2018年12月21日号 Vol.340

アートの価値

今年最大のアート界の話題といえば、オークション会社「サザビーズ」を舞台にしたお騒がせアートだろう。バンクシーの「少女と風船」のキャンバス画が、140万ドル(約1億5500万円)もの高値で落札された直後、下半分が自動的に細断されてしまったのだ。いったい誰が、何の目的で? どんな仕掛けがあったのか? 会場内のざわめきはSNSで瞬時に世界に流れ、バンクシーの名もこの作品も、一夜にして「モナリザ」級の知名度を得ることになった。そのため、「作家とサザビーズによる周到なメディア戦略だったのでは」という憶測はいまも消えない。然るに、アートの価値とは金額や話題性だけで決まるものなのか? この秋のオークションの動きを例に考えてみよう。 (藤森愛実)

バンクシー
Banksy, Love is in the Bin, 2018. Image courtesy Sotheby's


2018年10月5日、ロンドンのサザビーズで起こったハプニングは、まさに前代未聞だった。バンクシーは、イギリス生まれのストリート・アーティストで、1990年代前半より活動しているが、本名も素性も隠されたままだ。英王室を揶揄したり、難民問題やパレスチナ紛争など社会問題に言及したりと、可愛い絵柄にちくりとした批判の言葉が入る「落書き」は、世界各地の街角や公共物に出没する。が、内容よりも描く場所の違法性によって、当局にすぐさま消されてしまうことが多い。

そのため、筆者を含め「バンクシーを見たい!」と思う隠れファンは多いはずだ。もとより、活動資金を稼ぐため、人気の絵柄を版画にしたり、キャンバス画に複製したりもしている。今回の「少女と風船」の絵は、2002年にロンドン市内の商店街に登場した壁画だったが、2006年、ロサンゼルスの倉庫を使った展示即売会「かろうじて合法的」の際に、古風な額縁をつけた絵画として再デビューしたのだった。

バンクシーはこのとき、厚さ18センチもある額縁の中に遠隔操作で作動するシュレッダーを仕込んだのだという。その行為には、いずれこの絵がオークションに出回ることを想定し、現代アートの高騰ぶりを茶化したいという衝動が潜んでいたのだろう。時代は、リーマンショック前のアートバブルの頃だ。実際、当時の作品には、オークションの賑わいを描写した中に「お前ら低能がこんなクソ絵を買うとは信じられないぜ」なる辛辣なコメント入りの連作がある。

が、考えてもみよう。2006年に仕込んだ電池が10年以上を経て作動するものだろうか。また、真贋や保存状態のチェックのため額縁は必ず外してみるはずのサザビーズが、まったく気づかなかったのは不思議だ。売主がバンクシー本人か関係者であったなら、「額縁も作品の一部なので外さないで欲しいと、作家スタジオから頼まれた」というサザビーズ側の説明に納得がいく。が、オークションは通常、作家と直接取引はしないものだ。

ともあれ、この騒動の最中、バンクシーはインスタグラムに動画を発表し、シュレッダーを仕掛けた様子を披露。ピカソの言葉「破壊も創造のうち」に倣って、細断されたキャンバスを新たな作品として認知し、「愛はゴミ箱の中に」なる新タイトルまで発表した。この用意周到な対応こそ、バンクシーお得意のPR戦略と言われる所以だが、そこにはこの作家の一貫した批判精神をみないわけにはいかない。なぜいまオークションなのか。

それはたぶん、昨年秋、4億5000万ドル(約510億円)もの天文学的数字をつけたレオナルド・ダ・ヴィンチの板絵「世界の救世主」を睨んでのことではないのか。この絵は、いまだ学者の間でも真のダ・ヴィンチ作かと議論が分かれている。たとえ本物であるにせよ、この金額は馬鹿げている。正直、アートがこれほど遠く隔たって見えたことはない。が、支払う人がいる限り、アートはこんな途方もない金額になり得るということだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
Leonardo da Vinci, Salvator Mundi, c. 1500. Image courtesy Christie's

オークションによる価値づけ
「スペクタクル・バリュー」

美術作品の価値には通常、「モネタリー・バリュー」「ヒストリカル・バリュー」「イントリンシック・バリュー」があると言われている。簡単にいえば、「市場価値」「美術史的価値」、そして「作品本来の凄さ、素晴らしさによる価値」である。が、昨今のオークションによる価値づけは、もうひとつのジャンルを生み出したと言っていい。「スペクタクル・バリュー」である。

サイズであれ、贅沢な素材であれ、スター作家の名前であれ、見世物的なスペクタクル・アートが人気を集め、富裕なコレクターが競って買い漁っている。彫刻作品など、同じシリーズの色違いをコレクター同士で分け合っているのが現状だ。だが、興味深いことに、こうした作品や作家が世界のメジャーな美術館に常設展示されることはあまりない。よくて、館内ロビーや野外庭園を飾る、文字通り看板アートとしての存在が強いようだ。美術館の理事たちとオークションのプレイヤーたちは、往々にして重なっているので、こうした看板アートが消え去ることはないだろう。が、作品本来の価値や美術史的重要性を見極めるキュレーターや批評家、真摯なコレクターがいる限り、アートの価値づけは一応バランスが取れていると言っていい。

肝心のオークションに話を戻せば、オークション・ハウス三番手のフィリップスの動きが、この価値づけの醍醐味を見せてくれる。老舗サザビーズとクリスティーズの存在があまりに大きいために、フィリップスの存在はそれほど知られていないだろう。実際、一回のオークションの総売上は、老舗二社が扱う巨匠作品1点の最高価格にも届かないほどなのだ。つまり、現代美術の「イブニングセール」という表舞台であっても、まだ若い作家の作品が目立って多い。

