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コロンビアの搭乗員たち(左から)ブラウン、ハズバンド、 クラーク、チャウラ、アンダーソン、マッコール、ラモーン The crew of the final ill-fated flight of the Space Shuttle Columbia, mission STS-107, in October 2001/NASA
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複数のタイルが「貫通さ
国際ジャーナリスト 内田忠男
ち上げ予定だったのが、 剥落した断熱材は「スー ロリダが異常低温に見舞 実に 回延期され、2 ツケースほどの大きさ」と われ、打ち上げ可能な 年も遅れて発射された。 いうから、かなり大きい。 下限値であるマイナス1 最後の遅延理由は、発 直撃を受けた左主翼の 度 近くまで気温が下が 射予定の 年7月 日 耐熱保護パネルには直径 っていた。
事実上打ち上げを強行
したのであった。
事故の後、レーガン大 「紙巻きタバコ1本程度 統領の指示で「大統領特 の氷塊の衝突」しか想定 別委員会」が作られ、原 しておらず、「スーツケ 因究明と以後の事故防 ース大」の破片とは比較
2003年が明けて そのものの取材からは離 トとして乗り組み、同僚 2月1日、土曜日の平 れていたが、累積した取 のウインストン・スコット 穏が一瞬にして破られた。 材体験から、常に興味 とともに2度にわたり計
告」をも軽視した。強化 カーボンの被害については、
=アメリカ と関心は失わずにいた。 時間半を超す船外活
航空宇宙局のスペースシ 「コロンビア」は、実験 動を行い、国際宇宙ステ の1ヵ月前に燃料供給 〜 センチの穴が開 ケネディ宇宙センター
代に人類初の月面探査 月に、初の実用ミッショ ック・ハズバンドが機長 を実現したアポロ計画で ンとして、通信衛星2基 となり、パイロット=操 東京本社・社会部の原 の射出に成功したが、計 縦士、ペイロード・コマン 稿キャッチャーを務め、紙 画された宇宙遊泳はミッ ダー=搭載物主任、ペイ 面に載る最終原稿をリラ ション・スペシャリスト= ロード・スペシャリスト= イトしたのをはじめ、ロ 運用技術者、ウイリアム・ 搭載物担当技術者各1 サンゼルス特派員時代に レノアの体調不良のため 人と、ミッション・スペシ は、無人機が火星表面 見送られた。 ャリスト3人の計7人が に初めて軟着陸したバイ 年7月の飛行では、 乗り組み、 年1月 キング計画をカリフォル 日本人初の女性飛行士・ 日にケネディ宇宙センタ ニア工科大学のジェット推 向井千秋が搭乗して、
因ではなかったと断定し から高温の空気が翼の内 ル・インターナショナルの 上げ完了後、地上の技
たが、打ち上げまでにこ 部に入り込み、内部構 技術者たちは、氷の量を 術陣は左主翼の損傷の
れだけ遅延を重ねたのは、 造体を破壊したことであ 見て戦慄したという。打 可能性に気づいていた。
不吉な前兆だったかも知 った。 ち上げの際、外部燃料 損傷の有無と程度を知 ーが、これまでに観測し れない。 スペースシャトルの全損 タンクの排気ガスの力で るために映像が欲しい たことのない張力が機体
進研究所に設けられた 第2次国際微小重力実 飛行管理センターで直接 験室と呼ばれたスペース・ 取材・送稿した。さらに ラボを搭載、日本で製作 スペースシャトルの開発期 した水棲生物実験装置 には、大気圏内専用の で金魚、メダカ、イモリ
う日系のミッション・スペ 閉部分から高温高圧の たちに確かめて欲しいと シャリストが含まれていた。 燃焼ガスが噴き出して も求めたが、 は、 このチャレンジャーも、 右側尾部の固体燃料ロケ この要求もはぐらかした。
には、テキサス州上空で 耐熱タイルが機体から剥 がれ落ち始め、1分後 には機体が破壊されてい ることを示す機長の言葉 が録音されていた。そし
実験機として作られた1
号機「エンタープライズ」
の試験飛行を数回にわ
たり現地取材するなど、 個の卵が確認され、8
