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 よみタイムについて
   
よみタイムVol.82 2008年2月8日号掲載

ジャズ・ピアノニスト 秋吉敏子 
コロンビア大学教授 ジェラルド・カーティス


今夜はスウィング(後編)


音「学」になっちゃ駄目 秋吉
本物は聴いたらすぐ分る カーティス



秋吉敏子(ジャズピアニスト)
1929年満州の遼陽生まれ。15歳で日本に引き揚げ。グラミー賞に11回ノミネートされた日本が誇る世界的なジャズピアニスト。代表作として74年発表の「孤軍」、76年の「インサイツ」などは、モダン・ジャズの金字塔として世界中で評価されている。97年紫綬褒章受章。99年「国際ジャズ名声の殿堂(International Jazz Hall of Fame)」入り。2003年11月、30年間続けたJazz Orchestraを解散。原点であるピアニストの活動を再開。2004年から精力的に活動を続ける。現在もNYを拠点に活動中。

カーティス 今のミュージシャンは、先に音楽理論があって、それに合わせるような音楽を弾く、だから面白くない。

秋吉 「音楽」って文字、楽は楽しいっていう文字でしょ、時々ジャズ聞いてて、これじゃ音楽の楽が「学問』の学だな、と思うことがある(笑)。私、やっぱり歳とったのかなあ。分析するにはいいかも知れないけど、音楽とは言えないなーと思っちゃうんです。

カーティス ジャズカレッジに行ってなくて、ホントの自分のフィーリングを出せる、才能あるミュージシャンは音楽聴いたらすぐ分かる。

秋吉 私、デューク(エリントン)が言ってたように、ジャズとクラシックのセパレーション、スイング感がなければ魅力がないと思うんです。即興演奏なんていうのは、クラシックだって昔からあったわけで、現代音楽にだってある。昔はサックスとかトランペットとか、音聴いたら、「あっ誰」ってすぐわかった。

カーティス 同感です。ほんとに今のミュージシャンにはまず「スイング感がない」。リズムにノートつけるのがジャズでしょ?

秋吉 私もそう思います。

カーティス リズム感がなければ、いくら上手に難しいハーモニーやっても、インプロがうまくても、それはジャズじゃない。今、スイングということを知らないジャズミュージシャンが多すぎますよ。

秋吉 私、あれはある意味では、ヨーロッパの影響があると思うんですよ。 ずっと前に、ギル・エバンスが、マイルス・デイビスのためにオーケストレーションしました。ギル・エバンスっていう人は、ジャズそのものより、ジャズのオーケストレーションを通してヨーロッパの人との架け橋を作った人だと思う。その意味では、非常に意味のある人だと思うんです。そのために、ヨーローッパの影響ってのはものすごく大きくなってきた。反対にこちらの人で、あ、これユーロピアンだなと思うような人も増えてきた。交流が増えたんですね。

カーティス 僕は、あまりギル・エバンス好きじゃないんです。秋吉さんの説明聞いて、どうして好きじゃないか今よくわかった。

秋吉 ギル・エバンスは自分で言ってたけど、「自分はマイルスはよく分かる」と。マイルスがいなかったら、彼のオーケストレーションは、今、カーティスさんがおっしゃったように「?」だったかも知れない。ギル・エバンスは他の人には一切書いていないんですよ。

カーティス 話戻すけど、今、スイングもオリジナリティもある、そういうジャズが今なくなっているんだ。スイングがなかったらクラシックの連中のほうがよっぽど上手いと思うね。

秋吉 テクニックだってクラシックの連中のほうがあるしね。ワーッとやってるのは、キース・ジャレットくらいですからね。

カーティス 日本も根強いファンがいるけど、ヨーロッパ、特にスカンジナビア、スエーデンとか、フランスは元々すごいし、どこいってもジャズは人気ですね。

秋吉 頭にホットクラブって名前がついてるジャズクラブ、オリジナルはフランスですからね。

カーティス そう、フランスは戦前から盛んでね、それにアメリカで差別受けてフランスへ逃げた黒人ミュージシャンも多い。今はもうイスラエルでも盛んだし、ビレッジ・バンガードなんか、今行くとヨーロッパ人のミュージシャンがとっても多いですよ。ただ僕に言わせると、みんな同じように聞こえる。

秋吉 私、去年の10月に横浜の「ジャズプロムナード」というフェスティバルに出たんですね、毎年誘われてるんですけど、今回初めて日本の若い連中とやってくださいという注文がありまして。その中に、若い女性のドラマーがいた。これが上手いの! 私が日本にいたころなんてああいう人全然いなかった。もっとも一緒にやってみないとわからないですけどね。それも1曲や2曲じゃわかんない。この若い女性ドラマーは良かった。名前を書き留めておけばよかったなあ。

カーティス 僕は、半年日本の生活なので、ピアノ日本ではよく弾いてるけど、アメリカではあまり弾いてない。ただ、勉強はしてるんだ。先生について。

秋吉 勉強? なんの勉強?

