1970年代初めの繊維摩擦では、アメリカ側が1917年にできた対敵通商法まで持ち出して輸入制限の構えを見せたのをはじめ、70年代以降の家電、自動車、半導体などでは通商法201条、301条、スーパー301条などの適用をちらつかせて対応を迫ってきた。日本側はその都度、輸出自主規制や現地生産などで対応してきたが、いずれも業界任せで、日本政府が必要以上にウロウロして決断が遅い、守勢一本で攻めの知恵がない、など不満に思えることが多かった。当時の通産省は強力な産業政策で「無敵豪腕のMITI = Ministry of International Trade and Industry」と言われていた割には守りに弱かった。