2020年6月19日号 Vol.376

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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病めるアメリカ
裏目に出た「自由と平等」


ジェラルド・フォード大統領暗殺未遂事件直後の様子


ロサンゼルス特派員としてのデビュー仕事を終えた後も、あわただしかった。

パトリシア・ハースト逮捕の翌々日にはサンフランシスコにいた。これには二つ目的があり、一つは、この年9月30日から10月14日まで予定されていた昭和天皇・香淳皇后の訪米を、フルコースで随行取材することになっており、その直前取材に同行して貰うサンフランシスコ駐在読売通信員の写真家M君との顔合わせを兼ねた打ち合わせ。

もう一つは、この年7月から翌年1月まで、本土返還後の沖縄の観光振興などを目的に開かれていた沖縄海洋博に合わせて開催される、アメリカ西海岸から沖縄までの一人乗りヨット太平洋横断レースの出発を取材することだった。まずはヨットレースの出発風景だ。

【サンフランシスコ二十一日=内田特派員】ボニータ岬の霧笛とペリカンとカモメの鳴き声に送られて、七人の海の男と女性一人が、沖縄まで一万二千キロにのぼる長い孤独な航海のスタートを切った。レースには紅一点の小林則子さん(29)の「リブ」を含む五隻の日本艇と米、仏、西独から各一隻の外国艇を合わせた八隻が参加……予定通りなら十一月三日ごろから相次いで海洋博会場の本部(もとぶ)沖に到着する……

75年9月22日付夕刊社会面トップはこんな書き出しで始まる。

……午後二時、外洋レースの経験も豊かなフランスのジャン・マリー・ビダールさん(33)の操る「OC」(オセ)号が巧みにスタートラインを回り込んで、折からの強風に向かって大きく船をヒールさせながら飛び出して行った。武市俊さん(40)の「サンバード六世」がこれに続く。優勝候補の一人で、ヨット生活十五年の総決算をこのレースにかけると言う戸塚宏さん(34)の「ウイング・オブ・ヤマハ」はスタートのタイミングを測り違えたのか大きく遅れた……堀江謙一さんの「マーメイド」、多田雄幸さん(40)の「おけら三世」も続いた……だが、戸塚さんはアッという間にスタートの遅れを取り戻す。
……太平洋の大きなうねりにもまれながら二十キロ沖まで別のヨットで追いかけた記者(内田)が「もうトップだよ」と戸塚さんに呼びかけると、ニッコリ白い歯を見せながら高々とVサインを作って見せた……

レースを見送った翌日には、大陸横断の両陛下訪米事前取材に向け、空路出発したのだが、その直後の白昼に、サンフランシスコの目抜き通りで、労働団体AFL・CIOでの演説を終えたジェラルド・フォード大統領に凶弾が向けられる事件が起きた。実は17日前の5日にも、カリフォルニアの州都サクラメントで、カルト集団の指導者チャールズ・マンソンを信奉する女性が逮捕されるなど、大統領の暗殺未遂事件が頻発していた。一報はニューヨーク支局がカバーしてくれたが、その日の宿、シカゴにたどり着いた私には「翌日朝刊に解説記事を書け」の指示。「資料も持たない旅先にまで」と思ったが、他に特派員が多数いるのにあえて私を指名した東京の意向は無視できない、と気を取り直した。

……建国以来二百年、米国民のほとんどすべてが誇りとするアメリカン・デモクラシーを支えてきたのは、「自由」と「平等」のはずだった。この二つの崇高な理念を守るために多くの米国人が血を流してきた。世界に先駆けて「豊かな社会」も実現した。だが最近の『病めるアメリカ』を見ていると、これらの全てが裏目に出ているように思えてならない。

ごく大雑把に言えば、凶悪犯罪の増加は「自由」の過度の主張の所産である。銃器の所持を何らかの形で規制しようとする試みは、この二十年来ことごとく「自由」の論理につぶされてきた……そうした凶器が町の銃砲店や古物屋で簡単に手に入る。安いものなら二十ドル、新品でも五、六十ドル……「平等」はまた「自由」の背中あわせのところにいる。確かに米国の社会は、あらゆる人々に、さまざまな機会を追求する門戸を開いてはいる。だが、富の追求に対する自由が、必然的に富める者と貧しい者を色分けしてしまうのだ。

米国の家庭は、富の分け前に応じて「リッチ」「ハイヤーミドル」「ミドル」「ロワーミドル」「ドロップアウト」――に画然と区別され、住む場所まではっきり分かれている……パトリシア・ハーストらのSLA残党と、今度の暗殺未遂犯サリー・ムーアの間に関係があるにせよ、ないにせよ、彼女らが寝起きしていたのはサンフランシスコのミッション地区だった。メキシコはじめラテン系住民の多いロワーミドルの町……ムーアはそこに住みながら白人だった。もし彼女がメキシコ人だったら、大統領を殺そうという凶悪な発想は抱かなかったかもしれない……彼女は恐らく、違和感と屈辱感の中に生きていたに違いない。鬱屈した不満が発展した時、理性を失った人間の発想はしばしば常識のラチ外にはみ出す。そこへ不況、インフレ、エネルギー危機などの重圧が加わった。不満は次第に自分をこんなに苦しめているのは統治している政府だという逆恨みへと形を変えてゆく……その上さらに、「豊かな社会」も彼女には別の負担のタネになった……精神と情緒の安定を失った彼女が、ほとんど直線的にこの日の犯行に走ったと見てよいのではないか。そして、こうした凶悪な発想を生む社会の素地が、今や米国という対岸だけの問題ではないことも忘れてはなるまい。(シカゴ・内田忠男特派員)

今読み返せば、随分と乱暴果断な分析と思えなくもない。が、新聞記者として円熟期を迎えつつあった私なりの懸命な思索の結果でもあった。むろん、充分な時間があったわけではない。大急ぎで情報を集め、翌早朝の出立までの限られた時間に書きあげて送稿しなければならない。今日のようにハイスピードのPCを常時携行し、執筆に必要な参考資料がリアルタイムで検索できるわけでもない。思索から結論を生む源は自分の中に蓄積してきた知識・見識と時代感覚、さらには信念のようなものだけだった。

70年代のアメリカはベトナム戦での敗退と、大統領の犯罪をあぶり出したウオーターゲート事件で、国家の正義に対する確信が大きく揺らいでいた。アメリカ人にとってJusticeは極めて重要な徳目である。それが信じられなくなった。そこへ73年秋の第4次中東戦争で、アラブ産油国が初めて原油価格の大幅値上げというカードを切り、それによる第1次オイルショックでガソリン価格が急騰、経済が大きく傷んでいた。多くのアメリカ人が自信を喪失し、なおかつ経済不振で物心共に満たされない日々を過ごす、そんな時期だった。

記事にある「豊かな社会」とは、58年に経済学者のジョン・ガルブレイスが発表した論文に書かれ、ベストセラーになった。大衆が豊かになった社会では、生産者側の宣伝で消費者が本来意識しない欲望を刺激される「依存効果」が生じ、私的投資に比べてインフラなどへの公共投資が過小になる。そのバランスを補正するのが政府の役割だと論じた。暗殺されたケネディ大統領のブレーンとして政策形成に重要な役割も果たし、77年には「不確実性の時代」を出版して話題になった。

90年代に晩年の博士を訪ねインタビューした時、当時の私の時代感覚を話すと膝を打って「absolutely true」と答えてくれた。(つづく)


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