2019年9月6日号 Vol.357

国民的小説が舞台に
アメリカの「良心」とは
「アラバマ物語」


スカウト役のシリア・キーナン・ボルジャーはトニー賞を受賞 Celia Keenan-Bolger & Jeff Daniels. All photos by Julieta Cervantes


アティカス役のジェフ・ダニエルズの出演は11月3日まで Jeff Daniels


左手が動かないトム(ベンガ・アキナベ)には不可能な犯罪で有罪に Gbenga Akinnagbe


人種的不公正という深刻な社会問題を扱った演劇作品がブロードウェイで大ヒット中だ。ハーパー・リーによる1960年出版の小説を原作とした「アラバマ物語」は、昨年12月の開幕以来、アメリカの演劇作品の売上記録を更新し続けている。
作者の少女時代の実体験をもとに、公民権運動以前の理不尽な人種差別を描いた物語には「Black Lives Matter」が叫ばれ、白人至上主義者の銃乱射事件が頻発する現代のアメリカに住む私たちも向き合うべきテーマが語られている。

1934年、人種差別が色濃く残る南部アラバマ州。少女スカウトは兄のジェム、弁護士の父アティカス、黒人の家政婦カルパーニアと暮らしている。家から出ない隣人のブー青年は、子どもたちの好奇心の的だった。
アティカスは、白人女性をレイプしたとのぬれ衣を着せられた黒人青年トムを弁護することになる。彼はトムが無実である証拠を提示して公正な判断を求めるが、全員白人の陪審員が下した判決は有罪。逃亡を試みたトムは無残に射殺されてしまう。
被害者の父親ボブは白人至上主義者の飲んだくれで、、実の娘をレイプしたのは彼だった。白人でありながら黒人の弁護をしたアティカスへの恨みからスカウトとジェムを襲うが、ブーがボブを刺し、子どもたちを救う。保安官たちはたとえ正当防衛でも精神を病んでいるブーを法で裁くのはしのびないと考え、ボブの死を事故として扱うことを決めるのだった。

原作はベストセラーとなりピューリッツァー賞を受賞、グレゴリー・ペック主演で1962年に映画化もされた。原題の「To Kill a Mockingbird」は直訳すると「マネシツグミを殺すこと」、つまり無害な存在に無慈悲な行為をすることは罪であるという意味で、無実のトムの射殺や、ブーを法廷に引きずり出すことについて比喩的に使われている。
法廷ドラマに焦点を置いた舞台版の脚本はベテランのアーロン・ソーキン(「ソーシャル・ネットワーク」)。制作中、リーの遺産管理人が原作から逸脱しすぎていると制作サイドを訴えたほど、脚本に工夫を凝らした。演出は「王様と私」のバートレット・シャーで、クリエイティブ、俳優ともトップクラスの布陣が揃い、叙情性のある舞台を作り上げた。
通常、ミュージカルより集客の難しい演劇作品が成功している理由は、まず原作小説の知名度の高さにある。アメリカでは高校の授業で使われることも多く、日本で言うと夏目漱石の「こころ」のような存在らしい。加えて、高潔なアティカス・フィンチは「アメリカの良心」を体現した人物として絶大な人気を誇り、アメリカ映画協会が選んだ「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」でヒーロー部門の堂々1位を獲得。グレゴリー・ペックの端正さとは異なるものの、ジェフ・ダニエルズは人間らしさを前に出して好感が持てた。
しかし、「アラバマ物語」は結局のところ白人男性の礼賛物語だという批判もある。事実、黒人に対する救いもなければ、どの人物も表面的で、現代ではタブーの「ニガー」という差別用語が多用される点も問題視されている。舞台版は黒人のトムとカルパーニアの人物像を膨らませ、アティカスのヒーローぶりをトーンダウンしてはいるのだが、物語の根本は変えようがない。トム役のベンガ・アキナベは、「舞台の上で人種差別主義者に殺される私の痛みは、白人の観客には理解できない類のもの。共有できるのは黒人の観客だけだ」と語っている。
この舞台が配慮を重ねて作られたことは疑うべくもないが、白人主体の観客が熱心にスタンディングオベーションを送る中、人々の心に残るのはヒーローの白人男性の姿なのか、人種差別への怒りなのか、考えずにはいられなかった。

アティカスが「相手の立場になって考えること」とスカウトを諭すシーンがある。「アラバマ物語」に込められているいちばん大切なメッセージは、この台詞なのかもしれない。(高橋友紀子)

To Kill a Mockingbird
■会場:Shubert Theatre
 225 W. 44th St.
■$39〜
■上演時間:2時間35分
tokillamockingbirdbroadway.com



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