2021年9月17日号 Vol.406

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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CNNの影響力と
伝説のアンカー、B・ショウ

2001年にCNNを退職したバーナード・ショウ氏のキャリアを称えたビデオ CNN's Bernard Shaw Tribute Video (3/2/2001) http://youtu.be/cE9hOkZTQIA

前々回の本欄末尾で、衛星チャンネルなどで流されるニュース映像が東欧諸国の情報統制を超えて一般市民のもとに届き、それが社会主義統治を倒す東欧革命の推進力となったことを述べた。ネット社会とされる現在でも多くのニューズ専門チャンネルの電波が飛びかっているが、その嚆矢となったのがアメリカのCNNだった。

Cable News Networkという名のとおり、ケーブルテレビの回線を通じてニューズを24時間送り続けようという発想で、1980年6月1日に産声をあげていた。画期的なニューズ番組を制作しているとの自負が強かった私たちが、このCNNに注目しないはずはなかった。日付は忘れたが、81年のどこかで、アトランタにある本部を訪ね、仕事ぶりを取材・紹介させてもらうことから縁が始まった。

初めて訪ねたCNN本部はアトランタ郊外の広大な土地に建つ私邸のような外観で、中に入ってスタジオや放送発信施設を見せてもらうまではテレビ局には見えないつくりだった。そこではスタッフたちがキビキビした動作で忙しく立ち働き、新しいものに挑戦するアメリカの若い素顔と直に接する思いがしたものである。以後、私たちは幾度もここを訪れ、やがては互いに素材のやり取りをはじめ多様な交流をするようになる。

CNNを立ち上げたのはテッド・ターナーという人物。父親の遺産を元手にまだ32歳だった1970年にアトランタのテレビ局を買収してオーナーとなり、全米規模の展開への手段としてニューズ専門チャンネルの開局に行き着いた。後に、発想の根拠を尋ねたとき、「テレビというメディアにとってニューズ映像は極めて重要だが、どの局も定時ニューズを放送しているだけだ。見逃した視聴者にはその映像が届かない。それなら24時間ぶっ通しでニューズだけを流せば重宝されるだろう、と思いついた」と話していた。

創業にあたっては、伝え手となるメインのアンカーに有色人種を多く起用するなど、テレビ・ジャーナリズムの変革にも多大の寄与をした。またCNNを衛星チャンネルとして世界展開しただけでなく、エンターテインメントやスポーツ番組を流す TBS(Turner Broadcasting System)、TNT(Turner Network Television)、ターナー・ニューライン・シネマなど幅広い関連事業を展開、96年にはタイムワーナーと合併して副会長になるなどしたが、2003年にその職を辞し、その後は全米各地に持つ広大な牧場で野牛バイソンを飼育、Ted's Montana Grillというステーキハウス網を展開している。新しいアイデアを駆使し、さまざまな分野で起業を重ねる現代的ビジネスマンの典型だ。

このCNNで、創業以来01年に引退するまで20年にもわたってメインのアンカーを務めたバーナード・ショウ氏について話そう。私より1年遅い1940年シカゴ生まれ、父は鉄道員、母は家政婦で共にアフリカ系。苦学の末、23歳でイリノイ大学シカゴ校に入学、働きながら5年かけて卒業した後、海兵隊に入り、ノースカロライナ州チェリーポイントの戦闘機基地のメッセージ・センターで新聞の切り抜きなどに従事するうちニューズ報道に興味を持ち、ジャーナリズムの世界に入った。初めはシカゴのローカル局でニューズを読んでいたが、向上心が強かったのだろう。ホワイトハウス記者を志願して首都ワシントンに行き、CBSの著名なアンカー、ウオルター・クロンカイト氏の知遇を得てCBSのホワイトハウス記者を6年務めた。77年にABCに転じ、ラテン・アメリカ特派員・支局長の後、再びワシントンに戻って連邦議会のシニア・コレスポンデント、つまり主任記者となり、そこで簡潔平明な語り口に着目したCNNにスカウトされて PrimeNewsのアンカーに起用された。

