日本のヒップホップDJとして「神様」的存在のdj
hondaが、8月5日待望のニューアルバム「dj honda IV」を世界同時リリースした。
このアルバムには全15曲が収録されており、Hip Hop史に残る伝説デュオ・EPMD、今年遂に復活を遂げた伝説のロックバンド"Limp
Bizkit"のボーカリスト・FredDurst、ニューヨークを代表するヒップホップ集団「Boot Camp Clik」の主要メンバー、ショーン・プライスなど18組のアーティストが参加している。01年に「h
III」出して以来、8年ぶりのアルバム。
「ライフワークの最新章」としての自信作。これまでのアルバムは全世界で大ヒットを続けている。
北海道で生まれ、小学校時代にロックに魅せられ、ギターを覚えた。高校を中退後、上京して18歳からDJとして新宿、池袋、渋谷、六本木などでDJ
/ 音楽活動。
「DJ、音楽を続ける為に答えを出すなら本場アメリカ」と92年に渡米し、ニューヨークで開かれたDJバトル世界大会で準優勝。この時の優勝者、決勝対戦相手はビースティー・ボーイズのミックス・マスター・マイクだった。本場のバトルで認知され、自信をもった。
「アメリカでやれる」と全てを捨てて94年に渡ってきた。「こっちは、実力さえされば認めてくれる。」と徹底的にヒップホップ音楽にのめり込んだ。 「生活の仕方は色々あるけど、バイトして金を集めようとはしなかった。ブランドやプロダクションを始めたのもその理由の一つ。目標
/ 目的以外に使う時間は無駄。その分ビート作り、仲間とハングアウトしたり環境が大事。アメリカに来た理由は音楽やる為だし」。
95年に最初のアルバム「dj honda」をリリースした。このアルバムにはファット・ジョー、コモン、DJプレミアなどが参加し、大きな反響を呼んだ。ビルボード誌「ホット・ラップ・シングルス」でも10週以上にわたってチャートイン。名実ともにdjhondaの名は轟いた。97年には2枚目の「h
II」をリリース。このアルバムにはモス・デフ、KRS-Oneなどが参加しており、世界各地で受け入れられた。
音楽活動以外にも、ファッションブランド「h」を設立し、長年ヒップホップファン層以外にも幅広く親しまれており、イチローや数々の著名人が「h」のロゴ入りの帽子をかぶっていたことでも知られている。(吉)
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