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よみタイムVol.131 2010年2月26日号掲載
[第8回] エッセイスト:寺澤芳男

泥のついていない芋
うまく操れなくなった方言


 
 F氏はわたくしの2年先輩に当たるN証券時代の友だちである。同じ栃木県の出身で、彼は県北わたくしは県南、栃木のアクセントは彼の方が強い。わたくしの生まれは東京の高円寺だが2歳のときから母の故郷佐野で育ったので、まぎれもなく栃木弁である。
 急に変わった学校の制度で旧制中学5年生から新制高校3年生に編入されようとしたとき、たまたま新設の高校3年生を募集していた早稲田高等学院の入試に応じ、うまくパスした。佐野に住むのが嫌で、一刻も早く東京に行き東京で暮らしたかった。東京への憧れがどうしてあれほど強かったのだろう。
 F氏もわたくしも上昇志向が強かった。早稲田の政経学部からN証券に入社したとき、福島大学を卒業して2年前にN證券に入社していたF氏は営業部のトップセールスマンで大活躍中だった。
 F氏は東京生まれ東京育ちの、大学教授のお嬢さんと結婚し、わたくしも東京の下町生まれの女性と結婚、離婚し、再婚のあと死別した相手も東京の人だった。
 東京の人は、地方出身者が東京弁にもつコンプレックスを知らない。今はテレビの影響で地方弁も東京弁もほとんど区別がつきにくくなってきたが、昔ははっきり違っていた。
 地方出は一生懸命標準語を話そうと苦労するがやはり生まれ育った土地の言葉をすっかり変えてしまうことは難しい。
 F氏もわたくしもN証券で役員になり、F氏は国内の子会社の社長に、わたくしはニューヨークの関係会社の社長になった。ふたりとも歳をとって、F氏は世田谷の上野毛の高級マンションに奥さんと住み、わたくしは妻を亡くして、ひとりでオーストラリアのパース市に住む。
 妻の死後初めて東京に行ったとき、F氏夫妻が保土ヶ谷の老人ホームに連れていってくれた。
 こんなところにこれだけの土地がまだ残っているのかとびっくりするほど広い、ゴルフ場だったらたっぷり18ホールはとれそうな土地に森があり林があった。
 六階建ての瀟洒な建物が並んでいた。F氏夫妻が予めアポをとってくれていた住人のS子さんが、上品にほほえんで迎えてくれた。
 わたくしと同年輩なのに若づくりでワインカラーのワンピースにゴールドのネックレスがよく似合った。若々しい声で、はきはき説明してくれ、丁度昼どきだったので食堂に案内してもらった。四、五十人のひとたちが、静かに食事をしていた。その内の7割は女性で、身なりもきちんと整え正しいマナーで音もたてずナイフとフォークを器用に使いわけていた。
 決して大きくはない小声の会話が耳に入る。 「田園調布」「軽井沢」「慶応大学」「元麻布」や大企業などの名前が飛び交う。きれいな東京弁である。ここは横浜だが東京の人が多いのだろう。
 北千住、板橋、早稲田の方に馴染みがあり地方出で東京弁コンプレックスに悩むわたくしの方は、何となく肌が合わず戸惑うばかりである。
 上昇志向の強い我々は、早く地方色から脱し会社のステップを昇ってプチブルの仲間入りがしたい。ゴルフやテニスも名門のクラブに入って、と懸命に頑張る。
 やっと入れてもらったTゴルフクラブでのゴルフのあとの食事は「うん、やっちゃんだろ。学習院の初等科からずっといっしょだよ」。「よしおか。ガキのときから軽井沢でね。うちのじいさんもむこうのじいさんと友だち」、こんな会話で、そういうこととは全く関係のないわたくしが横にぽつんと座っていても構うことなく、どんどん話は進んで行く。
 コンペのあとシャワーを浴び着替えてからクラブハウスに戻るともうパーティーは始まっていた。それぞれが片手にグラスを持ち、2、3人とか5、6人で笑ったり、スイングの真似 まね をしたりして楽しそうだ。でも今日は知り合いのKさんがいないのでどの輪に入ったらよいのかわからない。ぼんやりつっ立っているわたくしに声をかけてくれる人も、もちろんいない。その日はそのまま帰った。
 F氏は言う。「この間、栃木の実家に帰り、中学時代の仲間と喋ったけれど、もうあの栃木弁もうまくあやつれず、何となく居心地がわるかった。われわれは地方出の芋だけれど根っ子についていた泥はきれいさっぱり洗い落としてしまったからなんだろうね。もう畑の土の中にも帰れなくなった芋なんだね」
 F氏とわたくしは顔を見合わせてうなずいた。
寺澤芳男プロフィール:1931年、栃木県佐野市生まれ。50年、早稲田大学高等学院から早稲田大学政 経学部入学、54年、卒業と同時に野村証券入社。56年、フルブライト留学生と してペンシルベニア大学大学院ウォートン・スクールに留学。72年、米国野村証 券社長。82年、会長(在ニューヨーク)。85年、ニューヨークの日本人として初めてニューヨーク証券取引所の正会員。88年、MIGA(世銀傘下の多数国間投資 保証機構)初代長官(在ワシントンDC)。92年、細川護煕氏の要請により参議 院に立候補(日本新党)、当選する。94年4月、羽田内閣で経済企画庁長官。9 7年、参議院外務委員長。99年、ローン・スター・ジャパン会長。2001年、 東京スターバンク会長 。主な著書に「ウォール・ストリート日記」「Thank You といえる日本人」「英語オ ンチが国を亡ぼす」等、多数。 09年8月号「文藝春秋」の巻頭随想で 「ウォール街と高橋是清の墓」を発表。