夫の行状にも、公式には反応しなかった。その代わりに、夫がまだ大統領職にあった2000年にNY州から上院選に名乗りを上げた。
ヒラリーの産地はシカゴであって、ロースクールはイェール。そこでビルと出会い、アーカンソーのファーストレディになったのだから、NYとは何の縁もない。恐らくは「将来、私が大統領になる」との野心に向け、「NYでセネターをすればハクがつく」と考えたのであろう。
上院議員から、2008年大統領選の民主党予備選でバラク・オバマに敗れ、その後、国務長官の要職に上る。
ビルの大統領辞任後は、ほとんど一つ屋根の下で眠ることはなかったのではないか。ただ、夫婦とも、カネには相変わらず貪欲だった。慈善団体と称するクリントン財団を立ち上げ、そこへの多額の寄付と、夫妻それぞれが出向くケタ外れに高額の講演、それに対する有形無形の見返り…この3拍子で資産はみるみる膨張して行った。
細工は流々、仕上げをご覧じろ…着々と野心に向けて実績を重ね、ほとんど実現する筈だった。11月8日、開票作業が進むまで、ヒラリー自身、自分の勝利を疑っていなかったであろう。
しかし、戦いに敗れた。
敗因は、と言えば、彼女自身とクリントンズへの不信の厚さと重みに潰されたと言うしかなかろう。不徳のなせる業である。
むろん私に、粗野で下品で無知性で、それでいて尊大傲慢なドナルド・トランプの大統領就任を喜ぶ気持ちはサラサラない。だが、唯一晴れ晴れするのは、あのクリントンズに、今度こそ別れが告げられるであろうことである。(敬称略)


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