当初予定では1月 日 に打ち上げられるはず が、前のミッションである コロンビアの帰還が遅れ たり、悪天候などいくつ
ットの接続部分が分離、 代わりに、左主翼の
数多くの体験を積んでい た。 テレビの世界に移って からは、フロリダのケネ ディ宇宙センターを見に 行った程度で、宇宙探査
匹が孵化して「宇宙メダ カ」を誕生させた。 さらに、 年 月 日から 月5日に及ん だ飛行には、土井隆雄 がミッション・スペシャリス
さらに外部燃料タンクも 構造破壊してシャトルは 一瞬のうちに空中分解し たのだった。 リングの メンテナンスに当たってい たサイオコール社の技術
強化カーボンと耐熱タイ ルの損傷評価は、クレー ターと呼ばれたソフトウ エアで行われた。これは 過去の飛行データを元に 作られたワークシートの
て、「Roger, uh...」―― 何に「了解」したのかは不
を使う実験を行った。メ ダカの実験は宇宙での交 尾、産卵活動を観察し、
ーから打ち上げられた。 主翼の強化カーボン製耐 かの理由で計4回、6日 に強い懸念を表明してい
実はこのミッション、本 熱保護パネルを直撃した 遅れて打ち上げられた。 たが、 の管理
来は 年1月 日に打 ことだったとされている。 しかも、この 日は、フ スタッフは耳を貸さず、 が、 はこの「警
ャトル「コロンビア」が地 機だったエンタープライズ ーション= の建設 システムに亀裂が見つか き、半月にわたるミッショ の発射台の整備塔には
上への帰還直前に空中分 に続く2号機で、初飛行 に備えた技術試験を実 ったことだった。後に、 ンを終えて地球に帰還す センチを超す氷柱が張り
解して失われたという衝 は1981年4月 〜 施した。 =コロンビア るための大気圏再突入の 付き、カリフォルニア州
撃的なニューズが伝えら 日までの3日間、宇宙 無惨な最後の飛行とな 号事故調査委員会が出 際、マッハ2・ =毎秒 ダウニーの本部から監視
れたのである。 を往還した最初のスペー った 回目は、皮肉にも した結論では、これが6 840メートルという超 していたシャトル運航の いた。
の宇宙探査 スシャトルだった。5度目 宇宙飛行士室の安全部 ヵ月後に起きた惨事の原 高速の飛行中に、その穴 主契約企業、ロックウエ コロンビアでは、打ち については、新聞記者時 の打ち上げとなった 年 門責任者を務めていたリ
にならない。
事故の原因は、ケネ 事故は、これが初めてで デイ宇宙センターから打 はない。
ち上げられた 秒後に、 1986年1月 日 液体燃料を搭載していた に、コロンビアに続く3
氷が振り落とされ、シャ と要求、国防総省に軌 構造の桁に発生している トル本体の耐熱タイルを 道上のシャトルを撮影す のを感知していた。それ 直撃することを恐れたの るよう3回にわたり要 から5分後、西海岸のサ だが、損傷は別の部位で 求したという。しかし、 クラメント上空を通過し 起きた。 の管理機構は、 たあたりから、地上で見 シャトル本体の右側に この依頼に真剣に取り合 物していた人々にも異常 組み込まれていた固体燃 わなかった。技術陣はまた、 がわかった。シャトルの描 料補助ロケットを密閉す 左翼の検査をしているか く軌跡が突然明るくなる
外部燃料タンクの断熱材 が剥落し、その破片が左
号機として運用されてい
た「チャレンジャー」が、発
射から 秒後に空中分
解し、乗組員7人が全
員死亡。犠牲者の中には、 る「 リング」という部 どうか、軌道上のシャト のを何度も観測したとい エリソン・オニヅカとい 品が発射時に破損、密 ルに搭乗している飛行士 う。再突入から 分後
永 遠 に 閉 ざ さ れ た 交 信 コロンビア号空中分解事故
陣も、ロックウエルと同様、 ようなもので、耐熱タイ 異常低温下の打ち上げ ルが直撃を受けた場合、
明、その直後に絶望を示 す呻き声で交信は永遠 に閉ざされた。
止に向けた多くの提言を 残していたが、時間の経 過とともに、それらが等 閑視されるようになって
にはfail-safeへの認識と 意志が根本的に欠けてい
れる」との推測を出した
た。 コロンビアは、太平洋 上空120キロの高度で 大気圏に再突入を開始 したが、その4分 秒後 には左主翼前縁のセンサ
(敬称略、つづく)