2015年12月19日号 Vol.268

人間らしさ、人情味、喜怒哀楽を伝えたい
瀬河寛司(モダンダンサー)


All photos by Tokio Kuniyoshi、取材協力:アルビン・エイリー・アメリカン・ダンスシアター


アメリカを代表するモダンダンス・カンパニー「アルビン・エイリー・アメリカン・ダンスシアター」(通称エイリー)のニューヨーク公演がシティーセンターで開催中。同カンパニーは1958年、故アルビン・エイリー氏が創立。力強さとしなやかさ、躍動感に満ちた現代的なダンスが特徴だ。カンパニーに所属する唯一の東洋人、日本人ダンサーの瀬河寛司(せがわ・かんじ)。ニューヨークを拠点に全米各地や世界各国のツアーに参加。年間200回以上の公演をこなし、多忙な日々を送っている。
やはり影響を受けたのは
ダンサーの母ですね。


 エイリーのダンサーは、アフリカン・アメリカンが過半数を占めている。
 「子どもの時、アフリカの音楽に合わせ、パンツだけをはいて槍を持って『アフリカ大地の歌』というのを踊ったんです。今、アフリカをバックグラウンドに持つダンサーと一緒に踊っていますが、何か不思議な縁を感じるんです」と話す。
 母親は舞踊家の亜甲絵里香(あこう・えりか)。日本舞踊界の開拓者・故高田せい子の最後の弟子で、数多くの優秀なダンサーを育成してきた。兄の瀬河寛一、妹の瀬河華織も共に舞踊家。
 「遊び場がダンス・スタジオでした。物心ついた時には踊っていましたね」と笑うのも当然の成り行きだろう。
 「3歳の時、母のダンススタジオの発表会がありました。テーマ曲は『ドラえもん』で、母の振り付けで踊ったことを覚えています。それが、人前で初めて踊った記憶です」
 7歳からコンクールにも出場。「大勢の人の前で踊るのが好きでしたね。自分自身でも『踊りたい!』と思う様になっていました」
 モダンダンスは創作舞踊、型にハマらず自由に表現することを求められる。
 「コンクールではBGMに合わせて、鳥になったつもりで、飛び回ったこともありましたよ(笑)」

 やはり、一番影響を受けたのは母だという。
 「日本だけに留まらず、海外に目を向けていた母は常々、ダンスを通して『真・善・美』を伝えたいと訴えていました。だから私も、ダンスを通して何かのメッセージ、『平和』や『愛』を伝えなければならないと思っていました。クリアな考えを持っていた訳ではなかったですが、子どもながらにそう思ってました」
 テクニックだけでなく、精神面でも母に大きく導かれたようだ。
 9歳の時、東山紀之(少年隊)が主演するハウスバーモントカレーのCMに出演。「踊れる子どもを探している」と問い合わせがあり、オーディションを受けて合格。
 「本来ならシーズンごとにキャストが変わるんですが、東山さんに気に入っていただいて、私だけ12歳ぐらいまで出させて頂きました」
 1987年、東山の要望でミュージカル 「タイム19」でも共演。あえて台本にはない役を追加しての出演だった。「良い経験をさせて頂きました」と瀬河さん。「あの時は本当に楽しかったです。コンクールとは違う緊張感が心地よかったです」と振り返る。
 小学校6年の卒業アルバムに、「ダンサーの絵を描いて、将来の夢『インターナショナルなダンサーになる』って書いていました(笑)。当時は『インターナショナル』という言葉の意味もわかってなかったのに」と、照れくさそうに笑う。

母は、瀬河たち兄弟をよくバレエ、ミュージカルなどに連れて行った。しかし、子供にとって上演時間は長く、「寝てしまった」こともしばしば。
 そんなある日、「寝ない」ショーに出会う。
 「幕が上がると、何か『良い香り』がしたんです。今思えば自分がイメージする『アメリカの匂い』だったのかもしれません。ステージにはミラーボールが光り、音楽に合わせて黒人のダンサーが踊り出して、『なんだこれは?!』って思いました。それが『アルビン・エイリー・アメリカン・ダンスシアター』だったんです」
 自宅にあった多数のダンス関連のビデオから、エイリーを探した。
 「ショーの後、初めてビデオを観たんです。『これだ!』と思いました」。高校進学を前にして、将来のビジョンが明確になった瞬間だった。
 「世界中の観客の前で踊りたい!」

