収容時に撮影された人々(オシフィエンチム博物館展示) Photo Author: Bubamara
1981年5月15日、ワルシャワからの生放送を終えると、私たちは自主管理労組「連帯」の反政府運動に揺れるポーランド国内の旅に出た。引率したのは東京からやってきた番組のチーフ・ディレクター、早河洋氏。私より4期若い37歳だったが、偉丈夫とも言える体格だけでなく、スケールの大きい構想・判断・行動力が際立っていた。それでいて決して無理はしない抑制心も備わっている。その後「ニュースステーション」の初代プロデューサーから編成、報道局長を経て、2009年には長く朝日新聞出身者の定席となっていた社長の座をつかみ取り、CEO兼務の会長にもなって、長くテレビ朝日経営の総指揮をとっている。同氏との長いお付き合いはこの時に始まった。