2018年3月30日号 Vol.322

多様なスタイルで
変幻自在に活躍
「偉大なる飛躍:長谷川等伯の変様」


展示風景から、長谷川等伯「松林図屏風(複製)」(原本は、桃山時代16世紀)Photos by Richard Goodbody


展示風景から、長谷川派「柳橋水車図屏風」(桃山時代17世紀前半)


海外に住んでいても、いや、住んでいればこそ、日本美術のお宝に出会う機会は少なくない。先日も、ボストン美術館で開催中の、村上隆と奇想派を中心とする古美術の展覧会を目にして、ただただ感激した。曾我蕭白の代表作がずらり、伊藤若冲も河鍋暁斎もあった。さらに、国宝級の「吉備大臣入唐絵巻」を初めて見た。すべて同館の所蔵品だが、常設展でこれだけ揃うことはまずないだろう。この特別展をなぜもっと早く紹介できなかったのか。展覧会は4月1日には終わってしまう。
前置きが長くなったけれど、ジャパン・ソサエティー(JS)ギャラリーで開催中の「長谷川等伯」展も、「ウカウカしてはいられませんよ!」のウォーニング付きでご紹介したい。会期中、展示替えがあり、前期登場作品の一部は、4月8日以降は取り外されてしまう。JS創立110周年を記念する、米国初の本格的な等伯展ともなっている。
等伯は、桃山時代の絵師であり、1539年、能登の七尾の生まれ。幼少の頃、当地の染物屋夫婦の養子となり、いずれ家業を継ぐはずだったのが、若い頃から画才を発揮し、30代前半で京都を目指す。ときは狩野派の全盛だったが、やがて千利休や豊臣秀吉に重用され、1590年、ライバルの狩野永徳が没するや、京都画壇のトップに躍り出る。時代は変わり、1610年、徳川家康の招きで江戸に下向するも、旅中、病に罹り、江戸到着後二日目にして病死した。
大河ドラマの主人公にでもなりそうな生涯だが、実のところ、等伯のキャリア、とりわけ能登時代の画業については不明な点が多く、資料なども残っていないという。当初、「信春」として活躍し、長い間、等伯とは別人物だと解釈されていたことも、出自にまつわる神秘性を増していたようだ。
本展には、この信春と等伯とを繋ぐ過渡期の作品と思しき金箔使いの「花鳥図屏風」が、燦然と登場する。署名や落胤があるわけではない。また、ペアであるはずの屏風絵の片方のみで、左の図なのか、右の図なのかも分からない。が、松の木を描いた独特の枝ぶりが、信春時代の「牧場図屏風」の松の木のモチーフと重なっているのだという。
嬉しいことに、この牧場図屏風も本展に並んでいる。起伏ある牧場を駆ける、カラフルな毛並みの馬たちは、スピード感といい、表情といい、お伽話のようだ。同じ部屋にある、中国の水墨画に倣った「瀟湘八景図屏風」の静謐な描写とは、いかにも対照的だ。一方、琳派顔負けの金碧画「柳橋水車図屏風」と「四季柳図屏風」が対置された部屋は、華やかさとモダンさに溢れている。画面を斜めに走る橋、その欄干のジオメトリックな線描やエンボスのように浮き出た水車や籠のモチーフ、まるで20世紀のアール・デコ装飾ではないか。
事前に知らされなければ、複数の画家によるグループ展かと思うほど多様なスタイルで変幻自在に活躍した等伯。その「変様」ぶりの極めつけといえば、本展の最初に登場する「松林図屏風」だろう。等伯の代表作にして、日本水墨画の最高傑作のひとつに数えられている。ざっくりと、うっすらと、墨一色で描かれた松林は、朝靄の中に沈んでいるようだ。近づけば、落書きのごとき乱雑な筆触! そう、本展では、畳敷きの床にむき出しで展示され、立派な座布団も用意されている。
さもありなん。展示品は、キャノンが開発した最先端技術による高精細複製なのだ。原本は東京国立博物館の所蔵であり、国宝に指定されている。おいそれと旅はできない。が、私の心はしょんぼりした。専門家に言わせれば、オリジナルと見分けがつかないほどの出来栄えらしいが、それならば比較したい。本物が見てみたい。
ともあれ、4月12日からお披露目される「竹鶴図屏風」と「松に鴉・柳に白鶯図屏風」は、正真正銘の等伯筆の水墨画だ。いずれも出光美術館からやってくる。また、京都の本法寺に伝わる重要文化財の「日通上人像」と「日尭上人像」も、制作年に30年以上の開きがあるだけに比較の意味で興味深い。まずは海外で見られる作品を十分堪能することにしよう。(藤森愛実)

A Giant Leap: The Transformation
of Hasegawa Tohaku
■5月6日(日)まで
■会場:JS Gallery 333 E. 47th St.
■シングル:一般$12、シニア/学生$10
 前後期共通:一般$20、シニア/学生$16
 ※JS会員/16歳以下無料、毎金曜6-9pm無料
www.japansociety.org


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