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2001 年 9 月 14 日、WTC を訪れ事件現場で活動する 救助隊員たちを激励したブッシュ大統領
Photo by SFC Thomas R. Roberts/ NGB-PASE, Public Domain
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 アメリカがアルカイ ダの同時テロ攻撃を受 けた2001年9月 日、大統領就任から8ヵ 月のジョージ・ ・ブッシ
  軍事行動の火蓋を切った。 イスラム教スンナ派のタ  日本も有志連合の1 リバン(神学生、求道者 員として協力を求めら などの意)政権に対し、 れ、 月2日施行のテロ 首謀者ビン・ラディンの
と、国連アフ ガニスタン支援ミッション の設置など
ュはフロリダにいた。選 挙で公約した「どの子も 置き去りにしない」教育 改革策の一環で、公立小 学校の朗読会を参観し ていたのである。首席補 佐官から2機目の 機が世界貿易センター=
身柄引渡しを求めたが拒 否された。 月7日、国 際テロを防ぐ防衛戦とし
部の隠れ家で逮捕され、 特別法廷で死刑判決を 受け、年月日に 処刑された。  その後も治安維持の名
に突入したと耳 打ちされた後も、ブッシュ は7分間、朗読を聞いて
向こう側につくか」と二 者択一を迫って行く。  ニューヨークの国連本部 では、同時テロ翌日の 日に緊急安保理と総会 が開かれ、アメリカに哀 悼の意を表し連帯する 決議が満場一致で採択さ れた。 日には、テロ対 策を全世界に義務化す る安保理決議が採択さ れた。  ワシントンの連邦議会
の下に参戦、米軍は、ア メリカ本土はじめ、クウ ェートやインド洋のディエ ゴガルシア島の基地、洋 上の航空母艦から発進し た航空機とミサイル巡洋 艦などから1万2千発の 爆弾をアフガン領内に投
閥も加わり、 月 日
には首都カブールを制圧、
タリバンの指導者ムハン
マド・オマルは、後に建
国されたアフガニスタン・
イスラム共和国の初代大
統領となるハーミド・カ
ルザイを通じて「降伏」
を申し出たが、アメリカ スクを恐れて部隊を展開
後に戦線を拡大したイ
ラクやシリアに2・1兆
ドルなど莫大な支出を
迫られた上、7千人を
越す兵員の死者を出し、 ロシアなどが強く反対し 撤退後はタリバンが復活 たため、軍事侵攻への安 して政権を握るという惨 保理決議は取れず、イ 憺たる結果で終えた。 ギリス、オーストラリア、
Untitled,(Detail 96)
下、2021年のバイデ 召集の会議が開かれ、暫
きなかった。ブッシュは面 目を失ったが、国内外で 責められることはなかった。  逃亡したサダムは、 月 日、サダムの拘束を
から控え室に戻った。「戦
時の大統領となり、重大
な責任を負うことになる」
――立ち上がって専用機
のいる飛行場に向かった。
 その車中で、ペンタゴ
ンも攻撃されたことを知
る。専用機に乗り込んだ
ブッシュは副大統領のディッ
ク・チェイニーに電話をか
けた。「アメリカが戦争
に巻き込まれたようだ。 も 日、テロを計画・承 負けてたまるか」。専用 認・実行・支援したと 機は、首都ワシントン郊 大統領が判断した国家・ 外のアンドリュース空軍基 組織・個人に対し、必要 地には直行せず、南部の で適切な軍事力を行使 空軍基地を経由して、首 する権限を大統領に与 都周辺への危険が去って える合同決議を上院 から帰途についた。 対0、下院420対1  ホワイトハウス内部で、 で可決した。 ウサマ・ビンラディンを  ブッシュは、アフガニス 首領とするアルカイダの タンを実効支配していた
  は当初、有 志国による多国籍軍だ ったが、 年8月には =北大西洋条 約機構に移管され、非
ポーランドなどと連合し
ン政権による完全撤退ま 定政府の立ち上げととも 国際ジャーナリスト 内田忠男 で、 年に及ぶ最長期の に、国際治安支援部隊
仕業と断定していたこと
は言うまでもない。ブッ
シュは、その日のテレビ
演説で「テロ攻撃はビル
の基盤を揺るがしたか
もしれないが、米国の基
盤に触れることはできな
い」と述べ、犯行に加わっ
たテロリストに厳しい報
復で臨む姿勢を示した。 戦」を発動、アフガニス
