2018年3月16日号 Vol.321

核が必要か否かを考えるキッカケに
「放射線を浴びた〜X年後〜」
映画監督 伊東 英朗


「放射線が危険なものだと知って欲しい」と話す伊東監督


人の心を動かすものは真実だ。芸術も真の輝きがあるからこそ感動を与える。真実が明らかになった時、人は揺るぎない決断力を持ってアクションを起こす。ドキュメンタリーとは真実を伝えるツールだ。ディレクターは信念に基づいて、カメラを回し、真実を捉える。四国愛媛県に生まれた伊東英朗(いとう・ひであき)は真実を追い続けるドキュメンタリー映画監督だ。

映画監督でありTVディレクターである伊東が2004年から追い続けているテーマがある。それは、原爆、原発、核、水爆実験などと切っても切り離せない放射線だ。1942年から始まったマンハッタン計画は45年の原爆投下に繋がり、続く核実験、54年のビキニ環礁水爆実験で被曝した第五福竜丸は氷山の一角で、62年にかけて米国や英国が太平洋で行った水爆実験の数々で被曝したであろう日本人たちは数知れない。このテーマを追い続けているのには理由がある。ビキニ事件における放射線の被害を調査し、報道を続けている人が他にいないからだ。
「僕が止めてしまうと、この調査はストップしてしまいます。放射能がいかに私たちの生活にとって脅威であるかということにみんなが気がついて、事実を突き止めようと動き出してくれる人が出てくるまで、僕がやるしかないと思っているのです」

伊東は元々、奏者になることを夢見てトランペットを演奏していた。養護学校で音楽を教えたかったが、それが実らず、就いた仕事は幼稚園の先生。映像について勉強をしたこともない伊東は、映画監督になるとは夢にも思っていなかった。
「もともと、僕は子供たちに教えることが好きで、幼稚園の先生を16年やっていました。いわゆる公務員です。40歳の時、教育委員会への異動が決まり、現場で教えることにこだわっていたので、退職届けを出しました」
自称「変な人」を名乗るように、幼稚園教師から映画監督になった人間は世の中に数えるほどしかいないだろう。
しかし、全く映像に縁がなかった訳ではない。幼稚園児を教える傍ら、趣味でアート系ビデオを作っていた伊東は、海外へと目を向け、ベルリンやバンクーバーなどの映画祭へ作品を出品、上映されていた。幼稚園を辞めた時、ニューヨークのグッゲンハイムでの個展が決まり、海外進出を目論んだが、二転三転の後にキャンセル。路頭に迷ったが、紆余曲折の後に上京。著名なオーシャン・ブルー・ジャズ・フェスティバルの映像の仕事をきっかけに、テレビ局で仕事を始めた。実は、カメラの撮り方もディレクションの仕方も教えて貰ったことがなく、下手の横好きで、何も知らないまま始めたディレクター業。しばらく東京で映像の仕事を続けたが、本意ではない番組ばかり撮っていた伊東は、めげて故郷に帰り、南海放送に就職。そこには地方のテレビ局だからこそ為せる仕事があった。それが「NNNドキュメント」という深夜番組。自分が欲する企画案をぶつけ、採用された。
現在、シリーズ化されつつあるドキュメンタリー映画「放射線を浴びた~X年後~」のパート1は、2004年から取材開始。高知の高校生が、戦後15年以上にわたって太平洋で行われた水爆実験の被曝者に聞き取りをしていることを知ったことがきっかけだった。以来、伊東は放射能、放射線被曝をした生存者を取材し続けている。長期にわたって追い続ける理由はただ一つ、放射線問題が人命に関わることだからだ。人類の未来を左右することなのだ。
苦労がなかったわけではない。伊東が取り組んできた放射線問題に、福島の原発事故が起こるまで、誰一人関心を寄せる者がいなかった。視聴者は一貫して無反応。辛かった。「実は3・11の2、3年前、取材をやめようと思ったのです。でも皮肉なことに福島がきっかけで、日本人が血眼になって放射能の勉強を始めた。だから継続出来たのだと思います」と静かに語る。
「1954年の事件の時と、全く同じ現象が起こっています。『雨に当たると頭が禿げる』と日本が大騒ぎした後、次第に関心が薄れ、64年の東京オリンピックで国民から完全にその記憶が消え、新聞でも一切、放射能関連のニュースは報道されなくなりました。今回の福島原発の事故も同じ。3・11から9年後に行われる東京オリンピックで、やはり日本人は福島のことを風化しようとしています。国民性もあると思いますが、忘れたいと言う気持ちが後押ししているのかもしれません」
悲観的になるわけではないが、政治に関してアメリカがイニシアチブを持っている日本では、希望が持てない。他人任せかもしれないが、だからこそ伊東はアメリカに期待している。「今の日本にはこれしかない」と言う。
「僕は核実験によって米国大陸にフォールアウトがあったことをアメリカの人に知っ てほしい。 太平洋や砂漠で行われた核実験が自分には関係ないと思わずに、何よりも放射線が危険なものだということを知って頂きたいのです。その(事実を知った)上で、研究者、科学者、メディア、みんなで議論してもらい、決めてもらいたいのです。核が本当に人類にとって必要なものか、否かを」

昨年12月にボストンで「放射線を浴びた~X年後~」を上映したことがきっかけで、化学反応を起こしたかのように、マンハッタンで開催されるNY平和映画祭での上映=関連記事=が決まった。ひたむきに自分を信じて続けてきたことが、少しずつ認知され、アメリカで波紋を起こしている。ここで何かが変わる。伊東の目は今も「X年後」を見据え、カメラをまわす。(河野洋)


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