2024年6月14日号 Vol.471

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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イラク戦争で分断したG8
中心的役割果たした小泉総理

September 11のアメリカに対する同時多発テロ攻撃の余波は、03年が明けても収まらなかった。

大統領職3年目に入ったジョージ・W・ブッシュは自ら宣言した<War on Terror=テロとの戦い>で振り上げた拳を下ろそうとしない。下ろさないどころか、イラクに向けた新しい戦争の準備に入っていた。

この企みには、中国とロシアばかりでなく、ドイツやフランスも強硬に反対。イギリスでも首相のトニー・ブレアは同調したが、反対する閣僚が相次ぎ辞任を表明、枢密院議長兼下院院内総務も辞任した。対イラク戦に向け国連安保理での決議採択は断念したブッシュだったが、開戦自体は諦め無かった。3月17日、全米向けテレビ演説を行い、イラクの大統領サダム・フセインとその家族に48時間以内の国外退去を勧告、さもなくば全面攻撃を始めるとの最後通牒を突きつけた。そして約束の19日に開戦を宣言、翌日、英豪にポーランドなどの「有志国」を従えて地上軍をイラク領内に侵攻させた。

エヴィアン・サミットに出席した各国の首脳(左から)ロマーノ・プローディ(欧州連合・欧州委員会委員長)、小泉純一郎(日本国内閣総理大臣)、ゲルハルト・シュレーダー(ドイツ連邦首相)、ジャン・クレティエン(カナダ首相)、ウラジーミル・プーチン(ロシア連邦大統領)、ジャック・シラク(フランス共和国大統領)、ジョージ・W・ブッシュ(アメリカ合衆国大統領)、トニー・ブレア(イギリス首相)、シルビオ・ベルルスコーニ(イタリア首相)、コスタス・シミティス(欧州連合・欧州理事会議長)(写真:内閣官房内閣広報室)

米英両国が開戦理由に挙げたのは7項目にわたったが、要約すれば、①イラクが大量破壊兵器を保有 ②フセインの圧政 ③フセインとアルカイダが協力関係にある可能性――だった。

新鋭兵器を動員した正面作戦だから、4月にはバグダッドを攻略するなど、軍事面では順調に進んだが、大量破壊兵器は発見されなかった。戦争を強行するアメリカへの非難が高まる中で、この年の先進国首脳会議=G8サミットの季節がやってくる。

議長国はフランスだった。6月1〜3日に開かれたサミットの会場はエヴィアン。そう、あのミネラル・ウオーターのエヴィアンである。

取材に行く私には、例年ならニューヨークに常駐するカメラ・クルーが同行するのだが、この年は東京からの指示で私が単身参加することになった。ニューヨークからスイスのジュネーブに飛んで、そこから陸路移動することにした。

エヴィアンは東西に広いレマン湖に面して、ローザンヌの南の対岸の位置にある。ジュネーブは南西の端にあり、その45キロほど北東にエヴィアンが位置し、車でも鉄道でも至近の距離だ。

ジュネーブ空港からタクシーでエヴィアンに向かい、街に入ると、アルプスの一部、シャブレ山塊の麓にあって新緑が目に染みるほど瑞々しい。そして至る所に鉱泉が湧き出ている。多国籍企業ダノンが大量出荷している「エヴィアン」の水源はレマン湖畔にあるそうで、大掛かりに取水しているのだろうが、街中の泉は両手ですくうほどの細やかな水量だった。硬度1リットルあたり304ミリグラムというからカルシウムやマグネシウムを含んだ硬水だ。しっかりとした飲みごたえがある。遠くローマ時代から湧き出ているそうで、ボトル入りの水として販売が認められたのは1826年という。その時から用いられてきたガラスのボトルは今も使われている。

19世紀後半以降はリゾートとして発展、さまざまな国際会議の舞台にもなった。第2次大戦前の1938年には、ユダヤ難民問題に関する国際会議が開かれ、62年にはアルジェリア戦争に終止符を打って仏植民地からの独立を認める「エヴィアン協定」が調印された。

