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Vol.196:2012年12月21日号
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よみタイムVol.196 2012年12月21日発行号

Interview
移植の世界的権威
「神の手」を持つドクター

外科医:
加藤 友朗
Tomoaki Kato

コロンビア大学医学部外科教授
同大付属NYプレスビテリアン病院肝小腸移植外科部長

多臓器移植の世界的権威として知られる外科医・加藤友朗先生。コロンビア大学医学部外科教授・同大付属NYプレスビテリアン病院肝小腸移植外科部長として多忙を極めるにもかかわらず、その合間を縫っての執筆活動やマラソンなど、知られざる一面に迫ってみた。(ささききん)

外国で日本人が生き残るためには
違いを見せるしかないですから。



漫画『GUY 移植病棟24時』文庫本1巻から((C)加藤友朗・安藤慈朗/集英社)

漫画&著書
日本から来た神の手
ドクター・ガイ

 グランドジャンプ誌(当時ビジネスジャンプ誌)に11年から連載され、現在単行本も4巻目が出ている漫画『GUY 移植病棟24時』(集英社、原作:加藤友朗、漫画:安藤慈朗)。加藤先生の著書『移植病棟24時』(集英社)を素に、先生自身をモデルにした主人公・渡海朗(とがい・あきら)ことドクター・ガイが大活躍する医療漫画だ。
 舞台はニューヨーク市のマディソン大学メディカルセンター。臓器移植の権威で「日本から来た神の手」といわれるガイが、獅子奮迅の働きぶりで、患者の命を救い、奇跡を起こす―。病院内での人間模様も織り交ぜながら、移植医療の最前線がテンポよく描かれている。

―主人公の名前や、勤務する病院の名前は先生ご自身が考えられたんですか?

名前は主に漫画家さんが決められましたが「渡海(とがい)」は「加藤(かとう)」を逆にしたところからきていて、「朗(あきら)」は僕の名前の「友朗(ともあき)」からだと思います。ついでに言うと、渡海のところにくる日本人研修医「黒田光二郎」も、実際に僕のところにいるクボタ君とヨウジロウ君という二人の研修医の名前をもじって、組み合わせたものです。
  病院の名前は、僕がかなり長い時間をかけて考えました。ありそうで、絶対にない名前じゃないといけませんからね。マディソン大学メディカルセンターっていかにもありそうでしょう?

―ドクター・ガイはなかなかハンサムですが、加藤先生の顔を真似たものですか?

いや、極力僕をイメージしないで描くことになっていたし、今でも似てないと思います。でも、手術用メガネ(拡大鏡)をかけたときの、目の辺りは似てるんですよね。あんなメガネは普通誰もしないでしょう? 僕をモデルにするしかなかったからだと思います。渡海が普段着ている服とか、僕が持っている服だったりしますね。

―「ブラックジャック」と呼ばれることに対して、どのように感じますか?

最初はブラックジャックに対する記憶があいまいで、法外な治療費を請求する悪い奴だと誤解していたので、いやだったんです。でも、そうじゃないんですよね。それが分かってからは、そんなにいやじゃなくなりました。

―ブラックジャックはもぐりの医師、加藤先生は移植の権威と、立場は全然違いますが、二人に共通点があるとしたら?

あえて答えるなら、二人とも「アンコンベンショナル」なことをしていることでしょうか。漫画的な言葉では「奇想天外」な手術となるんでしょうが…。実際の医療現場では「奇想天外」であっては困るんですけどね。

―「アンコンベンショナル」な手術というと、例えば?