カーティス うーん。いい質問ですね(苦笑)。まあ、今の若い人たちのように理論ていうか、実際に弾いて、こういうボイシングしたほうがいいんじゃないかとかアドバイス受けたり、ヒントをもらってます。教えるのが上手な先生なんです。先生が言うには、ジャズはやっぱりリズムだと。ノートはどうでもいい、まずリズム、スイングしなければジャズじゃないと。 秋吉さんみたいに自然に身についてる人はいいですね。

秋吉 自然じゃないですよー。私、モーレツに努力しました。今もしてます。


ジェラルド・カーティス氏(コロンビア大学教授)
1940年生まれ。政治学者、コロンビア大学教授。74年から90年まで、同大学「東アジア研究所長」著書多数。1967年の総選挙に、大分二区から立候補した佐藤文生のキャンペーンを密着取材し、日本の選挙運動を分析した博士論文を執筆。同論文を基にした「代議士の誕生」(サイマル出版)を出版し、日本で話題を呼んで日本政治研究の第一人者となった。02年に日本国際交流基金賞、04年に旭日重光章。

カーティス 例えばどういう努力をしてるんですか?

秋吉 昔とは違います。例えば日本でジャズを始めた頃は、レコードから採譜してワーッとやる。幸いに私はテクニックはあった。あの頃のほうがあったと思うんですよ(これちょっとマズイ話)(笑)。
 東京に出たら、聴くプレイヤーが変わっていった。最後がバド・パウエル。彼はオスカー・ピーターソンと同じくらいテクニックあった人。違うのは、オスカーの場合は、ピアニスティック、つまりアート・テイタム直系。バド・パウエルは、管楽器から出てきた最初のピアニストで、チャーリー・パーカー直系。ですから、バド・パウエルが最初のBeBopピアニストと言えると思うんですね。だからフレージングが違うんですよ。フィンガリングが違うんです。私は彼に夢中で、こういう感じでやってた(テーブルの上で指を走らせる)。

カーティス バド・パウエルは、フィンガリングが難しいでしょ?

秋吉 こう言ったらオスカー・ピーターソンに悪いけど、彼のはそんなにフィンガリングは難しくなかった。で、彼はピアニスティックだから自然な感じ。だけどパウエルは管楽器出身の人だから全然違う。45年前、影響を受け始めた頃、当然私はパウエルにまだ会ってなくて、一所懸命自分で考えてフィンガリングを研究して真似してました。自分のものとして身につけるという努力ですね。

カーティス オーケストレーションについて教えてください

秋吉 ここに曲があります。それを自分なりに解釈して演奏するのが即興演奏。私はそれだけでは物足らなくなって、社会的なこと、周りで起こっていることを反映するようなプレイをしたいと思うようになりました。もともと私、社会的なことにとても興味があるんです。それまで、トリオとかカルテットでやってきましたが、自分の音楽性を表現するにはもうちょっと色が欲しいと思うようになって、それで大きなバンドを作ったんです。30年間ビッグバンドを持ってやってきました。私の曲しか演奏しない、ユニークなバンドだったんです。

カーティス オーケストレーションはみんな秋吉さんが一人でやったわけ?

秋吉 そうです。みんなやりました。私は今でも外からの作曲の依頼というのを断ってます。ひとつだけ例外は、大分県でこの秋行われるスペシャルオリンピックのための曲。今、作っている最中です。私、知らない人には書かない。こう言うと武満徹さんが、「うらやましい」って言ってたけど、クラシックとジャズはここが違う。私は自分がプロのライターだと思ってないんです。アマチュアだと。だから私は分からない人には書かない。書く以上は演奏するミュージシャンの力量も考えなければなりませんしね。だから自前のオーケストラを持ってたんです。作曲とオーケストレーションて同じですから。今度のスペシャルオリンピックはほんとに特別、例外中の例外、演奏するのもアマチュアバンドなんですよ。

カーティス 他の人が作った曲を、インプロビゼーションするだけでは物足りなかった?

秋吉 そういうことですね。例えば、皆さんが私の代表作だと思ってらっしゃる「ミナマタ」とか「ヒロシマ」、こういうのはみんな、社会的な問題を取り上げているんですけど、「自分はこう思ってます」、ということを表現したかった。ジャーナリストなら筆で書くところを私はジャズで書いたんです。それでバンドが出来たんです。バンドが出来たのはいいけど、それでピアノが下手になりまして…(笑)。
 私、どうしてかっていうと作曲にものすごく時間がかかるんですよ。さらに、だんだん遅くなる傾向が(笑)。 ストレスが溜まってもうディプレスしちゃうんです。旦那のルーに言ったら、「それは当然、君は他人と競争してるんじゃない、自分が書いた前の作品と競争してるんだから、遅くなるのが当たり前」って言ってくれた。あの人頭がいいいから、すごく役に立ってるんだけど(笑)、「あーそんなもんかなぁ」と勇気づけられたというか、言いくるめられたというか(笑)。

カーティス ソロ演奏活動はずっと続けてるんでしょ?

