2018年11月16日号 Vol.338

抽象絵画の先駆者か…
自らの神秘的体験を記録
「ヒルマ・アフ・クリント:未来の絵画」

ヒルマ・アフ・クリント
Installation view of The Ten Largest, 1907, from The Paintings for the Temple. Photo by David Heald

ヒルマ・アフ・クリント
Group 1, Primordial Chaos, No. 16, 1906-1907, from The WU/ Rose Series. Photo by Albin Dahlström, the Moderna Museet, Stockholm

ヒルマ・アフ・クリント
Tree of Knowledge, No. 5, 1915, from The W Series. Photo by Albin Dahlström, the Moderna Museet, Stockholm


ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)。このちょっと不思議な響きを持つ名前の女性画家は、スウェーデンに生まれ、同じ北欧の画家エドヴァルド・ムンク(1863〜1944)と同世代である。が、ムンクの「叫び」が世界的に有名な絵だとすれば、アフ・クリントの場合は、作品はもとより名前すら知られないままだった。しかし、ここ数年、彼女の神秘的な作品群に対する関心が高まり、「抽象絵画の先駆者では?」との議論さえ生まれている。
アメリカ初の回顧展となった「ヒルマ・アフ・クリント:未来の絵画」展は、この点でタイムリーな展覧会だ。10点組の絵画連作には、円や曲線、放射線、花びらや果物の横断面を思わせる有機的モチーフが飛び交い、ところどころにアルファベットの文字さえ見える。制作年が1907年であることを思えば、なるほど革新的。カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチらの抽象画より、数年早い試みだ。
とはいえ、アフ・クリントがこれら美術史の巨匠たちを真に脅かす存在であるかどうかは、まさに議論の余地があろう。というのも、シンボリックなモチーフや紙にテンペラという素材、薄い塗りの表面など、イラスト的な要素も強く、色と形態による純粋抽象の探求というよりは、別世界の創造物に見える。実際、私の目を奪ったのは、抽象画云々の問題より、そのデカさだった。画面は縦3メートルを超えている。20世紀初頭にこんなサイズの絵画があったとは! いったい彼女のアートはどこからやって来たのか。
アフ・クリントは、ストックホルムの王立美術アカデミーに学び、卒業後もアトリエを貸与されるほど優秀な生徒だった。10代の頃から神秘主義思想に傾倒し、「セアンス(降霊会)」の集まりに参加。早くに妹を亡くしたことも、死後の世界や不可視の世界に強く惹かれる動機となったようだ。もとより、世紀末のヨーロッパでは、「神智学」や17世紀ドイツに遡る「薔薇十字団」など、一種のスピリチュアリズムが流行し、芸術思潮にも大きな影響を与えていた。
1896年、アフ・クリントは、親しい女性画家たちとともに「ザ・ファイブ」を結成する。5人は定期的に集まり、祈りや瞑想を経てより高い次元の存在との交感を求め、その体験をノートやスケッチブックに記していった。彼女たちにとって絵を描くとは、目に見えるものの描写ではなく、神秘的体験の記録だったのだ。こうして、大いなる力に導かれ、さまざまなシンボルや記号が生み出されていく。
あるとき「寺院を建て、絵画で埋めよ」とのお告げがあり、みなが尻込みするなかでアフ・クリントだけがこのお告げに応え、「寺院のための絵画」の制作に着手する。1906年から15年にかけて193点もの絵画が生み出され、前述した10点組の大作は、このシリーズの代表作だ。鮮やかな青が基調の「原初のカオス」や淡いピンクに楕円形が揺れる「エロス」の連作など、小品のドローイングも独創的。また、「知識の木」と題された、左右対称のちょっと不気味なイメージの連作もあり、「祭壇画のための絵画」と題された3点の大作が、このシリーズの最後を締め括る。
1916年以降、20年代の絵画は、グリッドや円、色の帯など、より抽象的な構成となり、晩年は、絵の具のシミが広がるような抽象表現主義風の画面に転じている。まさに美術史の先を行くようなアフ・クリントの絵画はしかし、パリやニューヨークの画壇とは縁がなく、生前、ただ一度ロンドンで発表されただけだった。また、死後20年間は作品を公開しないようにとの本人の希望もあり、甥に託された1000点を超える絵画、125冊のスケッチブックが日の目を見たのは、実に1988年のことだった。
アメリカでは、96年に初めてスピリチュアルなアート展で一部が紹介され、近年はアウトサイダーアートの隆盛とともに国際展にたびたび登場し、現代作家の熱い視線を浴びている。括りはどうあれ、彼女の絵画は確かに「未来」に向けてのアートだったのだろう。いや、当時から100年を経たいまもエソテリックでエニグマティック。アフ・クリントの絵画世界はまだ遠い先にあるようだ。(藤森愛実)

Hilma af Klint: Paintings for the Future
■2019年4月23日(水)まで
■会場:Solomon R. Guggenheim Museum
 1071 Fifth Ave. at 89th St.
■大人$25、シニア/学生$18
 12歳以下無料、土(5pm-7:45pm)随意
www.guggenheim.org


HOME