パリで行われた「全欧安保協力会議」に参加した各国の指導者(1990年11月21日撮影 Photo : George Bush Presidential Library)
1990年の海外取材は11月だった。
19〜21日パリで開かれた国際会議を取材するためだった。この会議はCSCE=Conference on Security and Co-operation in Europe、日本語では「全欧安保協力会議」と呼ばれる首脳会合だった。欧州の東西が核兵器と通常兵器を増強拡大して睨み合っていた冷戦最中の73年に、安全保障の幅広い側面にわたり全欧州諸国が政治対話をする場を作り、紛争の予防、危機管理、紛争後の再建などについて橋渡しをする目的で創設が決まり、75年に当時は東側のワルシャワ条約機構にも、西側のNATO=北大西洋条約機構にも加わらず、中立の立場をとっていたフィンランドの首都ヘルシンキで、全欧州と北米35ヵ国の首脳会合を開いた。主権平等、国境不可侵、内政不干渉、国際法の誠実な履行など基本的な関係を確認した上で、軍事演習の事前通告など偶発的な軍事衝突を防止する協力体制を確認する最終文書= Final Actを採択したが、このフォローアップ会合が3度ほど開かれただけで目立った活動をしていなかった。
それまで協議の場として存在したCSCEは、94年12月のブダペスト首脳会合で機構化の必要性が確認され、翌年1月にOSCE=Organization for Security and Co-operation in Europe「欧州安全保障協力機構」となり、事務局をウイーンに置いて大使級の常設理事会が設けられた。また、91年末までにソ連邦が解体消滅し、中央アジアも含め15の国に分裂したことなどから加盟国は57に増えた。これを契機に域外諸国との対話・協力体制を強めることになり、Partners for co-operation=協力パートナー国の資格を設けた。日本は92年に最初の協力国になり、現在までにその数は11ヵ国に上っている。
今にして思えば、国際平和というのは、すべての国の善意で実現するのであって、どんなに精緻なルールを作っても、公然とそれに背く行動に出る国があれば、寄ってたかって非難の言葉を投げつけても事態は一向に変わらない。かと言って、実力を行使すれば軍事衝突がさらに拡大して、世界大戦になりかねないーーキレイごとの安全保障機構では、何の役にも立たないことが実証されたのであった。(つづく) HOME