日本、韓国を母国とする若手写真家2人の作品展が3月13日(土)まで大西ギャラリーで開催されている。「パースペクティブ」(Perspectives)は、2人が母国で感じた社会的抑圧からくる若い世代の葛藤など経験を投影した作品を展示している。
今坂庸二朗の作品はモノクロで建物と建物が垂直に作り出す空間を「見上げる」構図であるのに対して、女性のジュン・アンの作品はカラー作品で建築物の、恐怖を感じるほどの高みから「見下ろす」構図となっている。
たまたまプラット・インスティチュート在学中に出会った2人は、互いの写真作品のコンセプトはまったく異質であるものの「ルック・アップ」と「ルック・ダウン」、身の置き所を建築物で測るという共通のメジャーメントを持つことに共感し、いつか2人で展覧会を開こうと企画を暖めてきた。
韓国ソウル市出身のジュン・アン(81年生まれ)の明るい一見風景写真のような作品は、しかしよく見ると、次の瞬間慄然とさせられる。
高層ビルの縁に立ち片足を上げる女性の後姿は、今まさにジャンプしようとするようにも見え「高所恐怖症」でなくとも作品の前に立つと不安感をかきたてられる。
あるいは高層ビルの手すりに腰掛け、豆粒のように見える地上のクルマ、虚空、自分の足の甲を撮影した作品も充分に恐怖感を味わわせてくれる。これらの作品にはCGは一切使われていない。多くの作品はソウル市内のランドマークとなっている建物が登場する。遠くには大統領府・青瓦台を望む。撮影許可が降りるまで何週間も待つという。
「アメリカではせいぜい自分のアパートの窓。無許可で撮影して逮捕されたら強制送還されちゃうかも知れないので無理はしない」と笑う。
子どものころから内気であまり健康には恵まれなかったという。「人間は自分の弱さや外の世界に対する恐怖を克服することで成長する。でも私は結局克服できないまま大人になってしまった。現代は高層建築が好まれるけど、人々の目線は水平方向に向いているだけで、空間との境界から下を覗き込むまで、どれほど高い所に自分がいるのかを実感しません」とジュン・アンは話す。
「私の写真、私の表現しようとすることは、すべて自分の身体から始まるというプロセスを楽しんでます。撮影はちょっと怖いですけどね」とはにかんだ。
一方の見上げる写真家・今坂庸二朗は83年生まれ。モノクロームのフィルムで撮影された建物は、圧倒的な質感と存在感を前面に押し出しながら奥のまばゆい光のせいか息苦しさを感じることはない。人によっては宇宙空間に浮かぶ巨大な宇宙ステーションを感じるかも知れない。ものというのは見る角度を違えるとこんなにも別の顔を見せるものかと改めて驚かされる。
今坂は広島出身。原爆ドームを身近に感じてきた。早い時機から抱いてきた漠然とした死への恐怖は、生まれ育った場所広島と不可分ではないのではないかと自問。「身近にある死、これが今の僕の作品のテーマなんだと気づいたんです」と今坂は言う。
今回のシリーズでは、死への恐怖を視覚化することに主題を絞り込んだ。自分自身を建物の間に置き見上げると、何気ない日常の風景が一変し、あたかも原子爆弾が炸裂した瞬間を見ているような錯覚に陥る事に気づいて以来、「同じような感覚を呼び起こしてくれる場所を探してひたすら歩いたんです」。
今坂に呼びかけるてくる被写体としての空間は「単純に建物と建物の間ではなく、光の漏れてくる量、建物の高さ、それに建物自身が持つ質感が一致しないことには意味がない」という。納得のゆく作品はシカゴでの撮影で実を結んだ。
「僕が抱く死のイメージは抽象的なもので具体的なイメージや色がある訳ではないです。白黒写真は被写体をそのまま写しているにも拘わらず、抽象的なイメージを作り出す事ができるので自分にとっては完璧な表現手段。死は現実の光の粒子の中にあるので、決してデジタルカメラが作り出すピクセルの中にはありません。フィルムカメラにこだわる理由ですね」と今坂は結んだ。
生と死は表裏一体、ルックダウンとルックアップ、2人の若い気鋭の写真家の視線は実は同じ方向を向いているのかも知れない。
(塩田眞実記者)
3月2日(火)〜13日(土)
大西ギャラリー
521 W. 26th St.
(bet. 10th & 11th Ave.)
212-695-8035(日本語可)
info@onishigallery.com
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