2020年11月13日号 Vol.386

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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火星探査は生物発見ならず
ロッキードは「ネズミ一匹」


バイキング1号(オービタ)が撮影したマリネリス峡谷付近の雲の様子(1976年8月17日撮影)Photo Courtesy of NASA / JPL


ロッキード副会長だったアーチボルド・コーチャン氏(1967年10月24日撮影)Photo Courtesy of Eric Koch / Anefo

開会式から1週間後に現地入りし慌ただしい取材に明け暮れた挙句、「田中角栄逮捕」の報で閉会式にも出られなかったモントリオール五輪からロサンゼルスに戻ると、すぐにロッキード事件嘱託尋問の関連筋と接触、帰った翌日には、田中角栄氏と昵懇の仲にあった小佐野賢治・国際興業社主が、児玉誉士夫氏らとも絡んでロ社の対日商戦に一役買っていた事実をつかんだ。

7月30日付朝刊一面トップに『小佐野氏、P3Cで疑惑』の横凸版見出しがおどる。ロ社が全日空へのトライスター売込みに成功した後の1973年にコーチャン氏と直接会談し、田中首相との特別な関係を利用して防衛庁が次期対潜哨戒機にP3Cを採用するよう工作した疑いが濃くなったことを、米側尋問関連筋の情報として伝えたものだった。前にも書いたように、私はロ社が支払った巨額の賄賂の主標的は、このP3Cにあったと睨んでいたのだが、捜査は不発に終わって、この記事の真実性が注目されることにはならなかった。

モントリオール行きを遅らせるもう一つの要因となったNASAの火星探査も忘れる訳にはいかない。パサデナ通いも再開、8月4日付夕刊一面に『火星の生物存在はゼロに近い、バイキング探査のブラウン博士公表』の5段見出しの記事が載った。

【パサデナ(米カリフォルニア州)三日=内田特派員】バイキング1号による火星の生物探査は次第に悲観的な色彩を強めてきた。三日午後、バイキング生物探査班のフレデリック・ブラウン博士は「少なくとも今回軟着陸した地点で生物の存在が確認される可能性はゼロに近くなった」と述べ、先に生物反応ではないかと科学者たちを色めき立たせたガス交換、代謝機能テスト装置内での酸素と放射性炭酸ガスの大量放出は、いずれも化学反応に過ぎなかったとの確信を深めている……

しかし、この後も『再び生物反応』『火星の土から大量の水』といった期待を持たせる情報が出たと思えば、『火星生物再び望み薄』と逆転するなど、日替わりの送稿が続いた。そして1ヵ月後、9月3日にはバイキング2号も軟着陸に成功する。それを伝えた4日付夕刊一面の記事――

【パサデナ(米カリフォルニア州)三日=内田特派員】火星の生物探査のため二度目の軟着陸を試みたバイキング2号は、米太平洋夏時間三日午後三時五十九分(日本時間四日午前七時五十九分)、火星のユートピア平原東部に軟着陸した。しかし、着陸機の電波を地球に中継する軌道船の高感度アンテナがそっぽを向き、低感度アンテナでかろうじて連絡を保っている……原因を調べたところ、軌道船の姿勢制御用ジャイロが故障し、アンテナが地球の方向に向かなくなったためとわかった……一方、着陸機の方は機内コンピューターに組み込まれたプログラム通りに作動して降下、ほぼ予定通りの地点に着陸した……

この間に、ロッキード事件の嘱託尋問が再び動き始めた。東京地検特捜部が「田中逮捕」で調べを進める中、7月初めの嘱託尋問でのロ社幹部の証言と整合しない部分が出てきたため米側司法当局に再度の協力を依頼、8月30日から再尋問が決まったのだが、ロ社側はコーチャン氏以外のクラッター、エリオット両氏が頑強に抵抗を繰り返し、9月29日に漸く終わった。30日付夕刊一面トップーー

