2021年9月3日号 Vol.405 |
文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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名古屋誘致、不当行為に惨敗
IOCの「ぼったくり」体質
1981年10月、ほぼ1年ぶりの一時帰国をテレビ番組に願い出ると、その前に西独のバーデンバーデンに寄って欲しい、とのこと。バーデンとはドイツ語で「入浴」を意味するが、その名の通り温泉地として、またカジノのある街として知られる。そこでIOC(国際オリンピック委員会)の総会が開かれるので覗いて欲しい、という。
ニューヨーク―フランクフルト―東京というルートで航空券を取り、バーデンバーデンに乗り込んだのは9月27日だった。総会では1988年の五輪開催地が決まる、その招致に名古屋が立候補しており、選出が確実視されるという。プレスセンターに行くと、名古屋の民放局が五輪開催の瞬間を特別番組にしようと、準備に熱を入れていた。
名古屋にやや遅れて名乗りを上げたのはソウルだった。総会場を取り巻く両都市のブースを見て回ると、名古屋は質素な提灯をぶら下げた展示に説明役も見当たらない。簡素を通り越して楽勝ムード丸出しなのに対し、ソウルは大韓航空のキャビンアテンダントをズラリと並べ、満面の笑顔で訪問者を迎え入れている。名古屋陣営の有力者らしき人をやっと見つけ、この落差を聞いてみると、「ソウルが猛追してきているのは事実ですが、まだ10票差はつけています」と自信たっぷりの返答で、そんなものかといったんは納得したのだが、間も無く私の胸中は一変する。
総会場前で、76年のモントリオール五輪で知り合ったAP通信のスポーツ部長に出会うと、彼が真剣な顔で「ちょっと話ができるか?」という。「もちろん」と頷くと、物陰に私を連れて行き、「名古屋はソウルに負けるぞ。今や確定的だ」――さすがに驚いた私に、そうなった事情を丁寧に説明してくれた。
「この1年余り、ソウルは主に途上国のIOC委員を片っ端から招待してきた。ファーストクラスの航空座席とホテルはもちろんだが、ソウル滞在中はキーセンパーティでもてなし、宴が果てればホテルに“お持ち帰り”させる。帰りには土産品をどっさり。中には札束が入っていた……実際に接待を受けた委員から聞いた話なので間違いない。IOCには一本釣りの買収を禁ずる掟がないも同然だから、された方もあっけらかんだ。多分1回目の投票でソウルに決まるだろう」――
常々、相手が日本となると、猛烈に対抗心を燃やすのがお隣さんの体質で、21世紀に入ってからは、国際社会における日本の地位を貶める目的の「Discount Japan運動」を執拗に展開している。例の“従軍慰安婦”や、旭日旗を「戦犯旗」として国際的に追放する働きかけ、長崎県の通称軍艦島(端島)が明治日本の産業革命を象徴する世界文化遺産として登録された際には、「朝鮮人を徴用して強制労働させ搾取した」と官民あげての反対運動を繰り広げた例などがそれに当たる。日本を貶めるためなら真実など二の次、過激な被害者意識から生ずるエネルギーとしつこさは半端ではない。国際社会で日本が賞揚されたり、ポジティブに評価されるのが、どうにも気に入らないらしく、88年五輪の名古屋開催が現実味を帯びるのを見て、「64年東京大会から4半世紀足らずで2度目の五輪開催は許せない」とソウル開催の名乗りを上げた。ライバルが東京や大阪ならともかく、「名古屋なら勝てる」と計算したか、「日本に勝つためなら何でもやる」と、強力な一本釣り工作に乗り出したことのようだった。
私は名古屋誘致には何の関係もないが、買収の末に日本が負けると聞かされては見過ごす訳にも行かない。バーデンバーデン入りしていた当時のJOC(日本オリンピック委員会)総務主事、岡野俊一郎氏(後にIOC委員、日本サッカー協会会長、故人)を訪ねた。同氏とは、私が読売新聞記者として東京五輪を取材したときに知り合い、その後も札幌やモントリオール五輪などを取材するたびに顔を合わせていたから、岡野氏の方も私を見知っていた。APスポーツ部長の話を口伝えに詳しく話すと、彼は破顔一笑、「大丈夫ですよ内田さん。ソウルは色々やってるようですが、私も多くのIOC委員に会ってます。大勢は名古屋で決まりですよ」――
これほど自信満々で答えられては、私も二の句を失ったが、内心はAPスポーツ部長の取材力の方を信用していた。名古屋が負ける愁嘆場を正視できない、という気持ちが強く、開催地を決める投票が行われる9月30日の朝、バーデンバーデンを離れて日本行きの途についた。まだ直行便がない時代で、搭乗機が給油のためアンカレジに立ち寄ったところで結果を知った。ソウル52票、名古屋27票……惨敗だった。
この時の私のミッションは、名古屋招致の成否を見届けるためではなく、五輪という世界最大のスポーツ・イベントを取り仕切るIOCが、どういうものかをリポートすることだった。
私はかねてから、このIOCという機関に強い疑念を抱いてきた。公正な選挙で選ばれたのではなくスポーツ界特有の不透明なヒエラルキーの中で地位を得たのに、一部IOC委員の尊大さは目にあまった。「スポーツ貴族」と形容するメディアも多かったが、貴族などという高尚なものではなく、中にはスポーツを食い物にするゴロつきのような輩が少なくなかった(近年は多少品性が上がったと聞くが……)。とりわけ、モスクワ五輪が開かれた80年に就任したファン・アントニオ・サマランチ会長には敬意どころか軽蔑に近い気持ちを持っていた。
この人は自らを「100%のフランコ主義者」と呼んでいたほど、第2次大戦前の38年から死去する75年までスペインに長期独裁を敷いたフランシスコ・フランコ総統の熱烈な支持者で、専制と数々の汚職にまみれた独裁政権に加担し、スポーツ官僚の頂点を極め、IOC委員にも名を連ねることになった。
アマチュアリズムを頑ななまでに尊重したブランデージ氏と潔癖を旨としたキラニン男爵の後を受けてIOC会長の座につくと、プロ選手の大会参加解禁に踏み切り、五輪の商業化・肥大化への道をまっしぐらに突き進んだ。商業化は金権本位に直結する。会長と価値観を等しくするIOC委員が増える道理で、ソウル側の接待攻勢を嬉々として受け入れる委員が少なくなかったのもけだし当然とうなずける。そこにはスポーツの世界で最も大切であるべきフェアプレイの精神など微塵も感じられない。だが、こうした忌むべき体質にメスを入れるのは容易ではなかった。
接待攻勢については、ソウルだけ責められるものでもない。98年冬季の長野大会でも、招致にあたり9000万円の使途不明金が接待に使われた形跡が濃い。金権体質はさらに増幅され、物欲しげなIOC委員がいかに多かったかの証明になるだろう。
かくして今や、五輪はスポーツの世界に並ぶものなきビッグビジネスに巨大化した。それに呼応して巨利を貪る企業がIOCの周辺にウヨウヨするようになった。IOC側が最も頼りにしているのは巨額の放映権を払うテレビ会社で、その中心にいるのが米国内の五輪放映を独占しているNBCである。2014年のソチ冬季大会から東京2020までの4大会で支払った権料は43億8千万ドル、22〜32年までの冬夏6大会では76億5千万ドルで契約を終えており、これが他国の放映権料算出の基準にもなっている。
ぼったくりと言われるIOCの体質は早くから始まっていたのである。(つづく)
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