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よみタイムVol.102 2008年12月5日号掲載
 
シンガーソングライター 河村 舞

NY舞台に世界に自分の歌を
沖縄音楽、ゴスペルにも挑戦

 11月3日の文化の日。日系人が多く住む市内の「イザベラホーム」で高齢者を前に日本の歌を披露した。大きな拍手が沸き起こり、目に涙をためる高齢者もいた。
 「私の歌に感激してくれるなんて歌は本当にすばらしい」と口元をゆるめる。
 日本で歌手デビューしたが「ニューヨークを舞台に世界に私の歌を発信したい」と、05年からニューヨークに住んで活動を続けている。
 愛知県名古屋市の桜台高校時代は女性5人で「ジェリー・ビーンズ」というバンドをつくりボーカルをやっていた。「プロの歌手」を目指して何度もオーディションを受けた。
 名古屋から東京まで週2回は新幹線で通う。落ちてはまた受け、受けてはまた落ちる。「24時間営業のサウナで寝泊まりしていた」そうだ。
 「書類審査も含め優に3000回は超えた」と笑って答える。そんな時、自ら作詞作曲した「 I
Still love You」がレコード会社の目に止まり、スカウトされた。01年「ムーン・バニーレコード」から同じ曲で全国インディーズデビューを果たした。
 さらに翌年は日音・ポリドールから「amaranth -multi colored-」でメジャーデビューと確実に階段を登っていった。愛くるしい目、さわやかな語り口が評判となり、ラジオ、テレビ番組の出演が多くなった。東京、名古屋を中心にライブ、イベントを含め、忙しい毎日を送っていたが「本モノの歌手になるには、R&B、ゴスペル、ジャズも勉強しなければ」と拠点をニューヨークに移した。
 実は3年前、ニューヨークに遊びに来た時、ダウンタウンの「サイドウォーカーカフェ」で飛び入り出演した。「お客さんの反応がすごくよく、日本語の歌も歌って、とリクエストされたんです」。その時の印象が日本に戻っても、忘れられなかった。ニューヨークに拠点を移した要因にもなっている。
 ニューヨークに来てからは、連日ボイストレーニング。「2人の先生に就いて、オリンピック選手なみに勉強した」という。おかげで、声量と音域が見違えるように広がり「日本時代の歌が幼く聞こえる」と話す。
 イベントやパーティー、ボランティアなどで出演依頼が来る。「時間が許す範囲で、人の前で歌いたいんです」。以前は、ポップス系の音楽が多かったが、最近は三線(さんしん)を使った沖縄音楽を取り入れたり、得意のゴスペルなど色んな音楽に挑戦している。
 今、コットンクラブCEOのマーカス・ナイト氏がプロデュースしたゴスペル曲「I gonna make it」の英語と日本語のバージョンなどを入れた全米デビューのCD制作に全力投球だ。
 「民謡もやりたい、ジャズももっとうまくなりたい」と夢は果てしなく広がっている。
(吉)