2021年3月26日号 Vol.394

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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スペース・シャトル
宇宙有人飛行の幕開け

ボーイング機の背に乗り、着陸したエンタープライズ Enterprise atop its SCA touches down on the runway at KSC. (Photo courtesy: NASA)

1976年7月から9月にかけ火星表面に相次いで軟着陸したバイキング1、2号の生物探査が翌年5月に一段落した。6月1日付夕刊1面に『火星、生物はやっぱりいなかった』という4段の凸版見出しが載る。

【パサデナ(米カリフォルニア州)三十一日=内田特派員】米航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所は、三十一日、昨年夏以来続けられてきたバイキング1、2号による火星の生物探査の終結を宣言、10ヵ月間にわたる実験の結果、生物は発見できなかったと発表した……地球からの指令で動く自動シャベルで火星表面の土壌を採取し、着陸機内の実験装置で栄養物を含んだガスと混合するなどの方法で行われた。途中、生物の存在をにおわす反応も、いくつか現れたが、決め手となる有機物をついに発見できず、NASA科学陣は、生物学的反応は別の化学作用によると結論した。生物探査に終止符を打ったのは、実験装置に注入するガスなどを使い尽くしたためで、二つの着陸機は引き続き、気象、地質などの調査は続行する……

しかし、これで宇宙との付き合いが終わったわけではなかった。 スペースシャトルという再使用のできる新しい宇宙連絡船の実用化に向けた動きが急になったからだ。

1960年代、月面に宇宙飛行士を送り込んだアポロの宇宙船は、サターンⅤという強力な3段ロケットで打ち上げ、3段目ロケットで地球周回軌道から月に向かう軌道に投入したところで分離された。宇宙船は、司令船と呼ばれたコマンド・モジュールと、月着陸船ルナー・モジュールからなり、月面での作業を終えた着陸船が司令船とドッキングした後、司令船で地球の洋上に帰還したが、使い捨てだった。

70年代に入ると、コスト削減の必要から、再使用のできる宇宙船の開発が本格化する。それがスペースシャトルで、私が実物を初めて目にしたのは77年2月のことだった。19日付け、夕刊第二社会面のトップ記事。

【ロサンゼルス十八日=内田特派員】米航空宇宙局(NASA)が八〇年代の宇宙計画の主役として開発中のスペース・シャトル(宇宙連絡船)の実験用一号機「エンタープライズ」が、十八日朝、カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で、無人ながら母機とともに初飛行を行った……長さ三十七・一九メートル、翼長二十三・七七メートルで、中型旅客機DC9型機とほぼ同じ大きさのエンタープライズは、ボーイング747の背中におんぶして、高度四千八百メートルまで上昇、最高時速五百キロで約二時間、同基地上空を飛行した後、無事着陸した……七月にはスペース・シャトルを上空で切り離し、グライダーのように滑空しながら、自力で着陸する訓練に入る……

エドワーズ空軍基地はロサンゼルスの北東約160キロにある。この記事のクレジットがロサンゼルス発になっているのは、2時間半ほどのドライブで支局に帰ってから送稿したためだ。

そして、「自力着陸」が私たちの前で公開されたのは八月のことだった。13日付け朝刊一面に『米の「宇宙連絡船」 着陸テストに成功』の4段見出しが躍った。

【エドワーズ空軍基地(米カリフォルニア州)十二日=内田特派員】米航空宇宙局(NASA)が、人類の宇宙飛行に革命をもたらす利器として開発を急いでいる宇宙連絡船(スペース・シャトル)の初の単独着陸テストが、日本時間十三日未明、米カリフォルニア州のエドワーズ空軍基地で行われ、第一号実験機「エンタープライズ」は、みごと着陸に成功した……米太平洋岸夏時間十二日午前八時(日本時間十三日午前零時)、母機のボーイング747ジャンボ機の背中におんぶした形で離陸、約四十五分後、七千五百メートルの上空で、初めて母機から切り離された……モハビ砂漠上空の真っ青な空をグライダーのように滑空しながら、フレッド・ヘイズ(43)、ゴードン・フラトン(40)両飛行士の操縦で左へ二回旋回して高度を下げ、同八時五十四分〇五秒、同基地内ドライデン航空研究センターの滑走路に着陸した……

シャトルの着陸は、宇宙からの帰還を完結させる重要なテストだ。地上の関係者も私たち報道陣も、そして一般の観客も固唾を飲んで成否を見守った。記事の時刻を見れば、着陸したのが朝刊締切り時刻ギリギリだったことがわかる。原稿を書いている余裕はない。例によって、電話の受話器片手に実況放送まがいの「勧進帳」送稿――「空軍基地発」のクレジットが、その生々しさを伝えている。日本の競争他社は、ハナから朝刊を諦めていたから読売の独自材になった。

送稿を終えてやれやれと思っているところへ、東京から「夕刊用に続報を送れ」――夕刊2面に着陸の経過を伝えるAPとUPIサンの写真3枚を各2段で縦に並べ、『米、宇宙への“復帰” 連絡船実験に観衆5万人』の4段凸版見出し記事の本文。

……エンタープライズが見事舞い降りた瞬間、前夜から実験場周囲に詰めかけていた約五万人の観衆から、わっと歓声が上がった……製作に携わったロックウエル・インターナショナル社の従業員の中には、目に涙さえ浮かべて喜ぶ人もいた。貴賓席には、ブラウン・カリフォルニア州知事はじめ、東郷大使ら各国外交団も姿を見せ、アメリカが有人宇宙飛行への復帰を告げる壮大なデモンストレーションだったことを見せつけた……

エンタープライズは時速五百キロで音もなく下降に入り、旅客機が着陸姿勢に入ったような滑らかさで着地点へ向かっていった。飛行士が「着地点まであと八マイル。滑空余力九マイル」と告げる。余裕を持って着陸できるという意味だ……そのまま時速三百四十キロまで減速し、絵にかいたような見事なランディングに成功した……ヘイズ飛行士は、六年前アポロ13号に乗り組み、月を目指したものの途中酸素タンクが故障して命からがら生還した経歴の持ち主。それから三年後には第二次大戦初期でお払い箱になったBー13爆撃機を操縦中に墜落し、体の五〇%に火傷を負いながら奇跡的に助かっている

……「エンジンなしの着陸だからやり直しは効かない。それだけにスリル満点だ」と豪快に笑い飛ばした……

スペースシャトルは、その後も滑空・着陸試験を繰り返し、81年4月に実用1号機の「コロンビア」が宇宙への初飛行に飛び立った。2011年7月までの30年間に、5機が135回に及ぶ宇宙への往還を果たして退役した。

この間には、19 86年1月に「チャレンジャー」が発射73秒後に空中分解、また2003年2月には「コロンビア」が帰還途中の大気圏再突入時に空中分解、それぞれ搭乗していた7人の飛行士が犠牲になる痛ましい事故も起こした。

ただ、当初段階で「1回の飛行あたり1200万ドルで飛ばせる」とされていたコストは、2度の事故を挟む安全対策の追加もあって、135回の打ち上げに要した費用は総額で2090億ドルと、1回あたり15億ドル超に大きく膨らんだ。

いままた火星探査が熱を帯び、アメリカだけでなく中国やUAE(アラブ首長国連邦)までが独自のプロジェクトに乗り出している一方で、アメリカの宇宙への往還は、スペースXという民間企業による輸送サービスに依存する時代になっている。(つづく)



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