わりと多い手術例に、体外肉腫切除手術があります。最近も37ポンドの肉腫を切除しました。
  09年に、7歳の少女の悪性腫瘍を取り除くために、6臓器を取り出してからまた元に戻すという、23時間もかかる手術をやったわけですが、ああした手術がいわゆる「アンコンベンショナル」なものとして、ブラックジャックと比べられるんだろうと思います。

―13年1月25日に、集英社から新しい著書が出版されるそうですね。

『Noから始めない生き方』という本です。これまでに出版した『移植病棟24時』『移植病棟24時 赤ちゃんを救え』は、僕自身の体験ドキュメンタリーですが、今回の新刊は、どちらかというと僕の仕事への姿勢、取り組みといった、もう少し一般的な内容になります。以前NHKの「プロフェッショナル―仕事の流儀」で紹介された僕の仕事についての内容に近いものがあります。

―執筆作業は楽しいですか? 失礼を承知であえてお聞きしますが、ゴーストライターではなくて、先生ご自身が執筆されているんですよね?

そうです! ちゃんと僕が書いてます。1冊目は執筆に2年もかかりましたけど。
  実を言うと、子供のころから作文が苦手だったんですが、本を書いてみて、本の魅力を知ってしまいました。マスコミが取材してくれて、医療現場の声を伝えてはくれますが、やはり断片的にならざるを得ず、消化不良になるんです。本なら自分の言葉で、好きなように構成しながら、書きたいだけ書けるので、嬉しいです。
  文章の巧みさで人に読ませることはできませんが、自分と患者さんの体験をそのままつづることで、移植や脳死について日本の読者に僕の声を伝えることができたのではないかと。最初の2冊はそういう本でした。メッセージはこうですよ、とは書いていませんが、読む人に伝わるものがあったと思います。


(左から)加藤先生、ギターの師匠・鈴木氏、ギタリストの大竹氏

NYCマラソンで走る加藤先生

意外な趣味
昔取った杵柄ギター
週末特訓のマラソン

 移植医療の「神の手」加藤先生の、中学から大学までの趣味は、「クラシックギター」だった。指先の器用さはこのころからのものらしい。日本でのギターの師匠は鈴木巌氏。現在ニューヨークを拠点に活躍するギタリスト、大竹史朗氏は兄弟子に当たる。二人は一緒に発表会で演奏したこともあるそうだ。
 さらには、チャリティーで気軽に引き受けて、引っ込みがつかなくなったというマラソンの成績とは―。

―フォルクローレ・ギタリストの大竹さんと一緒にギターを習っておられたんですね?

そうなんです。11年には、大竹さんがニューヨークで行ったコンサートに、鈴木先生が応援に駆けつけられたので、3人で旧交を温めました(写真右)。クラシックギターには、バロック、バッハ、スペインの曲とあって、バッハは難しいんですが、大学時代はギタークラブにも入ってよく弾きましたねえ。コンサートにも出て、ソロ演奏もしましたよ。

―音楽がお好きなようですが、コンサートを聞きに行ったりされますか? スポーツは何かされていますか?

音楽は好きなんですが、(時間的に)できるわけではなくて、ギターもなかなか弾く時間がありませんし、コンサートにもあまり行けません。ゴルフもテニスも好きなんですが、やる時間がないです。
  だから、今は走るだけ。NYCマラソンに3回出ました。今年(12年)も出ることになっていましたが、ハリケーンで中止になってしまって残念でした。タイムですか? 言わなきゃいけませんか? 遅いんです。自己ベストは5時間半。でもだんだん早く走れるようになりました。
  そもそもなぜマラソンかというと、数年前、アメリカン・リバー・ファンデーション(米肝臓基金)のチャリティーで、NYCマラソンに出てくれと頼まれ、「苦しくなったら歩けばいいや」くらいの気持ちで引き受けたんです。
 11月のマラソン出場に、引き受けたのが8月で、そのときは最高5キロしか走ったことなくて。9月になってもほとんど走れなくて、どうしようかと焦っていました。ところが、マラソンの2週間前に30時間の手術をやったんです。その手術を終えたときに、「30時間立っていられたわけだから、マラソンもなんとかなる」と気が楽になりましたね。
 参加者の最後尾に、脱落者を回収する車が走ってるんですが、そのすぐ前を走りました。

―いつトレーニングされるんですか?

