2017年12月22日号 Vol.316

インスタレーションから舞台美術まで
光と空間の不思議世界
アーティスト:田口 一枝

初めて筆者が田口一枝(たぐち・かずえ)の作品をローワーイーストサイドで目にしたのは、8年も前のこと。木々の合い間から降りそそぐ月光のように柔らかい光の反射は、ギャラリーの空間に夢幻の小宇宙を出現させうっとりとしたことをはっきり覚えている。「光のインスタレーション」は一体どのような道程を経て生まれるのだろうと、ボストンで展示を終えたばかりの田口さんに話を聞いた。(塩田眞実)



光というものは不思議なもので、まばゆいばかりの強烈さで自己主張することもあれば、静かに見るものの心の内と共振することもある。時に、絶え入るかのように仄かな明度のゆらぎが瞑想空間となって、日常生活で散乱し節くれだった神経を丁寧に包み、再生を促す原動力となることだってある。
制作現場はもっぱらブルックリンのガラス工房「Urban Glass」と自宅スタジオだ。なぜガラス工房かというと、インスタレーション作品の素材の多くがガラスを中心に、シルバープラスティックフィルム、鏡、石膏、などの建築資材を使うことが多いからだ。こうした素材を用いさらに加工して展示スペースに縦横に設置、光をあてその反射自体を作品としているのが田口作品の真骨頂である。
「作品のイメージはあらかじめ頭にあるんじゃなくて、いわば実験の繰り返しの中で次第に形が見えてくるという手順を通っています」と田口さんは言う。「アイデアは制作進行の中で湧いてくるので、机に向っていても何も生まれませんね」
「たとえば、これ、長さ2メートルの市販されているガラスの棒なんですが、それを工房で適当な長さにカット、切り口は研磨して滑らかにして、その一つひとつの断面を接着し直してV型やL型、さらにねじれを加えたりして部品としています」と細かい。さらに、軽い素材の銀色のテープをリボン状にして無数に天井から吊るし、暗くした展示スペースに計算されたライティングをあてると、そこはもう光と影の森の中に身をおいているような異次元空間がひろがり、見るものを不思議世界に誘うのだ。
田口さんの生み出す数々の作品は、展示のたびに多くのファンやマニアが訪れ一定の根強い支持を得ている。この正月には、NY在住のそうした支持者の一人からの依頼で、メキシコシティの個人宅に永久設置するために飛ぶことになっている。3週間かけて仕上げる予定という。

今年の夏はNYを離れ、群馬県、中之条ビエンナーレに参加し一ヵ月大自然の中で制作した。ヨーロッパ、アジアからのアーティストと寝食をともにしながら、現地の人たちとも交流しNYとは全く違った環境の中で刺激を受けた。そこで初めて音楽と融合させた光のインスタレーションを展開。田口さんにとって2017年で一番の感動的な出来事だった=写真1=。
女子美術大学では油絵や版画・リトグラフを専門とした。卒業式で忘れられないことがある。たくさんの卒業生を前にした学長の贈る言葉だった。「10年後、アートを続けている人は今ここにいる諸君たちの中の3%に過ぎないでしょう、それほど険しい道です。だが一人でも多く続けてもらいたい」と。これに田口さんは衝撃を受けたという。昨日までみんながアートに夢中で関わっていたのに10年後にはたったの3%。前途の荒波は冬の海を思わせた。
大学を卒業すると同時にスペインへ。ガラス工房での修業を思い立った。きっかけとなったのは、大学2年の時に参加した大学企画のヨーロッパツアー。ノートルダム大聖堂の厳粛な空間で見たステンドグラスに感動した。「生きている絵だと感じたのです。絵画でありながらステンドグラスは注ぎ込む光によって多彩に表情が変わる。朝・昼・夜、晴れた日、曇った日、光の具合でまったく違ったものに見える」。その時以来、田口さんの作品の素地は「光と空間」に転じたのだ。強烈な体験だった。「光は音のように無形なもの。しかし、その効果は日常の中で私たちと深く結びついています。光と空間、この二つが関わる世界をインスタレーションで表現したいと考えるようになったのです」。見えなかったものが見えた瞬間だった。


(1)2017年、群馬県の中之条ビエンナーレで発表したガラスと光と音楽を融合させた作品「The Mediterranean landscape No.5」
バルセロナ時代の風景を反映させた




お月見するように
瞑想にひたる


バルセロナでのステンドグラス修業は8年に及んだ。吹きガラスなどのテクニックもひと通りすべて学んだ。滞在を通してガラス関連のアーティストたちとの幅広い交流も生まれた。
マドリッド郊外に昔から王室のガラス食器を作ってきたセゴビアという古い町がある。そこのガラス美術館には、光の作品ではないがガラス作家・田口一枝の作品が収蔵されている。ベラスケスの「ラス・メニナス」(女官たち)という作品の登場人物を、ガラスのマリオネットに置き換えた作品だ。
一見すると、大学で学んだ油絵や版画とは無縁の世界に足を踏み入れたようではあるが、光と空間のアーティストとして知られるようになった今も、版画テクニックがガラス作品に取り入れられたりと、学生時代の勉強も「無駄にはしていませんよ」と笑う。ただ、バルセロナ時代に比べると、今はガラスが、対象から光のアートを活かすための道具という位置づけに変化したと言うことが出来よう。
スペイン滞在中に文化庁新進芸術家海外留学制度に合格し、バージニア・コモンウェルス大学院ガラス科を卒業。引き続いて「ポーラ美術財団助成海外派遣制度」の奨学金を得てNYに制作地を移す。ガラス作家の登竜門、ドイツのデュッセルドルフ・ガラス美術館主催「ユッタ・クーニー・フランツ国際ガラスコンクール」で2位となりドイツでの個展が開かれるなどガラス美術界に大きな一歩を印した。
「いま光と空間のインスタレーションをやっていて、昔の人のお月見を思うんです。現代は情報に溢れわざわざお月様を見に行く人もほとんどいないでしょうが、私の作品でほっとして頂ければ有り難いと思います」とはにかみながら話す言葉に、最初に田口さんの作品に触れた時の印象が筆者にはあらためて蘇るのだった。
「いまはコンピューター制御のライティング・イベントも盛んになりましたが、私のはまったくのローテク(笑)。自分にできる範囲であくまでもメディテイティブでありたいと思っています」。ゆっくりと刻むように話す語り口にゆるぎない姿勢がみえた。

アーティストHP
www.KazueTaguchi.com



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