そして、この戦いを「War タンへの空爆を開始した。 部同盟などのアフガン軍
目的とした「Operation
on Terror=テロとの戦 イギリス、カナダ、オー い」と宣言し、世界に向 ストラリア、ドイツなど け「我々の側につくか、 も集団的自衛権行使の名
かつてのソ連軍同様、空 爆ではこの要塞を破壊で きなかった。国境地帯は 広大ではあったが、2〜 3千の兵力を持つ米軍が 包囲してビン・ラディン らを逮捕することはでき たかも知れない。が、リ
3サダムとアルカイダに 協力関係がある可能性 ――などの理由を挙げて イラク侵攻を決断した。 ドイツ、フランス、中国、
き、 年 月 日、バラ ク・オバマによる完全撤 収までに米軍は4千5百 人近い戦死者を出した が、この戦争でアメリカ が得たものはほとんどな かった。  日本は平和維持活動 = 以外で初めて となる地上部隊派遣に 踏み切り、陸上自衛隊 がイラク南部に駐留して インフラ整備と治安維持
て「Operation Enduring Freedom=不朽の自由作
対策特別措置法で、海 上自衛隊の護衛艦2隻 と補給艦1隻をインド 洋に派遣、各国艦船への 補給任務に当たった。  地上戦闘には、タリバ ン支配に反対していた北
が合意された。
 タリバンや、ビン・ラ
ディンはじめアルカイダ
の兵士たちは、カブール
が制圧されると、都市
部を放棄してソ連と戦闘
した時代にパキスタン国
境に構築した地下要塞
に立てこもった。米軍は、 の療養費に2・2兆ドル、
Red Dawn=赤い夜明け 作戦」によって、イラク中
は認めなかった。その直 後、ドイツのボンで国連
せず、北部同盟やパキス
タン軍に攻撃を命じた。
 アフガニスタンの軍閥
は総じて戦意が低く、パ
キスタン軍はヘリコプタ
ーの不足を理由に地下要
塞に効果的な攻撃をか
けなかった。これがビン・
ラディンらの長期延命を
可能にし、タリバンを壊
滅から救うことになった。  アフガン戦線が膠着す
て、3月 日「、 Operation
冷戦後の新たな対立地図 「対テロ戦争」の幕開け
(敬称略、つづく)
 アフガニスタンには暫 定政権ができ、国づくり して、大統領や立法府の
る中、ブッシュは新たな戦 争を目論んだ。イラクに 攻め込んで、サダム・フ セインを血祭りにあげよ うとしたのである。父親 の 代大統領ジョージ・
闘を終えた。  宣言後も、開戦目的 となった大量破壊兵器の 探索を続けたが、アメリ カの主張を裏付けるもの は見つからず、アルカイ ダとの協力関係も立証で
な新札 枚が入っていた。 むろん賞のために働いた つもりはないが、評価さ れたことは喜びだった。
選挙も行われたが、民 主主義は根づかず、安 定しなかった。米軍は物 量にモノを言わせる正規 軍同士の正面戦闘には強 かったが、ゲリラ戦は得 意でなかった。事実上の 敗戦で終わったベトナム 戦同様、アフガンの戦い でも、タリバン勢力を一 掃することができず、い たずらに時間を浪費し て、2・3兆ドルもの直 接戦費のほか、退役軍人
戦争でクウェート侵攻の
イラク軍は追い払ったが、
イラク領内への追撃は断
念してサダムを撃ち漏ら
し、「弱虫」とも評価され、
それが大統領に再選さ
れなかった一因とする見
方もあった。息子の 代
ブッシュがその屈辱を晴ら
そうとしたのかは定かで
ない。
 ブッシュは、1イラク
が大量破壊兵器を隠匿、
2サダムの独裁と圧政、 の下で小規模の戦闘が続
国も含め ヵ 国から7万人以上が参 加。 年末に任務を終 えるまでの 年間に約 3500人の犠牲者を
4月9日に首都バグダッ ドが陥落、サダムを大 統領とするバアス党政権 は崩壊、5月1日には ブッシュ自らが「Mission
 ところで、September 11の報道に当たった私と
出した。
Accomplished=任務完 了」を宣言して大規模戦
ニューヨークのスタッフには、 「精力的かつ的確な報道 に努めた」として、テレ ビ朝日の「社長特別賞」が 授与された。私あての金 一封には、手の切れそう
・ は、 年の湾岸
Iraqi Freedom=イラク の自由作戦」を発動し
た。戦闘は順調に進み、 の任務にあたった。
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