2018年3月30日号 Vol.322

版画もメダルも同じ版
新大陸で半世紀
ギャラリーオーナー/キュレーター 満志子


国際眼科科学学会の記念メダルコレクション(岡本太郎の作品−上段右から2つ目)



満志子(ましこ)さんは守備範囲の広いアーティストで、版画、石の彫刻、メダル製作、ブックアートなどを主流として長く活動してきた。ギャラリーには、基本的にメダルアート作品がケースに収められて多数展示されているが、「メダル研究室」と呼ばれる一室には本のミニアチュア「ブックアート」を始め世界中のコレクションやコンサインメント(委託)作品が整然と並んでいる。
満志子さんがかつて石の彫刻を手がけいまだに滑車も残るスペースには、この日、お嬢さんのキュレーションによる劇画アート作品が展示されていた。ちなみに御影石を使った満志子さんの作品は女性解放運動の先駆者ベッティ・フリーダンの墓石として、いまも、ロングアイランド東端、サグ・ハーバーの墓地で故人の眠りに安らぎを与えている。

現在の満志子さんの輪郭をなぞると、ギャラリーオーナー、アーティスト、キュレーターにとどまらず、自ら立ち上げた非営利団体「New Approach」のディレクターとして若手の育成にも力を注ぐ行動派の顔も浮かびあがる。
それらのすべての活動の拠点となっているのが、1993年に満志子さんが創立した「Medialia Gallery」で、所在地は38丁目のウエストサイド。Medialia…Rack and Hamper Galleryというのが正式名称で、名前の一部Rack and Hamper は、ここが長いこと縫製工場だったことを物語っている。
一方、Medialia(メディアリア) という聞きなれない言葉こそが、ニューヨークでも類のないユニークな満志子さんのギャラリーの特徴を言い当てているのだ。この言葉、「Medialia」 は、本来真ん中のAにアクセントが付き、ラテン語の「メダル」という意味だそうだ。

満志子さんを理解するには、生い立ちに目を向けておく必要性があるかも知れない。1941年に満州で生まれ終戦時に一家で引き揚げて京都で育った。日本は「息が詰まりそうなほど窮屈で、気候も身体に合わなかった」と述懐する。子供のころから絵が好きで、中学になると大人に混じって油絵を描き、詩作にふけるほど早熟だった。一方、幼少から近くのノートルダム修道院のシスターにバイオリンを習い、日本語が流暢でない彼らからナマの英語を聞いて馴染んだ。ひそかに育んだのは「いつかこの国を出るだろう」という思いだったという。「大陸の空気を私よりもずっと吸ってきた母はとても理解があり、いつも私に大陸に行きなさいとすすめ、後年、こちらにいる私が日本に帰りたいと言うと、帰るなという人でした」
大陸の方向ははるか東へずれ、1962年にニューヘイブンの土を踏む。「当時は簡単に渡米なんか出来なかった時代です。スポンサーになってくれる身元保証人が現地にいること、さらに持ち出せるドルは100ドルまでと、制約はほんとうに厳しかった」と満志子さん。オペアプログラムの保証人になってくれたアメリカ人家庭での子守り、それが最初の仕事だった。マンハッタンに移ったのは1964年のこと、まるで宇宙に繋がるような魅力に満ちた人造の砂漠に見えたと当時の印象を反芻する。
「それからはブルックリンミュージアムのアートスクールに通い、英語がまだ充分じゃないうちから子供たちに彫刻を教える仕事を得ました。私、なんでも実践で学ぶタイプなんですね(笑)」。シビアなアメリカ人の生徒から反抗的な洗礼を受けたこともあるが、いつでもディレクターが満志子さんの仕事ぶりを認め護ってくれたことが今は懐かしい思い出だという。

メダルとの出会いはこうだ。「当時の私のアートの主流は立体が主流だったので、平面の版画では自分が納まらなくなってきたのね。私の頭の中では、版画もメダルも同じだったんです」。たしかにメダルも版画と同じように数を作り、同じ作品が別のコレクターに所有されるという点で同じだ。
「当時、私、毎年自作のグリーティングカードを作って友人・知人の送っていました。受け取った人が組み立てられるようなものです。しだいにエスカレートし、増えに増えて450枚くらいに。紙の材質を選ぶのも大変で馬鹿らしくなってやめました。すると、カードの受け取り手の中に女性のメダル作家の知人がいて、『メダル協会に入れ』と誘うんです。私、嫌だと言いました、興味を感じなかったんです」
この女性が、レオンダ・フロエリッチ・フィンクだ。「私の非営利団体ニューアプローチが主催、メディアリア・ギャラリーが後援している、メダルアートの普及と、若いキュレーターの援助を目的とした国際公募による「国際新進作家メダル展」を実施していますが、レオンダの名前を冠した賞もあるんですよ」
1994年から2012年までフィラデルフィアの美術大学で学生に石の彫刻を指導したが、2004年に同大学にメダル彫刻コースを開設。ひとがあまりやらない分野で次々と新たな企画を展開し、満志子さんは、ANA (American Numismatic Association=アメリカ貨幣協会)始め、メダルや古銭関連の団体から数々の賞を得ている。一度はメダル協会への入会すら拒否した満志子さん、いまや、メダルアート界で屈指のキュレーターとなった。
この大陸を選んで56年の歳月、若干の方向転換はあったものの、ぶれのない生き方に舌を巻くほかない。(塩田眞実)

Medialia … Rack and Hamper Gallery
Medialiagallery.com



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