2022年12月16日号 Vol.436

グラセンターミナル
創設110年の歴史

ロングアイランド鉄道(LIRR)のグランドセントラル・ターミナル乗り入れがいよいよ始まるこのタイミングで、百年以上に及ぶこの駅の歴史を振り返ってみよう。一度は崩壊の危機に瀕しながらも存続し、これからさらに発展しようというこの駅。歴史を知ることでより愛着も湧くというものだ。(佐々木香奈)


グラセン前身のグランドセントラル・デポ

やっとMTAの所有に

正式名称はグランドセントラル・ターミナル。以下グラセンと省略させてもらう。開設は1913年。2023年で110歳になる。この公共施設とも言える巨大な駅舎は、実は開設時からつい最近まで私有物だった。ニューヨーク州メトロポリタン交通局(MTA)の所有となったのは、世紀のパンデミックが始まろうとしていた2020年3月だ。

前身グラセン・デポ

アメリカで初めて蒸気機関車が走ったのが1830年。グラセンの前身であるグランドセントラル・デポ開設は、南北戦争(1861〜65年)直後の1871年だ。

海運業で起業し、鉄道業も手掛けた実業家コーネリアス・バンダービルトの全盛期で、所有していた3つの鉄道会社それぞれの3駅を一ヵ所にまとめるために建設したのが、グランドセントラル・デポだ。
現在のグラセン構内にあるバンダービルトホールや上層階のバンダービルト・テニスクラブ、駅西側のバンダービルト・アベニューも、全てコーネリアス・バンダービルトにちなんだ命名。いっそのことバンダービルト駅でも良さそうな勢いだ。

このバンダービルトの末裔がCNNのキャスター、アンダーソン・クーパー。歴史書に残るご先祖さまの顔写真を見ると、鼻のあたりがアンダーソンとよく似ている。


ターミナル工事中(撮影1912年)





蒸気機関車の終焉

デポの時代、線路はまだ路上にあった。そのため今の45丁目あたりが事故多発地帯となり、行政が介入。地下線路用のトンネル工事を行うも、蒸気機関車ではトンネル内に煙が籠った。線路の地下化と駅舎改造の後、1900年には「グランドセントラル・ステーション」と改名されたが、その2年後には、結果的な転機となった地下トンネル内列車衝突事故が起こる。霧と蒸気機関車の排気がもたらした悲惨な事故で、15人が死亡。これを機に、鉄道システムの迅速な電化が叫ばれ、1904年には早くも、新たな「ターミナル」に向けての改装工事が始まった。


現在のグランドセントラル駅 Photo by Eric Baetscher

大胆な未来駅構想

現在のグラセンを実現したのは、当時のニューヨーク・セントラル鉄道のエンジニア、ウィリアム・ウィルガスだ。実現への逆風は凄まじかった。何しろわずか2年前に「グランドセントラル・ステーション」と改名したばかりのタイミングで、ウィルガスが提案したのは「駅舎の全壊と鉄道の電化」。

しかも、今後の人口増加を前提にした「当面のニーズではなく、未来のニーズに対応した規模。通勤客と旅行客を分けるためのプラットフォームの2層構造」など、その構想は当時では考えられない大胆かつ無謀なものだった。今思うと、「よくぞやってくれた」となるが、当時この無謀な構想を認可する英断を下したのは、創始者バンダービルトから駅の所有・経営を引き継いだ孫2人と、ウィリアム・ロックフェラー、金融王JPモルガンだった。

鉄道の電化も時代の流れで、ニューヨーク市郊外の人口が増えれば当然通勤客が増える。発車時の加速に時間がかかる蒸気やディーゼル車はもともと、一度発車したらしばらく止まらない長距離向け。迅速に加速できる電車の方が通勤目的には適していた。

さて、この新駅舎の建設工事は、今に至るもニューヨーク市史上最大規模。1913年のグラセン開設までに要した年月は9年だ。


グラセン開設当時にあった映画館の名残り(構内の酒屋で2019年撮影)

レッドカーペット時代

グラセンのオープン当時、長距離旅行客は皆正装していた。プラットフォームにもいわゆるレッドカーペットが敷かれた時代で、駅構内には映画館や画廊もあり、女性用のトイレは高級ラウンジ仕様という具合だった。

重鎮客用の「秘密の通路」は有名な話。61番乗り場にはウォルドルフ・アストリアホテルまでの秘密の通路があり、F・ルーズベルト大統領が頻繁に利用したと伝えられている。

グラセンとジャッキー

そのグラセンも1960年代に入ると老朽化が激しく、経営も赤字続き。壊されずに今も存続するのは、歴史的建造物指定の法律と、元ファーストレディー、ジャッキー・ケネディー・オナシスの努力による。
当時のグラセン所有者ペン・セントラル・トランスポーテーション社は、駅を全壊して高層ビルを建てようと市に法改正を訴え、歴史的建造物指定の撤回を模索していた。一度はその訴えが法廷で通ったくらいだ。歴史的建造物をめぐる訴えで、連邦最高裁までもつれ込んだケースは、米国史上で唯一、このグラセンだけ。

ジャッキーが立ち上がらなければ、今頃この場所には味気ない高層ビルが立っていたかもしれない。ジャッキーの功績は、グラセン構内に刻まれている。バンダービルトホールにあるスライド展示を一度見てほしい。


2022年5月31日、工事が続くコンコースで、それまで「イーストサイド・アクセス」と呼んでいたプロジェクトを、「グランドセントラル・マディソン」と命名すると発表したホークルNY州知事(Photo by Kevin P. Coughlin / Office of Governor Kathy Hochul)

そして未来へ…

グラセンはまだまだ進化する。2007年に工事が始まったLIRR東の玄関口プロジェクトは、クイーンズのサニーサイド→63丁目→レキシントン・アベニュー→グラセンというルート。2019年にはマンハッタン内のトンネル工事は完了しているのに、おそらくはグラセンの所有権も絡み、駅や乗り場工事の着工が遅れたのだろう。

遅延に次ぐ遅延の後、やっと2022年暮れの開通。今後、通勤事情も改善され、それを受けて都市計画がどんな転機を見せるか楽しみだ。

■グラセン構内を巡る歴史ツアー(有料)
https://nyc.docentour.com
1 > 2
<2/2ページ>


HOME