週末に1回ですね。今年は3、9、10月にハーフマラソンに出ました。そういう目標でもないと、運動もしませんから。

移植を考える
もらう側とドナーの
気持ちのつながりを

 08年3月、複雑に絡みついた腫瘍を摘出する過程で、6臓器の同時切除・再移植を初めて成功させた。移植外科医として、加藤先生の名前は今や世界の医学会にとどろく。
 しかし、意外にも「マイアミの病院では苦労しました。クビになりかけました」と苦笑いする。その親しみやすい素顔は、患者にとって大きな魅力になっている。

―移植手術はいつも緊急なんでしょうか?

緊急と言えば緊急ですが、ドナーが出てきてから6〜10時間くらいの時間があり、その時間内で手術を始めるわけです。昼間はあらかじめスケジュールされた手術をやるので、移植手術はほとんど夜やります。昼手術して、ちょっと寝て、夜は移植手術をして、という感じです。

―最も忙しかった最近の1週間は?

まず、月曜日に体外腫瘍摘出手術をして、夜11時に終わり、翌火曜日の朝4時にまた別の手術が始まって、それに12時間。またちょっと寝て起きたら、その前に移植した患者さんの手直しの手術があって、水曜の夜にそれが終わって、翌木曜日の昼間は手術がなくて、夜から手術をして、その後ケンタッキーで講演するために飛行機に乗って、金曜日の朝までいて、またニューヨークに戻ってきた―という1週間がありました。家で寝たのは1日、数時間だけでした。

―マイアミの病院でクビになりかけたそうですが?

言葉の壁です。英語にはそこそこ自信があったんですが。医師が何を話しているか分からなかったら、患者さんは不安になりますよね。本当にクビになりそうになりました。何とかクビがつながったのは、手術の技術があったこと。それから、日本人がアメリカ人に勝てることといえば、まじめに働くこと。人が嫌がる仕事を買って出ることで、まずは看護師さんたちから支持を得ました。外国で日本人が生き残るためには、違いを見せるしかないですから。

―日本ではまだ脳死移植について異議を唱える人もいますが、移植外科医の立場からどう思われますか?

脳死というのは概念として難しい部分があるので、どうしてもだめだという人はいると思います。
 しかし、それではできないかというと、そうではないと。例えば、心臓移植は脳死のドナーがあって初めてできる手術です。日本では、心臓移植が必要な子供の患者のために募金をするなどして、支援活動が展開されますね。そして、アメリカには子供の心臓ドナーがいるわけです。
 今後、移植や脳死を考える場合は、臓器をもらう側と、提供する側、その両方の側面を意識して考える必要があると思います。双方の気持ちのつながりという部分を、これからもっと考えていくべきだと。

―南米への移植技術の提供プログラムについて、13年の新しい展開は?

主にベネズエラへの移植技術提供プログラムを始めて8年になりますが、13年は、それ以外の中南米諸国へも広げていくつもりです。すでにNPOも組織し、ファッションデザイナーのカロリーナ・ヘレラさんも賛同しボードメンバーに入ってくれました。

―13年の抱負は?

自分の専門分野(医療)ではない分野の勉強をしていきたいです。経済、経営に興味があって、パブリックマネジメントについて勉強しているところです。

プロフィール:加藤友朗(かとう・ともあき)
1963年東京生まれ。東京大学薬学部卒業後、大阪大学医学部に学士入学。同大医学部卒業後、一般外科臨床研修を終え、95年来米。マイアミ大学の移植外科で、肝臓、小腸の移植を多数手掛ける。2000〜02年大阪大学付属病院に勤務し、日本での生体肝移植に携わる。その後、マイアミ大学准教授、肝小腸移植プログラム・アソシエート・ディレクター。08年からコロンビア大学医学部外科学教授/同大付属NYプレスビテリアン病院肝小腸移植外科部長。自身がモデルの漫画『GUY 移植病棟24時』がグランドジャンプ誌で掲載。

■著書(集英社)
★新刊:2013年1月25日発売予定
 「NOから始めない生き方」

★「移植病棟24時」
★「移植病棟24時 赤ちゃんを救え!」