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負の遺産「イラク侵攻」 復興へ向け国際社会が介入
2003 年 3 月 19 日夜、軍事作戦を承認後、国家安全保障および通信顧問と 会談したブッシュ大統領(中央)Photo courtesy : White House photo by Eric Draper
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のヨルダン大使館が攻撃 たイマーム・アリ・モス
され 人もの死者が出 クが自動車爆弾で襲撃
たのをはじめ、同 日に され、少なくとも 人が た。 機関からの支援の重要性
・ブッシュが、イラクの 領選での再選を阻んだと サダム・フセインという も言われていた。 年の 独裁者を抹殺するため 歳月を超えて、1期だけ に、それなりの理由を構 の大統領に終わった父の
えて始めたイラク戦争だ ったが、国際社会の支持 は分かれていた。
無念を晴らしたい 息 子ブッシュの重い関心事で あり、使命感でもあった ように思われた。 そうした野望を包み 込んで、専横・不合理の 匂いを緩和したのが、日 頃から見せる「人懐こい 笑顔」だったと思えていた
セルジオ・ビヘイラ・デ はこれを阻止するために 占領行政にあたっていた 内の統治を、可能な限 メロはじめ 人が死亡、 激越なテロ行為に出た。 連合国暫定当局 り速やかにイラク人の下 100人以上が重軽傷 3月に米英軍主導の攻 の指示のもとで立法・行 に返し、そこから治安の を負う大惨事となった。 撃が始まった直後から、 政を行い、新憲法を起 回復、経済の再生、国
冷戦期の対立国だった ロシア、中国だけでなく、 グローバル化が進む中、 アメリカとの緊密な同盟 の下、欧州統合の実を 急いでいたドイツ、フラ ンスまでが戦争を拒否し のである。
ていた。この分断が決定 的対立にまで進化しなか ったのは、ブッシュの「人懐
開戦後の戦況は、空 爆と巡航ミサイルによ る攻撃でイラク軍の指 揮系統を早期に破壊、 開戦 日後の 年4月 9日には首都バグダー ドが陥落(サダムは逃 亡)、5月1日に、サ ンディエゴ沖の空母リン カーンに戦闘機で着艦 したブッシュが「Mission
イラクに入り、バグダー 定にもつながるとの観点 イラク代表政府の発足ま したところであり、イラ ド市内で起きた前記2つ から、 月 日に決議 でに限定する 国連は クの再建のために引き続
こい笑顔」があるように、 私には思えていた。 さらに言えば、ブッシ
のテロ攻撃を実行した。 1511を全会一致で採 こうした治安状況は 択した。
役割を強化し、国際社 き積極的かつ主体的に取 会は総力を上げてこれに り組んでいく方針である」 協力する との願いが 非理事国がこのような 詰まった決議であった。 声明を出すのは異例のこ すでに述べた通り、こ とである。ちなみに、こ
ュが国際社会でこれほど
の抵抗に遭いながら、イ
ラク侵攻を強行した裏に
は、実父 代ブッシュの恥
と無念をそそぎたいとい
う決意があったのではな
いかと推測していた。 での大規模な戦闘作戦 父ブッシュは、 年に突 は終結した」と高らかに 如クウェートに侵攻し全 宣言するほど順調だった。 土を占領したサダム・フ しかし、ブッシュが軍事侵 セインの軍隊を、翌 年 攻の根拠として主張した
月に入っても改善せず、 その冒頭には「イラク
9日にはバグダード市内 の主権はイラク国家にあ
シーア派居住地区の警 ることを強調し、イラク
察署に爆弾を積んだ自 国民が自らの政治的将 の時期、日本は安保理 の川口は私にとって中学・ 動車が突入、 人以上 来を自由に決定し、その メンバーに選出されてお 高校で1年後輩にあた の死者が出たほか、スペ 天然資源を管理する権 らず、日本代表部は安 る。彼女が中学に入った イン外交官が殺害され、 利を再確認し、イラク 保理での議論や理事国の 年、私は2年生ながら
国際ジャーナリスト 内田 忠男
