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エヴィアン・サミットに出席した各国の首脳(左から)ロマーノ・プローディ(欧州連合・ 欧州委員会委員長)、小泉純一郎(日本国内閣総理大臣)、ゲルハルト・シュレーダー(ド イツ連邦首相)、ジャン・クレティエン(カナダ首相)、ウラジーミル・プーチン(ロシア 連邦大統領)、ジャック・シラク(フランス共和国大統領)、ジョージ・W・ブッシュ(ア メリカ合衆国大統領)、トニー・ブレア(イギリス首相)、シルビオ・ベルルスコーニ(イ タリア首相)、コスタス・シミティス(欧州連合・欧州理事会議長)( 写真:内閣官房内 閣広報室 )
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Untitled,(Detail 100)
ですくうほどの細やかな 水量だった。硬度1リッ トルあたり304ミリグ ラムというからカルシウ ムやマグネシウムを含ん だ硬水だ。しっかりとし た飲みごたえがある。遠 くローマ時代から湧き出 ているそうで、ボトル入 りの水として販売が認め られたのは1826年と いう。その時から用いら れてきたガラスのボトル は今も使われている。   世紀後半以降はリ ゾートとして発展、さま ざまな国際会議の舞台に もなった。第2次大戦前 の1938年には、ユダ ヤ難民問題に関する国 際会議が開かれ、 年に はアルジェリア戦争に終
止符を打って仏植民地か らの独立を認める「エヴィ アン協定」が調印された。   8サミットは、大の 相撲ファンで親日家とし ても知られたフランス大 統領、ジャック・シラクの もと、イラクへの軍事侵 攻をめぐって対立した各 国間の主張と立場の違い をどう調整して、 8と しての協調関係を再構築 して行くか、が問われた。  シラクは、落ち着いた 雰囲気の中で首脳同士 が親密かつ自由な意見交 換することに意を注いだ。 前年のカナダでのサミッ トと同様、コミュニケを 廃して、首脳間の実際の 議論を反映した議長総 括が発出され、世界経済、 テロ、大量破壊兵器の不 拡散、中東和平や北朝 鮮問題など広範な問題 について「率直かつ実りあ る議論」が展開されたと 明記した。  グローバルな問題への 関与も強調され、エジプ ト、アルジェリア、ナイジ
逆的な非核化」を繰り 返し求め、北朝鮮は 1991年の朝鮮半島 非核化宣言と、 年の 米朝枠組み合意以降、
ろそうとしない。下ろさ
ないどころか、イラクに
向けた新しい戦争の準備
に入っていた。
 この企みには、中国と
ロシアばかりでなく、ド
イツやフランスも強硬に
反対。イギリスでも首相
のトニー・ブレアは同調
したが、反対する閣僚が
相次ぎ辞任を表明、枢
密院議長兼下院院内総
務も辞任した。対イラク
戦に向け国連安保理での
決議採択は断念したブッ
シュだったが、開戦自体は
諦め無かった。3月 日、
全米向けテレビ演説を行
い、イラクの大統領サダ
ム・フセインとその家族
に 時間以内の国外退
去を勧告、さもなくば
全面攻撃を始めるとの最
後通牒を突きつけた。そ
して約束の 日に開戦を
宣言、翌日、英豪にポ
ーランドなどの「有志国」  エヴィアンは東西に広 を従えて地上軍をイラク いレマン湖に面して、ロ 領内に侵攻させた。 ーザンヌの南の対岸の位
から2度目の脱 退を宣言し、サミット後 の8月には日米韓中露 5ヵ国と北朝鮮との6
国際ジャーナリスト 内田 忠男  
 September 11のアメ  米英両国が開戦理由 置にある。ジュネーブは リカに対する同時多発テ に挙げたのは7項目にわ 南西の端にあり、その
ロ攻撃の余波は、 年が 明けても収まらなかった。  大統領職3年目に入
たったが、要約すれば、 キロほど北東にエヴィア
心地が悪かったのだろう。
中東和平の推進を名目
にしたエジプト訪問を理
由に、2日目のワーキン
グ・ランチを最後に
8を中座してエヴィアン
を発ってしまった。ここで
も小泉が主導権を握り、
日本の呼びかけで開催が
決まったイラク復興支援
のための準備会合につい
て、 8としても「歓迎
する」との意見一致を引
き出した。
 さらに小泉の活躍が
目立ったのは、北朝鮮問
題だった。前年9月に平
壌を訪問し、金正日と
の首脳会談を実現した
経緯を説明し、人道に
もとる拉致問題から核