 高校の外国語コースで英語を学んだ後、1997年、文化庁派遣芸術家在外研修員に選出、「アルビン・エイリー・アメリカン・ダンスシアター」のダンススクールに入学する。3年を費やし、ジュニアカンパニーの「エイリー2」に入団。12人しか入団を許されない難関を見事に突破した。
 「エイリー2」では若い振付師の作品を起用することが多く、この時、瀬河さんは、まだ無名の振り付け師だったロバート・バトルに出会った。これが後に「不思議な縁」に繋がる。
 「エイリー2」で過ごした2年、トップグループの「エイリー」入りを目指したが、機会に恵まれず断念。フリーのダンサーで活動すると同時に、バトルの誘いを受け、彼が主宰するダンスカンパニー「バトルワークス」でも踊ることになった。同時に、振付家マーク・モリスを筆頭に多くの振付家とも精力的に仕事をする。技を磨き、経験を積み、独自の世界観を築き上げていく。メトロポリタン歌劇場オペラ「ニクソン・イン・チャイナ」ではプリンシパルダンサー役を射止めた。
 そして、転機が訪れる。「いつかはエイリーのトップグループで踊りたい」と願っていた瀬河。10年におよぶ輝かしいキャリアが認められ、2011年、同カンパニーへの正式入団を果たした。
 時を同じくして、エイリーの芸術監督だったジュディス・ ジャミソンが勇退。ロバート・バトルが新監督に抜擢された。長年活動を共にしてきたバトルは、「カンジは私の作品にフィットする!」と、瀬河との新たな出発を喜んだという。
 「エイリー2」時代に出会い、互いにキャリアを重ね、再び「エイリー」で一緒に歩み始めた2人。
 「エイリーには、やはり何か不思議な縁を感じますね」と、瀬河は感慨深げだ。

2006年、「ダンスプロジェクトニューヨーク(DPNY)」を設立した。アメリカと日本でDPNYワークショップを開催し、次世代ダンサーの育成に情熱を注いでいる。2011年にはDPNY主催で「DANCE for JAPAN」 と題した東日本大震災・津波救済ベネフィット・ダンス・イベントを開催。総額3万ドル(約240万円)を、ジャパンソサエティーを通して被災者へ送った。
 また、ネットワーキングの一環として「カンジ会」も主宰する。
 「今、エイリーの学校に日本から10人以上の留学生が居ます。彼らも夢を持って頑張っているわけですが、その中で心をオープンにし、刺激し合い、支え合い、お互いを高め合っていければと思っています」
 楽しくやってますよ、と続ける瀬河は皆の頼れるアニキだ。

 今回の公演では、ロバート・バトルによる新作で世界初演の「アウェイクニング」が披露された。キャスト12人が舞台狭しと踊る壮大で美しい作品だ。他にも1960年に故エイリーが創作したモダンダンスのマスターピース的作品「レベレーションズ」も見所のひとつとなる。
 「同カンパニーは、個人それぞれが得意とする分野を重要視する『レパートリー・カンパニー』です。モダンダンスを中心に、コンテンポラリーバレエ、ヒップホップ、ジャズなど、、演目はバラエティーに富んでいます。今回は全部で39公演あるのですが、全て趣きが異なります。必ず楽しんで頂けると思います」
 ダンサーの個性が自由に表現されるのが、エイリーの魅力であり力だ。東洋人であることも瀬河の世界を創り上げている。
 「創設者のエイリーさんが活躍された時代は、人種差別も強かったですが、彼は常にすべての人種のダンサーを大切にしてきました。その精神は今に受け継がれ、世界中から異なるバックグラウンドを持った素晴らしいダンサーが集まってきています。エイリーさんはダンスを通して『Humanity』を伝えたかった。人間らしさ、人情味、人間性、人間そのものの普遍性、それが『喜怒哀楽』です。母が話してくれた、ダンスを通して『真・善・美』を伝えたい、と同じことなんだと感じています。これも不思議な縁ですね」と笑う。
 世界中の観客の前で踊りたいと願った少年は、その夢を手中にした。
=敬称略=(ケーシー谷口)

Alvin Ailey American Dance Theater
■2016年1月3日(日)まで 
■会場:New York City Center
 131 W. 55th St.
 Bet. 6th & 7th Ave.
■$25〜
■ボックスオフィス212-581-1212
www.alvinailey.org/citycenter
■瀬河出演日程詳細 www.kanjisegawa.com 


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