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  OR NG DA YEL
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穐吉さん母娘が来日公演 瑞々しい興奮と感動
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 公演後の楽屋で(左から)MONDAY 満ちるさん、穐吉敏子さん、筆者
MONDAY
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CJ
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1939年産のワインを 探そうとされていたのに 気付き、凍りつく思いで
間以上、 曲に及ぶ熱 演を展開された。  私が穐吉さんの演奏を 聴く時にいつもそうであ
ード、ギター、ベース、 もりで出かけたのだったが、 ドラムスのクワルテット 新たな発見も少なから を従え、豊かな歌唱力 ずあって、実りの多い夜 をふんだんに聴かせた となり、終電に近い新幹 上で、義父となる穐吉 線に揺られて名古屋まで さんの現在のパートナー、 帰る間も、演奏会の余 ルー・タバキン氏から直々 韻がやむことなく私の身
「いや結構です。やめて 下さい」と申し上げた「。だ って、飲むためにあるん だもの」と譲らない。と
ったように、この夜も「 」で始まった。
満ちるさ んの絶唱と共に聴かせた。
Untitled,(Detail 108)
セクションとして帯同し
ていたハーブ・エリス(ギ
ター)、レイ・ブラウン(ベ
ース)、 ハード(ドラ
ムス)という豪華メンバ
ーを従えてレコーディン
グ、初アルバム『Amazing のが、冒頭に演奏された
 9月 日、東京・内
幸町のイイノ・ホールで、
穐吉敏子さんの演奏を
聴いた。
 ステージ中央にスタイ
ンウェイのピアノがデンと
置かれ、クラシックのピ
アノ・リサイタルと同じ ょうど 年、人生の先輩 セッティング。だが、ピア に当たる。来たる 月に
ノから発せられる音は、
穐吉さん独特の風雅を
極めたジャズだった。
 穐吉さんには、私たち
のニューヨーク暮らしの間
に何度かアッパー・ウエス
トサイドのタウンハウス
に招かれて、手料理のフ
レンチのコースと、3千
本を超すワインセラーか
ら選ばれた上等なワイン
をご馳走になる光栄に浴
した。初めてお邪魔した
時に、地下のようなフロ
アに注意深く設営された
ワインセラーを案内して
頂いた。
 「内田さん、お生まれ
はいつ?」と聞かれたの
で、「1939」の数字
を英語で答えた。する
と、「あるわよ」。一瞬、 かれていた。それで1時
Village」と続いた。  ここで、ご自分で書い
国際ジャーナリスト 内田忠男  
を振ってまかり通っていた。 んなつまらん曲を」とバ 「この国でジャズをやって カにするのだという。「今 行くには、長い道のりが 夜はルーちゃんがいないか 必要だろうな」という心 ら、やっちゃいます」と言
うとう、1939産のボ 満州に生まれ、大連音 ルドーを引き出された。 楽学校在学中に終戦を
底からの思いで作られた
って弾き始められた。  二つ目は、「若い頃、一 番影響を受けたピアニス トがバド・パウエルだっ た」と言われたこと。確 かにパウエルは、技巧に 優れ、ビバップ・スタイ ルの第一人者ともされた ミュジッシャンだが、一方で は、精神疾患で入退院 を繰り返し、「時々、意 味不明のことを言う」な どと言われていた一面も 持つ。そのパウエルとの 交流について、曲間のス ピーチでかなり詳しく話 された。「パウエルのよう
ってしまった。  終演後、楽屋で伺う と、「風邪をひいて、咳 が出て、とても苦しかっ た」とおっしゃる。私も国 指定の難病と診断され た病身を押して東京ま で往復した身。しかも、 難病鎮圧のためステロイ ドの大量投与を受けた ために免疫力が大幅に 低下しており、感染症 に罹りやすいと言われて いる身でもあって、大変 失礼ながら、風邪をお ひきの穐吉さんに極度 に近づけない不幸も重な