ジャーナリストの職を得た71年からCNNに落ち着くまでは、まさに怒涛の10年間だったが、私との会話の中で「我ながらよく働いたと思う。キミの記者時代と同じで、休みもほとんど取らなかった。いつも前を向いて、視聴者に伝えるに値する何かを貪欲に探し求めていた」と話していたが、性格は文字通り温厚そのもので、アンフェアな立場にいる弱者に常に温かい視線を向けていた。

彼について記憶に残るのは、私がニューヨークをいったん離れて帰国した直後の88年10月に、レーガン政権のジョージ・H・W・ブッシュ副大統領とマサチューセッツ州のマイケル・デュカキス知事が大統領候補として臨んだテレビ討論の質問役をしたときのことだ。東京でCNNの生フィードを見ていると、質問者の中に彼がいるのを見つけた。死刑廃止を公約に掲げていたデュカキス氏に、「仮にあなたの奥さんがレイプされて惨殺されたとしよう。その犯人への死刑を支持するか」と問い、デュカキス氏は「支持しない」と答えたものの、I would not と短く答えただけで妻に対する感情のひださえ示すことがなかった。このことから、デュカキス氏に、“冷酷な人間”、“法律的な合理性一本で人間味のない人物”との評価が定着したのだった。デュカキス氏は記録的な惨敗を喫する。

後年、私が93年にニューヨークに戻ってから、彼と対話した最初の機会にこのことを聞いてみた。

覚えているか、という問いには「もちろん覚えているさ」と答えたので、なぜああいう質問をした? と尋ねたときの答えがこうだった。

「大統領候補のテレビ討論の質問役というのは、有権者に良い印象を植え付けるために精一杯演技している候補者たちの本当のカオをあばき出すことなんだ。それには彼らが予期していない質問をしなければいけない。死刑廃止は、言ってみればカッコいい言葉でリベラル性を強調するには格好の公約ではあるが、そのことにどこまで本気なのか、我が身に降りかかったときにも堅持できる信念なのか……その一方で、デュカキスが少しはためらいを見せて、妻への愛情の一端でも示す言葉を吐くかと思ったのだが、誠にそっけない答えだった。彼の人間性がそうさせたのだと思っている」。

政治家というのは、ここまで人間性を暴露される大変な職業なのだと思う一方、アメリカという超大国の大統領を選ぶ選挙では、ジャーナリズムが候補者の素顔を引き出す厳しい姿勢を改めて実感したものであった。

CNNは80年代を通して、少なくとも米国内のニューズ・チャンネルとしては独走状態で、ヘッドライン・ニューズやCNNインターナショナルなどチャンネルの幅を広げ、日本はじめ欧州、ラテンアメリカ、トルコ、インドなど国際的にもサービスの範囲を広げたが、89年にCNBC (Consumer News and Business Channel)が開局したのを皮切りに、MSNBC、FOXニューズなどが続々参入して戦国状態となった。とくにドナルド・トランプ大統領の登場と前後して保守系ニューズ・メディアの存在感が高まり、どちらかといえばリベラル性が強いとされるCNN(私はそれほどとは思わないのだが……)は、トランプから「フェイクニューズ」のラベルを貼られるなどして視聴者を失い、2020年代初めの現在では、FOXとMSNBCの後塵を拝す状態になっている。

ニューズが売れるのは電波の世界だけではない。活字の分野でもタイム、ニューズウイーク、USニューズ&ワールドリポートと週刊誌が3つもあった。インターネットとの競合で苦戦が伝えられ、USニューズは隔週刊から月刊になったあげく2010年に、ニューズウイークも12年にプリントを停止し、デジタル版だけになったが、後者は14年に印刷を再開した。タイムなどは現在も200万部以上を発行している。その品性品格は日本の出版社系週刊誌とは比較にならない。(つづく)


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