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 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.102 2008年12月5日号掲載
アメリカ陸軍大尉 熊谷 仁さん(29)

戦地のイラクで活躍
学校に通う子ども増え、治安回復

 ひとりの男がイラクから戻ってきた。11月18日「ニューヨークはやっぱり寒いな」とつぶやきながら。まる1年の任務を終えたアメリカ陸軍の現役大尉である。
 昨年の夏、陸軍大尉に昇進直後、軍移行支援部隊の一員としてイラクへの派遣の命令を受け初冬に戦地へ移動した。イラクでは第10山岳師団の第4旅団に配属されていた。 
 熊谷さんは、79年前橋で生まれたが生後3か月で両親とアメリカへ移住、子ども時代はNYのクイーンズ区とその後引っ越したNJで過ごした。男ばかりの3人兄弟の長男。現地校に通学したが、土曜日の日本語補習校にも通い、日本語と日本人であることを忘れなかった。
 高校卒業後、何か普通とは違った道を歩みたいと、陸軍に入隊する。陸士としての訓練は基礎訓練と職種訓練の二つがありオクラホマでは鬼軍曹の下で激しい体力作りに励み、射撃や銃剣、手榴弾などの基礎訓練を受ける。職種訓練では調理師としての技術訓練を受けた。「除隊後も使える能力を身に着けておかなければ、と考えたんです」と笑う。
 配属先のシアトルに近い米軍基地では、合同演習などで日本から来る自衛官との通訳をまかされることに。NYの陸軍士官学校(通称ウエストポイント)OBの陸軍大佐から、「熊谷は将校への道を選び、語学力を最大に活かしたほうがいい」と強く勧められ、ウエストポイントに入学。2年生の時に同時多発テロが起こった。
 卒業後は少尉に任官して、韓国で1年、ワシントン州で1年半、小隊長として務めた。
 イラクでの任務は「軍移行支援部隊」の一員として、イラク軍に随伴し、助言と支援業務を遂行すること。戦地に赴くアメリカ兵の中でも最もイラク人と身近に、より多く接する事が任務の最大の特徴だった。
 間もなくブッシュ政権からオバマ新政権に、舵取りが移譲されるが、イラクからの撤退もそう容易ではなさそうだが、日系の若きアメリカ軍将校は現地事情について次のように話した。
 「イラクの治安は確実に良くなっています。祝日に家族連れが買い物をしたり、子どもたちが大勢でサッカーに興じたり、学校に通う子どもたちも多く見られるようになりました」
 「それにイラク人がアジア系の人間と交流する機会はないので、我々のようなアジア系米軍人と接する以外ありません。海賊版のDVDやTVでジャッキー・チェンやジェット・リーはよく知られていて、英語も映画から学んでいますが基本的にアジア系の人間を知りません。そのためか私に対する好奇心は旺盛でいろいろなことを聞かれ、ほかのアメリカ兵よりもイラク人との交流が多かったですね」と振り返る。
 同時に文化の違いが想像以上に高いハードルであることも実感した。
 「私たち米陸軍がイメージする『効率の良いイラク軍』を作り上げるの至難です。イスラム教の集団主義の文化であること、国に対する意識が薄いこと、個人の権利主張が強く、トップの人間以外、決断力に欠けるため作戦実行に時間がかかってしまうことなどです。彼らは不安要素が一つでもあれば動かない。精密に計画を練るということもイラク人の習慣にはないのです」
 「文化の壁は厚いけれど誠意を持って接すれば、その壁もどうにか乗り越えられる。掛け替えのない人の命だがこれからも残念なことに戦争は絶えることはないでしょうね。平和は与えられる物ではなく、努力し、時には犠牲を伴い勝ち取る物。戦争を起こさなければ得られない平和もあるということを学びました」と熱く語る。
 現在は、中隊長を兼任するための必要訓練をバージニア州フォートリーの陸軍「後方支援スクール」で猛勉強中だ。
 「妻が現在ブラジルに居るので、イラク駐留中からなるべく多くの時間を費やして、電話やインタネットで連絡を取り合ってます。 毎朝行う部隊体操以外にも、自分の時間を費やして、ジムで運動してます。体力を維持するのが軍人としての務めというばかりでなく、将校として人の上に立つ以上、せめて体力は誰にも負けないという意気込みが必要なんです。後は、独身時代には自炊を多く心掛けていたので、休日は、和食も含め、料理の腕を向上させるため、新しいメニューにチャレンジしてます」と小隊長の目から若者の目に表情が和らいだ。
 「戻ってきて『ありがとう』とか『おかえり』と言われると、今までやって来た事が無駄じゃなかったんだと思えて、一層がんばれる気持ちになれます。この戦争で多くの犠牲が払われていますが、アメリカ在住の日本人の方々にも、できれば何らかの形で、日本特有の「思いやり」、「慈悲」、そして「敬意」の心をアメリカ兵士に差し伸べてほしいですね。Memorial Day, Veteran's Dayの時期に盛んになるポピー売り場で寄付をしたり、 空港で休暇中の軍人を見かけたら、躊躇なく話しかけて欲しい。兵士の帰りを待つご家族をご存知なら精神面でのサポートもお願いしたいです」。
 米国軍人の道を歩きながら日米の架け橋となるのが夢だという。
  (塩田眞実記者)