G8サミットは、大の相撲ファンで親日家としても知られたフランス大統領、ジャック・シラクのもと、イラクへの軍事侵攻をめぐって対立した各国間の主張と立場の違いをどう調整して、G8としての協調関係を再構築して行くか、が問われた。

シラクは、落ち着いた雰囲気の中で首脳同士が親密かつ自由な意見交換することに意を注いだ。前年のカナダでのサミットと同様、コミュニケを廃して、首脳間の実際の議論を反映した議長総括が発出され、世界経済、テロ、大量破壊兵器の不拡散、中東和平や北朝鮮問題など広範な問題について「率直かつ実りある議論」が展開されたと明記した。

グローバルな問題への関与も強調され、エジプト、アルジェリア、ナイジェリア、南アフリカ、セネガルのアフリカ5ヵ国に加え、スイス、ブラジル、メキシコ、中国、インド、サウジアラビア、マレーシアの計12ヵ国首脳と、国連、世銀・IMF、世界貿易機関の4機関が招かれ、G8だけの本番協議に先立って、国際協力をテーマに貿易や開発援助などの問題で活発な議論が交わされた。

特にアフリカについては、サミット3度目の出席となった小泉純一郎が数々のイニシアチブを示して議論を主導する場面が多かった。「人間の安全保障基金」の積極的活用に始まり、LDC=後発開発途上国の産品に対し無税無枠の市場アクセスを供与する品目の拡大と約3億ドルの投資金融、HIPC=重債務貧困国22ヵ国にG8として決めた約320億ドルの債務救済に対しても、HIPC信託基金への拠出に加え、別途49億ドルの債務削減を確約、ポリオ撲滅に向けた8000万ドルの支援供与など、広範かつ奥行きの深い支援プログラムを明示した。国内的には、バブル経済が弾けた後の「失われた10年」と言われた困難な経済情勢下にあったが、小泉政権になって不良債権の本格処理と構造改革に取り組むなど、明るい兆しが見えていた上、当時はまだ「豊かな日本」の残滓があった。

イラク情勢についての協議では、さすがにブッシュを名指し非難する場面はなかったというが、開戦理由とした大量破壊兵器や、アルカイダとの連携が証明されない状況に、ブッシュの方が居心地が悪かったのだろう。中東和平の推進を名目にしたエジプト訪問を理由に、2日目のワーキング・ランチを最後にG8を中座してエヴィアンを発ってしまった。ここでも小泉が主導権を握り、日本の呼びかけで開催が決まったイラク復興支援のための準備会合について、G8としても「歓迎する」との意見一致を引き出した。

さらに小泉の活躍が目立ったのは、北朝鮮問題だった。前年9月に平壌を訪問し、金正日との首脳会談を実現した経緯を説明し、人道にもとる拉致問題から核兵器開発をはじめとする安全保障上の問題など、包括的・平和的に解決したいとする日本の考え方を強調し、各国の理解を得て、議長総括にも反映された。

ただし現実を言えば、国際社会は北朝鮮に対し、「CVID=Complete (Comprehensive), Verifiable, Irreversible Denuclearization=完全、検証可能かつ不可逆的な非核化」を繰り返し求め、北朝鮮は1991年の朝鮮半島非核化宣言と、94年の米朝枠組み合意以降、「核開発はしない」という約束を9回してきたが、それを悉く破って今日に至っている。

エヴィアン・サミットが開かれた03年は年明け早々の1月10日にアメリカの軍事的脅威を理由に核拡散防止条約=NPTから2度目の脱退を宣言し、サミット後の8月には日米韓中露5ヵ国と北朝鮮との6者協議も始まったのだが、ここでの合意も踏みにじって、06年5月には最初の核実験を行った。以後、17年までに計6回の核実験を実施、18年2月23日付の北朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、「私たちの共和国が核を放棄することを望むのは海の水が乾くのを待つよりも愚かなこと」として核放棄を条件にするいかなる交渉も拒否すると表明した。

「北朝鮮に対しては、イラクへの対応とは違って、平和的・外交的解決を追求することに共通の認識ができた」としたサミット終了記者会見での小泉発言も、空疎な言葉になってしまった。(敬称略、つづく)
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