2018年3月16日号 Vol.321

記憶の空白と、その召喚
何気ないモノそれ自体の存在感
「ヤン・ヴォー回顧展」グッゲンハイム美術館


「セオドア・カジンスキーのスミスコロナ社製タイプライター」(2011)と「落札番号12、ベトナム産象牙の彫り物」(2013)
Photo by David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation, 2018


展示風景から「08:03, 28.05」(2009)Photo by David Heald© Solomon R. Guggenheim Foundation, 2018


Massive Black Hoe in the Dark Heart of Our Milky Way, 2018Photo by Manami Fujimori


この2、3年、物故作家や歴史的テーマの展覧会が多かったグッゲンハイム美術館で、久々に現役作家の回顧展が開催中だ。1975年ベトナムに生まれ、デンマークで育ったヤン・ヴォー。コペンハーゲンとフランクフルトの美大でアートを学び、現在はベルリンとメキシコシティに制作拠点を持つ。まさにグローバルに活躍するノマドな作家の代表格だ。
ニューヨークでは、2012年、ニューミュージアム開催のトリエンナーレ展に登場し、同年、革新的なアーティストに贈られるグッゲンハイム美術館主催の「ヒューゴボス賞」を受賞している。翌年の記念展では、ヴォーが尊敬するアメリカ人作家、故マーティン・ウォンの雑貨コレクションを借り集め、新館フロアにぎっしりと並べたものだった。
本展においても、作られたものであるより、ヴォーが集めた古い写真や手紙、色褪せたビロードの緞帳や家具の類がスパイラルを埋めている。それぞれ、何らかの形でヴォーの生い立ちやベトナムの歴史に関わるものが多い。例えば、ベトナム戦争最中の折、アメリカのマクナマラ国防長官が閣議室で使っていたという椅子。あるいは、ニクソン、フォード両政権下で大統領補佐官や国務長官を務めたキッシンジャーによる14通の手紙。
革張りの椅子は無残にも解体され、キッシンジャーの書状は壁面に穿たれたケースの中で、まるで宝石店のディスプレイのごとく輝いている。ホワイトハウスのレターヘッドながら、いずれもタブロイド新聞の劇評家に宛てた私信で、「カンボジア問題を憂慮するより、君が薦めるバレエに行きたいものだ」などと呑気なことが書かれている。歴史の陰の一コマ、個人の日常が生々しくも浮かび上がる。
こうした遺品は、競売や複雑な交渉を通じてヴォー自身が買い集めたものだ。ちなみに、「ユナボマー」として知られるテロリスト愛用のタイプライターは、FBIの放出品だそう。曰く付きの代物が競売で簡単に手に入る(商品化される)というのもアメリカらしいといえようか。
また、ベトナム和平を巡る1973年のパリ協定の舞台となったホテル・マジェスティック(現ペニンシュラ)。協定自体、戦後史に残る重要な外交事例だが、ホテルの名前や大広間の豪華シャンデリアに、いったい誰が注目するだろうか。作家ヤン・ヴォーである。2008年になって、当のホテルが売りに出されていると知るや、ヴォーは関係者を説き伏せ、計3点を7万5千ドルで譲り受けたのだった。
サイゴン陥落の年に生まれたヴォーにとって、戦争の記憶はないに等しい。79年、4歳の時に父が用意したボートで一族郎党、祖国を脱出し、デンマークの貨物船に救助される。その後、シンガポールの難民キャンプを経て、一家でコペンハーゲンに定住した。家財道具はもちろん、写真一枚、持ち出さなかったという父。以後、家庭では、故国のことも戦争時代のことも一切語られることはなかったという。
ヴォーの収集アートのルーツにあるのは、こうした記憶の空白、その召喚だろうか。歴史の中に埋もれていたはずのモノや、他人の手紙にある言葉、名もなき写真家が捉えた日常のイメージを丹念に掘り起こす。作家本人ばかりか、そうした何気ないモノの存在に、見ている自分が反応しているのが分かる。周知の歴史や史実というものをもう一度振り返ってみたい衝動に駆られる。
空間の作りも素晴らしい。一見、スカスカの展示に見えようとも、モノとモノとの間合いといい、観葉植物の鉢植えや小さな鳥かごが不意に登場するさまといい、すべてが美しい。中には、ローマ時代の石像と中世の木彫りの聖像とを合体させたオブジェや、自由の女神の銅像を原寸大で復元し、300近いパーツにバラして一部を展示するという「我ら人民は」なるインスタレーション作品もある。だが、そうしたアート的な試みより、ある時代のある個人にまつわるモノそれ自体の存在が力強い。ライト建築の天井や階段周りなど、ふだん気にかけない場にも、ヴォーならではの「作品」が登場する。(藤森愛実)

Danh Vo: Take My Breath Away
■5月9日(水)まで
■会場:Guggenheim Museum
 5th Ave. (bet. 88th and 89th Sts.)
■大人$25、学生/シニア$18
 12歳以下/メンバー無料
www.guggenheim.org


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