よみタイムVol.7 2005年8月12日号掲載


  スタッテン島動物園 キュレーター 川田健

日米40年にわたる我が動物園人生

アメリカの6つの動物園で36年間勤務し、今年末ニューヨーク市スタッテン島動物園で退職を迎える川田健さん。日本語、英語での動物園関連著書も多い。

スタッテン島動物園での肩書きはキュレーター。飼育係の指導から、それぞれの動物の生活環境の整備、獣医師との連携、展示動物の選択など、すべてにわたって管理、監督するのが仕事だ。あと半年もない現役生活。「いやー、もう十分働きました」と退職が待ち遠しいようだ。

動物園というと楽しい夢の職場だと思いがちだが、現実は大変な世界。川田さんのキャリアも山あり谷ありだった。ミルウォーキーの動物園では、筋を通したがために追い出された。「デトロイトでも、正しいことを言っているのにクビにされそうになりました。このときは食い下がって居座りましたけどね」と笑う。「いわゆるポリティクスですよ」と、詳しいことはあえて話そうとしない。

日本を飛び出す原動力となった川田さんの正義感と、何事にも筋を通したいという信念が、アメリカ社会でも大暴れしたようだ。

小さいころ、上野動物園の園長さんに憧れて、よく手紙を書いたのが、川田さんの動物園人生の第一歩だった。「当時、古賀忠道園長といえば、日本のミスター・ズーでした。その人から返事をもらって興奮したものです」と振り返る。 1959年、地元の宮崎大学3年生のときに、憧れの上野動物園での実習が実現。「もう魅せられてしまって、卒業すると花のお江戸に出たんです」。ところが、すぐに肺結核にかかり、2年間の療養所生活を強いられることに。当時、結核を患った者は、東京都の職員に採用してもらえず、都立上野動物園への就職も夢と散った。それでも動物園関係の仕事がしたくて就いたのが、東京動物園協会での出版業務。

「6年続けましたが、だんだん日本がいやになってきて、32歳のときに飛び出しました。もうアメリカに住んでいる方が長いです」。アメリカに来て初めて、日本で果たせなかった動物園勤務が実現したわけだ。初めての職場は、カンザス州トペカ動物園。飼育係として3年間働いた。

「いろんな動物の世話ができて、いい経験になりました」。仕事といえばエサやりと糞の始末、オリの掃除だ。掃除中、不注意のためにアシカとアライグマにかまれたことがある。

これは名誉の負傷でもなんでもないそうで、「オリの中にいたときに、きれいな女性がそばを通ったものだから、つい見とれていたらガブリです。仕事中に注意散漫だった結果の事故」と潔く自分の過失を認める。

退職後に再就職の意思はない。しかし、「動物園は私の血です」と言う川田さんには、きっとまたどこかの動物園からラブコールがかかるに違いない。

(か)


プロフィール:川田健(かわた・けん)=宮崎県生まれ。宮崎大学農学部卒業。東京動物園協会勤務の後1969年来米。カンザス州トペカ動物園飼育係を経て、キュレーターとしてインディアナポリス動物園、オクラホマ州タルサ動物園、ミルウォーキー動物園、デトロイトのベルアイル動物園で勤務。78年には、働きながらノースイースタン・オクラホマ州立大学院で教育修士号取得。99年からスタッテン島動物園勤務。著書に「アメリカの動物園で暮らしています」(どうぶつ社刊)、「New York's Biggest Little Zoo」(Kendall/Hunt刊)などがある。