この秋のトップバッターは、マイアミ拠点の画家クリスティーナ・クゥアレスだった。私が初めて彼女の作品を見たのは、2017年秋に開幕したニューミュージアムの「トリガー」展である。どの展示も一様にぱっとしない中で、この女性画家の作品だけが目に入った。人物画と抽象の要素が巧みに溶け合い、色や構成がリズミカル。同年12月のマイアミ・フェアでは、地元の画廊で新作展が開かれた。そのときの1点がはやオークションに登場したのである。落札価格はなんと22万5000ドル。わずか1年足らずで当時の売値の10倍近くに跳ね上がったわけだ。

コマーシャルとファインアートの世界を行き来するコーズ(KAWS)もまた、近年、価格急上昇のスター作家のひとりだ。本名はブライアン・ドナリー。アニメ業界で活躍し、マンハッタンのバス停の写真に介入するグラフィティで注目され、以来、4文字のタギングを通り名としている。フィリップスでは、絵画作品が270万ドルで落札され、人気のキャラクター「コンパニオン」の彫刻作品は約200万ドルの値をつけた。この12月のフェア「マイアミ・バーゼル」では、3点組のシルクスクリーンに開幕わずか15分で100人以上が列を作り、画廊は急遽、抽選で購入者を選んだという。3点組とはいえ、セット価格6万5000ドルの版画とはかなり高額だが、「KAWSはいまが買い時。いい投資になる」のだそうだ。

リスティーナ・クゥアレス
Christina Quarles, Beautiful Morning, 2017. Collection of Craig Robins, Miami(「トリガー」展出品の作品で、オークション落札作品とは異なる)Photo by Manami Fujimori

コーズ
(left) KAWS, Clean Slate, 2014. Image courtesy Phillips. (right) KAWS, Untitled (Fatal Group), 2004. Image courtesy Phillips

天井知らずの価格
絵画購入は「投資」か?

クリスティーズの目玉となったのは、イギリス画壇の巨匠にして、さきのメトロポリタン美術館の回顧展でも人気を集めたデイヴィッド・ホックニーの代表作「アーティストの肖像(プールと二人の人物)」である。大方の予想通り、これまでの現役作家の最高値であるジェフ・クーンズの彫刻「バルーンドッグ」の5840万ドルをはるかに超える9030万ドルで落札された。数字はともかく、この絵はやはり素晴らしい。プールの水面に反射する光、その柔らかさと明るさとが見る者の目を奪う。掲載図版から想像していた絵とはまったく異なる色と光に圧倒される。同様に、アメリカの国民画家エドワード・ホッパーの「チョプスイ」に広がる鮮やかな色の粒、画面の緻密なマチエール。こちらもまた、9188万ドルという作家最高価格を記録した。

一方、バンクシー旋風ですっかり名を挙げたサザビーズは、ニューヨーク・オークションでは、ルネ・マグリットの珍しい絵画で話題を集めた。シュルレアリスムの代表格マグリットのアートには、昼だか夜だか分からない風景や、顔全体がスカーフに覆い隠されたまま口づけするカップルなど、奇妙な絵が多い。今回登場の作品も、顔全体が強烈な閃光に覆われた男の肖像だ。モデルは、イギリス貴族の末裔にして、詩人でもあり、ダリやマグリットらシュルレアリストたちの有力パトロンだったエドワード・ジェームズ。この40年近く個人コレクターの手元にあり、画集でも見る機会の少なかった貴重な作品は2680万ドルで落札され、マグリット作品としては新記録となった。

ところで、この秋のオークションでは、シカゴ在住の画家ケリー・ジェームズ・マーシャルの1995年の大作にも注目が集まっていたが、セールの直前になって作品は取り下げられた。というのも、「知識と驚異」と題された、幅7メートル近いこの作品は、いま現在もシカゴの公共図書館を飾り、作家自身パブリックアートの一環で制作したものだったからだ(市は、注文制作にあたってマーシャルに1万ドルを払っている)。

市長が今回、この作品を売却することで図書館の拡充を目指した背景には、ここ数年のマーシャル作品の高騰がある。マーシャルは、市内サウスサイドにある黒人居住区を拠点に一貫してアメリカ黒人の日常や歴史を描いてきたが、近年とくに歴史画的スケールの絵画に注目が集まり、世界トップのデイヴィッド・ツヴァーナー画廊に移籍。この春はメトロポリタン美術館での回顧展が大成功を収めた。そうしたお墨付きもあってか、この春のサザビーズのオークションでは、97年の絵画が2111万ドルで落札された。売主はシカゴのイベント会社であり、当時2万5千ドルで購入した作品が、実に850倍もの値をつけたのである。

図書館の壁画の売却について、マーシャルは表立った批判は避けたものの、「今後、パブリックアートの制作には関わらない」旨の声明を出し、これが引き金となって市長はオークションにかけることを諦めたという。この話、私にはどこかバンクシーのお騒がせ的抵抗に通じるところがあるように思えるのだ。

アートは「プライスレス」。金額より、あるべき場所にあってこその価値なのではないだろうか。

デイヴィッド・ホックニー
David Hockney, Portrait of an Artist (Pool with Two Figures), 1972 Photo by Manami Fujimori

ルネ・マグリット
Edward Hopper, Chop Suey, 1929. Photo by Manami Fujimori

コーズ
René Magritte, The Pleasure Principle, 1937. Image courtesy Sotheby's

コーズ
Kerry James Marshall, Past Times, 1997. Image courtesy Sotheby'ss


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