【ロサンゼルス二十九日=内田特派員】ロッキード事件解明への重要な手掛かりとして、日米司法共助取り決めに基づき、わが国司法当局が米国に依頼していたロッキード社三証人に対する嘱託尋問は、二十九日午前、ジョン・W・クラッター元日本支社長、同日午後にはカール・コーチャン前副会長をそれぞれ喚問、両氏の証言を最後にすべて終了した。さる五月末、日本側の嘱託書が米司法省を通じてロサンゼルス連邦地裁に届けられ、尋問のための手続きが開始されてから実に四か月半……証人側の相次ぐ抵抗で手続き問題に大半の時間を空費したが、実質尋問はコーチャン氏から延べ七日、二十時間、クラッター氏から同六日、十八時間、A・H・エリオット元東京駐在代表から二日、五時間、三証人の合計では延べ四十三時間に及んだ……

4段通し組みの前文には長かった不毛に近い取材送稿活動への苦い思いが滲んでいる。しかも私には、前回尋問の過程で確信を持って打った『中曽根氏関与』の特ダネをボツにされた無念もあった。その辺の気持ちが、前文に続く本文に暗に綴られている。

……関係筋によると、今回の嘱託尋問は、米議会や連邦証券取引委員会が収集した資料や、日本側が独自の捜査で得た資料を裏付ける意味ではかなり成果が上がったと言われ、さらに、従来の資料ではわからなかった幾つかの新事実も明らかになったという。しかし、新事実の大半は、ロッキード社自体の売り込み活動と丸紅、全日空幹部のかかわりに関するもので、ロッキード社が払った巨額の工作資金が「いつ、どこで、だれに」手渡され、それがトライスター導入に具体的にどのような役割を果たしたかについては、確証を得られなかった。特に、さる四十五年十月初め、“ある種の修正工作”をしたとされる中曽根康弘氏については、伝聞に近い形でロッキード社側が承知していたに過ぎず……さらに、小佐野賢治氏の関連でも、ロッキード社としては「極めて有益だった」と評価しているものの、小佐野氏がどのような行動を通じてトライスター売り込みに寄与したかは依然、はっきりしなかった……

中曽根氏の修正工作が「伝聞に近い形」とあるのは、コーチャン証言で、同氏が児玉事務所を訪ね、そこで児玉氏が中曽根氏に電話し、翌日には日航に傾いていたロッキード・トライスターの調達先が全日空に戻ったというのだが、コーチャン氏は児玉―中曽根の電話を傍観し、会話の内容は通訳を通じて聞かされたことを指す。つまり、証拠として弱いものでしかなかった。何よりも、ロ社が払った約30億円とされた巨額の工作資金について、第一次の手渡し先は確認されたが、その先「いつ、どこで、だれに、いくら」渡ったか確証が得られなかった。

その後の捜査や裁判など日本国内の成り行きは遠望するしかなかったが、田中角栄被告は、受託収賄と外為法違反で起訴され、1983年10月12日に東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った。被告は控訴•上告したが、上告審中の93年12月16日に肺炎のため死去、被告死亡による公訴棄却で審理打ち切りとなった。

児玉誉士夫被告は、所得税法違反と外為法違反で起訴されながら、病気と称して一度しか出廷せず、判決が出る前の84年1月に死去したことで審理が打ち切られた。

小佐野賢治氏も、ロサンゼルス空港でクラッター氏から20万ドルの現金を受け取ったとされながら、事件との関わりが実証できず、衆議院予算委員会に証人喚問された際の偽証罪(議院証言法違反)のみに問われ、懲役1年の一審実刑判決を不満として控訴した審理中に死去、公訴棄却となり、いずれも司法の場での決着はつかなかった。

田中が賄賂で受け取ったとされる5億円と、児玉が闇で収受した25億円(大半はロ社からの工作資金とされる)が死去後の相続財産に加算されたのが、せめてもの救いだったと言えようか。大山鳴動してネズミ一匹、と言うに近い結末をたどったのである。(つづく)



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