私の人生で、後にも先に も決してない、自分の生 まれ年のワインを賞味さ せて頂いた夜であった。  穐吉さんは、私よりち
迎え、大分県に引き揚 げ。別府市の米軍人向 けダンスホールでピアノ を弾いているうちにジャズ に目覚めて上京。クヮル テットを組んで演奏活動 していたのを、1953 年に来日した伝説のピア
Toshiko Akiyoshi』とな った。
曲だった。  2曲目は、青森県森 田村に依頼され書かれた
は 歳になられる。ステ
ージに登場する時には、 ニスト、オスカー・ピー
目と足元が少し不安の ようでヘルプを必要とし たが、一度演奏を始めら れると、聴き慣れた力強 さが少しも失われていな かった。  メロディを奏でる右手 はもちろんだが、リズム を弾く左手の力強さは 驚嘆に値した。ペダルを 踏む足は、以前のように、 ともするとサッカーボール を蹴るような大きな幅で 振られる。  譜面など全くない。曲 の順番はあらかじめ頭に 入れられていたのだろう が、曲名を並べた紙一枚 が譜面台に無造作に置
ターソンに見出され、著
名なジャズ・レコードのプ
ロデューサー、ノーマン・
グランツにレコード化を
勧めてくれた。グランツ
は後に、人種間の平等
推進の旗手ともなった人
物で、即座に受け入れ、 本人の女の子がいる」と
穐吉さんは言われるまま いう程度の関心しか払わ
にピーターソンのリズム・ れなかったという。むろん、 が、ハズバンドのルー・ たが、敷衍すれば、これ
  年に渡米してバーク リー音楽院に留学。フル・ スカラシップ、初の日本 人学生で、 年には名 誉音楽博士の称号を贈 られている。  卒業後は、アメリカに 留まって演奏活動を始め たが「、はじめの何年かは、 アパート代が払えるか心 配になるほどビンボーだ った」と述懷され、「ジャ ズピアノを弾くヘンな日
組曲「FourSeasons」から 「冬」、そして木更津甚
黄色人種への差別も大手 タバキン氏は「なんでそ
たい場面だったのだろう が、お疲れからか、そう した演出ができなかった。 そして、儀式抜きでアン コール曲「浜辺の歌」に行
らしいフルートの演奏も 聴かせてくれた。共演し たクワルテットも技量豊 かで、特にベースの小泉 克人、ドラムスの平陸は 超一級と思えた。  穐吉さんに娘さんがお られることは、むろん存 じ上げていたが、その演 奏をまともに聴いたこと がなかった。 歳になら れて初めて本格的に聴い た満ちるさんの音楽性の 幅と深さに、ただただ感 動した夜でもあった。  中でも、彼女が暮ら したというニューヨークの ロング・アイランドの先 端にある入江を題材と
句をフィーチャーした「The
た曲を休まれ、ディジー・
ガレスピー、ウオルト・
ディズニー(星に願いを)、
バド・パウエルの曲が並
んだ。合間のお話の中で、
興味深かったことが二つ。
 一つは、ディズニーの「星
の願いを」に穐吉さんは にピアノを弾く女性がい 親しみを持っているのだ る」と言う点で注目され
した「The Sound」に代 表された美しいとしか言
も「ヘンな女性ピアニスト」 という評価のあらわれだ ったという。  この後の3、4曲ほど は、穐吉さんが疲れた のか、曲間のトークもな く、聴き覚えはあるが曲 名がわからなかった。そ して終曲に向かう。こ れも、恒例と言える組 曲「ヒロシマ そして終 焉から」――その最終 楽章「Hope」を、愛娘の
だが、穐吉さんの独演 プ・ダンス(熊谷和徳) は第2部で、第1部は も加わり、賑やかなフィ
私の心に深く刻み込ま かったが、何はともあれ、 れた。また、ステージ後 穐吉さんの演奏を堪能 半には琴奏者の明日佳 し、お顔も拝見できて、 さんが加わって、美空ひ 短いながらもお話ができ ばりがヒットさせた「り たのは幸せなことであった。 んご追分」をジャズにし  ところでこの演奏会 て歌い上げ、最後はタッ
って、長い会話ができな
満ちるさ ナーレになった。 んの舞台だった。キーボ  穐吉さんを見納めのつ
 本来なら、この夜、一 の教えを受けた効果で 体を包み込んでいた。 番ドラマティックに終わり もあるのか、大変素晴 (つづく)
いようのないメロディは、
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