兵器開発をはじめとす
る安全保障上の問題な
ど、包括的・平和的に
解決したいとする日本の
考え方を強調し、各国
の理解を得て、議長総
括にも反映された。
 ただし現実を
言えば、国際社
会は北朝鮮に対し、 決を追求することに共
ったジョージ・ ・ブッシ ュは自ら宣言した<War
1イラクが大量破壊兵 器を保有 2フセインの 圧政3フセインとアル カイダが協力関係にある 可能性――だった。  新鋭兵器を動員した 正面作戦だから、4月 にはバグダッドを攻略す るなど、軍事面では順 調に進んだが、大量破 壊兵器は発見されなかっ た。戦争を強行するアメ リカへの非難が高まる中 で、この年の先進国首脳 会議= 8サミットの季 節がやってくる。  議長国はフランスだっ た。6月1〜3日に開 かれたサミットの会場は エヴィアン。そう、あの ミネラル・ウオーターの
ンが位置し、車でも鉄道 でも至近の距離だ。  ジュネーブ空港からタ クシーでエヴィアンに向か い、街に入ると、アルプ スの一部、シャブレ山塊の 麓にあって新緑が目に染 みるほど瑞々しい。そし て至る所に鉱泉が湧き出 ている。多国籍企業ダノ ンが大量出荷している「エ ヴィアン」の水源はレマン 湖畔にあるそうで、大掛 かりに取水しているのだ ろうが、街中の泉は両手
う約束を9回してきた が、それを悉く破って今 日に至っている。  エヴィアン・サミット が開かれた 年は年明 け早々の1月 日にアメ リカの軍事的脅威を理 由に核拡散防止条約=
on Terror=テロとの戦 い>で振り上げた拳を下
エヴィアンである。
 取材に行く私には、例
年ならニューヨークに常駐
するカメラ・クルーが同
行するのだが、この年は
東京からの指示で私が単
身参加することになった。 メキシコ、中国、インド、 ニューヨークからスイスの
機関紙『労働新聞』は、 「私たちの共和国が核 を放棄することを望むの は海の水が乾くのを待つ よりも愚かなこと」とし て核放棄を条件にする いかなる交渉も拒否す
ジュネーブに飛んで、そこ から陸路移動することに した。
サウジアラビア、マレー シアの計 ヵ国首脳と、
イラク戦争で分断した 中心的役割果たした小泉総理
Denuclearization = 完 全、検証可能かつ不可
(敬称略、つづく)
ェリア、南アフリカ、セ ネガルのアフリカ5ヵ国 に加え、スイス、ブラジル、
ると表明した。  「北朝鮮に対しては、 イラクへの対応とは違っ て、平和的・外交的解
国 連、 世 銀・
、
「 = Complete (Comprehensive), Verifiable, Irreversible
通の認識ができた」とし たサミット終了記者会見 での小泉発言も、空疎 な言葉になってしまった。
世界貿易機関の4機関 が招かれ、 8だけの本 番協議に先立って、国際 協力をテーマに貿易や開 発援助などの問題で活 発な議論が交わされた。  特にアフリカについては、 サミット3度目の出席と なった小泉純一郎が数々 のイニシアチブを示して 議論を主導する場面が 多かった。「人間の安全保 障基金」の積極的活用に 始まり、 =後発 開発途上国の産品に対 し無税無枠の市場アク セスを供与する品目の拡 大と約3億ドルの投資 金融、 =重債 務貧困国 ヵ国に 8と して決めた約320億 ドルの債務救済に対し ても、 信託基 金への拠出に加え、別途
シュを名指し非難する場
面はなかったというが、
開戦理由とした大量破
壊兵器や、アルカイダ
との連携が証明されない
状況に、ブッシュの方が居 「核開発はしない」とい
億ドルの債務削減を 確約、ポリオ撲滅に向 けた8000万ドルの支 援供与など、広範かつ奥 行きの深い支援プログラ ムを明示した。国内的に は、バブル経済が弾けた 後の「失われた 年」と 言われた困難な経済情 勢下にあったが、小泉政 権になって不良債権の本 格処理と構造改革に取 り組むなど、明るい兆し が見えていた上、当時は まだ「豊かな日本」の残 滓があった。  イラク情勢についての 協議では、さすがにブッ
年までに計6回の核 実験を実施、 年2月 日付の北朝鮮労働党
者協議も始まったのだが、 ここでの合意も踏みにじ って、 年5月には最初 の核実験を行った。以後、
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