秋吉 今年も5月から日本で、高松から始めてぐるっと回ります。
ジャズというのは、誰にでも向いているわけじゃない。特別な音楽。でも、ジャズを愛してくれる人たち、ミュージシャンである我々の生活を支えてくれる人たちが世界中にいるんです。
 この前、仙台だったと思うんだけど、12〜13人のグループが、電車で2時間もかけてコンサートにわざわざ駆けつけてくれた。感激ですよ。私その人たちのために、演奏が終わったあと飲み屋に付き合ってワーッと盛り上がって(笑)。その連中から「秋吉さん、ソロでもいいからまた来てちょうだい」って。ほんとに嬉しいですね。私もピアノが弾けるし、みなさんに聴いてもらえるし、ある程度の収入にもなるし、時間さえあればどこにでも行きます。でも鉄則があるんですよ(笑)。それはね「必ずプラットホームまで迎えに来ること。必ずプラットホームまで見送ること」ってね(笑)。今、駅には赤帽いないし、重いスーツケース持ってますからね。あとは(ギャラ)払ってくれればよろしいと。お金がなければまあ仕方がないけど。そんな感じで出かけてます。ま、大概、みんな払ってくれますけどね、ハッハッハッハ。

カーティス  最近ジャズピアニストで、本当に左手使わない人が増えてるでしょ?左手はこう膝の上に置いて、右手だけで演奏する人が多い。

駅で送迎してくれればどこへでも 秋吉
ジャズ続けるパッションに欠けた カーティス


秋吉 リズムセクションがあれば、それでいいわけです。

カーティス でもリズムが全くない人だと、ひどいことになる。

秋吉 左手っていうのは、本来パンクチュエーション(句読点)でいいわけですから。でも、BeBopの時代になってからは、Swingの時代よりリズムが複雑になりました。そうするとピアノの人が左手でブンブンやるのが非常に邪魔になる、こういうことがあるんですね。

カーティス 「よみタイム」新年号の記事にも出たけど、僕、高校時代によく「ファイブ・スポット」に行ってたんです。

秋吉 あらそう。

カーティス その頃よくセレニアス・モンクが出てました。

秋吉 モンクには、白人のいいマネジャーがいてね、モンクを崇拝してました。モンクも苦労人だけど、何かのキッカケで有名になって、チャーリー・ミンガスが出た頃にはすでにジャズのスーパースターになってましたね。

カーティス ミンガスは、その頃まだそんなに有名じゃなかった?

秋吉 そんなことはないけど、モンクは「ファイブ・スポット」に出ずっぱりで、ミンガスはあっちに出たり、こっちに出たりと、やってた。ミンガスの音楽はひらめきが本当に素敵で、人格破綻者じゃなかったら、スーパースターになってた人。ミンガスとの最初の出会いは、私が「ヒッコリー・ハウス」に出てた時のことです。インタミッションの時、ミンガスが私に会いに来たの。で、「君は周りの連中から黒人とはプレイするなって言われてるんじゃないか」って。「そんなことはありません」と答えたけど、私は当時、まだ学校の許可がなければ何もできない状態だったのね。私ほとんどバークリーの宣伝のために、いろんなところに 行ってるようなものだったんです。結局チャーリー・ミンガスのバンドに誘われて入団。ニューポートに出た時、私の名前が新聞に大きく出て、サイドマンの私はミンガスに大分怒られました。だけど、そんなこと言われても、記事は私のせいじゃないし、関係ないですよー。

カーティス 見た感じ怖そうな人ですね。

秋吉 いえいえ、怖いってことはなかったです。私自身は、悪い経験は一度もないの。彼二重人格だから、同時にある面ものすごく正直でもあるんです。彼のバンドに誘われた時も「何故私に」なんて、聞いちゃいけないことをうっかり聞いてしまったんです、私。そうしたら「確かに君より上手い人間はいくらもいるよ。だけど君は新しい名前だ」って言われたんです。ニューネームだって。グループにとってニューネームは財産だからって。彼の立場なら、そんなことを別に言わなくてもいいわけ。ただひと言「僕のところに来れば君の名前も上がるし、君のためになるよ」って言えばすむこと。実際そうだったし、ミンガスのところにいたからこそ仕事も入ったんです。ミンガスが亡くなった時に作った曲「Farewell」を演奏する時はよくこの話をするんです。ミンガスの一面を捉えたエピソードとして、8丁目に移った新しい「ファイブ・スポット」で、ある時演奏中に、ミンガスが前にいた客が気に入らなかったようで、すぐ後ろのキッチンから包丁持ち出して、客を追い出しちゃったなんてこともありましたね。

カーティス 秋吉さんは、生まれ変わったら、またジャズピアニストになりますか?

秋吉 そんなこと考えたこともないなあ。

カーティス やっぱり、秋吉さんは音楽しかないですよ。初めに話したけど、選択の余地があるならミュージシャンにならないほうがいい。音楽に対するパッションが激しく、他のことはなにも考えられないのがジャズミュージシャンでしょ。その点僕はよかったな、選択肢があった。その分、音楽に対するパッションは充分じゃなかった。その頃音楽に対するパッションさえあったら才能はそれほどじゃないけど、ある程度はなんとかなったんじゃないか、と思うことがあるんだ(笑)。

(構成:塩田眞実)