は、人道援助や経済再 死亡、 人以上が負傷 建、政治制度の確立な したと伝えられた。 どを目的に 日に開設さ イラクは元々シーア派 れたばかりで旧カナル・ イスラム教徒が住民の多 ホテルにあった国連イラ 数を占めていたが、サダ
ここで登場したイラク を認識し」......とした上 統治評議会というのは、 で、「イラク国民の願望 イラク人による主権回復 を体現する憲法の草案 を視野に入れ暫定統治 を作成する制憲会議の を行わせるため、国連な 準備を行うため、憲法 どの肝入りで設置された 準備委員会を結成する 機関で、7月 日に初会 とのイラク統治評議会の 合を開いていた。構成は 決定を歓迎するとともに、
「大量破壊兵器を開 の湾岸戦争で追い払った 冒頭の3点については、
発・所有している」
「水面下でアルカイダ
と繋がっている」
「最悪の圧政・専制統
治」
米大統領ジョージ・ がり、それが 年大統
が、イラク領に入ってか 証拠が見つからない。国 らは追撃をせず、フセイ 際社会は「それ見た事か」
ン体制を継続させた。ア
とばかりに戦闘の主役と
なった米英を非難した。 ク支援団 ム・フセインは少数派の
こうした状況に対応し の現地本部に爆弾を積 スンニ派に属していた。
たのが国連安保理だった。 んだ大型トラックが自爆 両派は折り合いが悪く、
冷戦時代や新冷戦と言 突入した。同本部には 事ごとに対立していたか シーア派アラブ人が過半 このプロセスを迅速に完
われる今日のような「拒 2〜300人の国連や ら、イラク戦争の勃発で の 人を占め、スンニ派 了するよう統治委員会
否権の応酬」ではなく、 職員が働いてい スンニ派の政権が倒され アラブ人とクルド人が各 に求める」との文言が続
戦闘で混乱したイラクに、 たが、このテロ攻撃で国 れば長く日陰にあったシ 5人、トルクメン人とキ いた。
イラク人の統治をどう復 連事務総長特別代表で ーア派が表舞台に登場す リスト教徒のアッシリア 米英軍などの武力行
活させるか、国際社会に 同機関の初代代表だった る条件が整う。スンニ派 人が1人ずつの計 人。 使で痛み切ったイラク国
どう復帰させるか、など
を中心に緻密な議論を
真摯に進めていた。
イラク国内では、主要
戦闘終結後、大小のテロ 首都ばかりではない。 後に「イラクのアルカイダ」 草した。 内諸制度と秩序の復興
事件が頻発し、治安が 同月 日には中南部の の最高指導者となるヨル ニューヨークの国連安 に結びつける 米英な の復興に対する当面の支 悪化していた。 都市ナジャフでイスラム ダン人ザルカウィが率いる 保理は、イラク人による ど多国籍軍は治安維持 援として総額 億ドルの 8月7日、バグダード 教シーア派の聖地とされ 「唯一神・聖戦機構」が 統治の回復が治安の安 を最大任務とし、それも 無償資金の供与を発表
メリカの内外からは「弱虫」 「意気地なし」の声が上
Accomplished」「イラク
日にも、バグダード・ 国民による自治が実現 行動を外側から注視す 生物研究会のキャプテン ホテルに2台の自動車が する日が早急に訪れなけ るしかない立場だったが、 だった。そこに旧姓土田 突入を試みて近くの建物 ればならないという決意 小泉政権や本省から強 順子と名乗った聡明な女 に激突、6人以上が死 を改めて強調するととも い関心が向けられ、代 子生徒が入部してきたの 亡、イラク統治評議会の に、このプロセスを迅速 表部員らも、その意向に であった。 メンバーや米兵らが負傷 に進める上での国際的支 従って、ともすると困難 (敬称略、つづく)
した。さらに 日には、 援、特に地域各国、イ で忍耐を必要とする任
トルコ大使館が爆破され ラクの近隣国および地域
務をよくこなしていた。 その反映として、この 決議が採択されると、直 ちに外務大臣川口順子の 談話を発表した。 「わが国は、イラクの 将来についての明確な展 望をイラク国民に示し、 国連の関与を得つつ国際 社会が団結してイラクの 復興および安定確保に 取り組むことを確認する ものとして、この決議の 採択を歓迎し、米国を はじめとする安保理理 事国のこれまでの努力を 評価する......イラクの復 興および安定確保には、 幅広い国際社会の協調 が不可欠である。わが国 としては、 日、イラク