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レビュー「Cross Transit」
ライブ・パフォーマンスが放つ未来への希望
Akiko Kitamura (All photos credit: © Ayumi Sakamoto)
(l to r) Chy Ratana, Yuki Nishiyama, Llon Kawai, Yuka Seike and Ippei Shiba
(l to r)Yuki Nishiyama, Ippei Shiba, Chy Ratana and Llon Kawai
日本やカンボジアなどで上演され、好評を博してきた舞台パフォーマンス「Cross Transit」。今年3月にメリーランド州タウソン大学でアメリカ初演、続いてワシントンD.C. ケネディ・センターでの公演を経て、3月22日にはニューヨークで初演を果たした。主催は、意欲的で進取的なプログラミングが高評価されるジャパン・ソサエティー舞台公演部だ。
コンテンポラリーダンスシーンの中、独自の活動を続けることで世界から注目される日本人振付家・ダンサーの北村明子。その北村が、日本とカンボジアのアーティストによる国際共同制作プロジェクトとして、2015年から3年の月日をかけて創りあげた本作。作品の構想初期段階から北村は、カンボジアやインド、ミャンマーなどの諸国に自ら足を運び、現地の歴史や人々の日常生活に深く触れることに加え、舞踊や音楽、武術などの文化を精力的にリサーチ。そこで自分が得たものを、この作品の根幹とした。
「Cross Transit」のバックグラウンドは現代のカンボジア。1970年代後半にポル・ポト政権が行った、残忍極まりない大虐殺の痕跡は現在も様々な場所に散見される。しかし同時に「記憶の風化」、つまり、悲惨を極めた国の歴史を実体験として知る人々は減少しつつあり、若い世代には遠い過去の出来事としての認識しかない、という厳しい現実がある。
その「負の遺産」を直視し後世に伝えるため、カンボジアで現在の日常を写真に撮り続けているのが、写真家・ヴィジュアルアーティストのキム・ハク。ハクは、ポル・ポト時代に無残な廃墟となってしまった建築物や、今なおそこに住み続ける人々をファインダー越しに見つめ続ける。写真の多くは日常を捉えており、忌まわしい歴史の断片を想起させるものの、あくまで即物的であり写実的、中には美しく幻想的なものさえある。
「Cross Transit」では、そんなハクが撮り続けた多くの写真を、ステージ後方の大型プロジェクターに連続的に投射しながら、パフォーマンスが進んでいく。
舞台の核となるのは、眼前で展開されてゆく「身体」の動き=ダンスに他ならない。 北村が現地で採集した伝統・民俗音楽をもとに作られた、あるいはこの作品のために書き下ろされた音楽(作曲は横山裕章)が、PAシステムから流れ出る。クメール音楽特有のエキゾチックな響きやフレージングに基づいた音楽、ミニマルでコンテンポラリーなプロセスド・サウンドなど、様々な音響をバックに、北村自身を含む6人のダンサーがある時は動的に、またある時は静的に舞う。
現地でのフィールドワークで綿密に調査・収集した伝統舞踊、そして自身がこれまでに長年にわたって研究・習得してきた様々なダンス言語などをベースとした北村のコレオグラフィーは、決して単なる異文化芸能や伝統芸能の採り入れなどではない。むしろ、斬新でオリジナリティに富んだ独自の芸術として昇華・現出させていることは、特筆に値する。例として挙げるならば、カンボジアの伝統舞踊としてはおそらく最も有名であろう「アプサラ」を想起させる身体動作。あの特徴的な動きでさえ、北村によって、一連の振り付けの中に極めて自然に、有機的に表現されている。また、間の隠微なとり方は禅の静謐さに通じ、特に北村自身が演じたソロパートは、時に能楽などに見られる幽玄の美を呼び起こす。もちろん、そんな瞬間の数々も、独立して主張するようなことはなく、極めてしなやかな連続的な動きの中に融和していた。
ダンサー(川合ロン、北村明子、柴一平、清家悠圭、チー・ラタナ、西山友貴)は、そのほぼ全員がインターミッション無しで、70分以上の長時間にわたって踊り続けるという演出であったが、誰一人として最後まで緊張感を失うことはなかった。彼らの身体能力と集中力の高さは圧巻で見事というほかない。
「Cross Transit」は、 傷ましい過去が緩やかに遠ざかってゆく現代のカンボジアと、そこに儚く移ろいゆく時間を顕現した、ダンス・映像・音楽による総合芸術だといえる。
「Life is nothing. Nothing is permanent. Life is born, grows up and dies… Only memories will remain and be revealed… 」
作品内で、つぶやくように発せられたこれらの言葉が脳裏をよぎる。カンボジアの過去を知る者が吐露する、生への絶望か。しかし、ハクのように、起きてしまった不幸な歴史を、来たる世代へ率直に伝えていこうとする意思が存在する限り、過去の教訓は確かな記憶となって未来へと語り継がれてゆくだろう。そして北村の「Cross Transit」には、「生まれ、育ち、そして死ぬ」という真理を背負って懸命に生きる人間の「身体」による、一瞬の、夢幻とも言える営み=ライブ・パフォーマンスのみにしか放つことのできない、希望の輝きが確かに存在していた。(木川貴幸)
「ニューヨーク公演は特別なもの」と北村
上演後のレセプションで
ニューヨーク公演の初日、3月22日の上演後には出演者を交えたレセプションが開催。舞台の興奮さめやらぬまま、会場には多くの来場者が集った。ダンサーと共に姿を見せた北村氏は、「ダンスへの新しい視座を生んだニューヨークで、アジアからのプロジェクトとして新たな視点でダンス作品を発表できたことは本当に貴重ですし、これまでの公演活動の中でも特別なものになりました。この機会を与えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます!」とコメント。舞台で見せた神秘的なイメージとは一転、多くのファンに囲まれ、リラックスした表情で交流会を楽しんでいた。
取材協力:ジャパン・ソサエティー
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