2019年8月23日号 Vol.356

弱者を襲った社会の不正義
語られざる物語
バスキア「ディフェイスメント(汚損)」


Jean-Michel Basquiat, The Death of Michael Stewart, 1983 © Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York. Photo by Allison Chipak. © The Solomon R. Guggenheim Foundation


David Hammons, The Man Nobody Killed, 1986 © The Museum of Modern Art. Licensed by SCALA/ARS New York


(左)Card for benefit at Danceteria, October 3, 1983.Photo by Allison Chipak © The Solomon R. Guggenheim Foundation
(右)Jean-Michel Basquiat, La Hara, 1981© Estate of Jean-Michel Basquiat. Licensed by Artestar, New York


この秋、開館60周年を迎えるグッゲンハイム美術館では、新企画が続いている。タワー館の最上階で開催中のバスキア展もそのひとつだ。
バスキアとは、1988年、27歳の若さで亡くなった画家ジャン=ミシェル・バスキアのこと。70年代後半、ソーホー界隈に出没するグラフィティアートで注目を集め、1980年、伝説の「タイムズスクエア・ショー」で一躍アート界の寵児に。ピカソの再来ともいうべき野性味溢れるキャンバス画には大物画商が群がり、10年にも満たないそのキャリアのなかで3000点を超える作品を残したと言われる。
本展はしかし、バスキアのある一点に絞ったもの。それは、現実の事件に反応した、バスキアには珍しい試みで、1983年、画家志望の黒人の若者、マイケル・スチュワートを襲った、いまでいう「警官の暴力」を扱った作品だ。
細身でイケメンのスチュワートは、モデル稼業で生活を支えながら、当時、イーストビレッジに念願のスタジオを借りたばかりだった。9月の深夜、ブルックリンの自宅に戻る道すがら、交通警察に補導される。地下鉄駅構内にグラフィティを描いたことが理由だったが、実際には、落書きの形跡はなく、白人の女友達と別れ際、キスをしたことがお咎めの発端だったらしい。こうして、Lトレインの一番街駅で袋叩きにあった彼は、二週間後、意識を取り戻すことなく亡くなった。
この無残なニュースは、アート界を震撼させた。誰より恐怖を感じたのは、バスキアだった。83年といえば、ウォーホルの持ちビルにスタジオを構え、共同制作が始まった頃。金銭的にも成功を収め、破竹の勢いだったが、白人主体のアート界で孤立感はあったはずだ。いや、アート界では守られていても、行く先々のホテルやレストランで差別を受けることは珍しくなかった。タクシーも止まってはくれない。
スチュワートの非業の死は、同じアフロの髪を持つ「僕の身に起こったことかも知れない」。そう感じたバスキアは、事件からほどなくして、「ディフェイスメント」の文字が踊る一枚の絵「マイケル・スチュワートの死」を生み出す。この絵は実は、盟友キース・ヘリングのスタジオの壁に直接、マーカーとアクリル絵の具で描かれたもので、ヘリングはスタジオ移転の際に、この絵の部分だけ切り取って額に収め、自室に飾っていたという。
額縁は、滑稽なほど仰々しい。こぶりの絵自体もいかにも落書き風で、バスキアの代表作とは言い難い。が、当時の背景が分かれば分かるほど、この絵の意味、いまこうして在ることの重要さに気づかないわけにはいかない。ひょろっとした黒いシルエットは、スチュワートやバスキアといった特定の個人であるより、社会の不正義に直面する弱者の姿だろう。その状況は、40年近く経ったいまも変わらない。
本展が生まれた背景も特別だ。メジャーな美術館が在野のキュレーターの企画を取り上げることは珍しいが、バスキアのこの1点に最初に注目したのは、シェイドリア・ラブービエという雑誌記者でバスキアの研究者、さらに言えば黒人女性である。グッゲンハイムは、ラブービエと共同で当時の資料や関連作品を集め、多くの作家の声を取り上げることになった。
展示には、スチュワートと事件の夜、一緒だったという画家ジョージ・コンドーの珍しくシリアスな絵画2点が登場する。キース・ヘリングの大作は、まさに殉教死するスチュワートの全裸の姿だ。一方、初期のバスキア作品には、すでに警官をモチーフにした絵画が複数あり、「ニグロのポリス」「ラハラ(アイルランド出身の警官に多い苗字オハラに由来)」「シェリフ」といった題名にも、作家の皮肉や葛藤が込められているようだ。
今回のバスキア展は、こうしたパーソナルな読みや時代背景を提示することで、バスキア作品の新しい見方を示すことになった。同時にまた、開館60周年を機に、よりオープンで「インクルーシブ」な取り組みを目指すグッゲンハイムの姿勢が見て取れる。その意味では、タワー館の他の展示も、スパイラル本館の展示も同様だ。この夏、もっとも充実した企画に溢れる美術館。週7日オープンである。(藤森愛実)

Basquiat's "Defacement": The Untold Story
■11月6日(水)まで


Implicit Tensions: Mapplethorpe Now
■2020年1月5日(日)まで


Artistic License: Six Takes on the Guggenheim Collection
■2020年1月12日(日)まで


■会場:Solomon R. Guggenheim Museum
 1071 Fifth Ave. @ 89th St.
■大人$25、学生/シニア$18
 メンバー/12歳以下無料
www.guggenheim.org


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