米国東部地区最大の剣道大会。250人もの剣士が一堂に会し、実力を競う。まる一日の熱戦を制して、個人の部で初優勝を遂げた。
6月28日、ブルックリンのポリテクニック工科大学体育館。準決勝ではライバル鈴木5段(NYシティ剣道クラブ)と対戦、時間内には決着がつかず試合は延長に。最後は小手から面を放ち決勝戦へ進んだ。決勝戦ではテ・フーン・チョング(イル・クム館)選手と対戦。制限時間内に出ゴテを決め一本勝ちで優勝をつかんだ。
これまで、規模の大きな剣道大会で個人戦を制するのは、圧倒的に日本国内での剣道歴が長い有段者たちだった。高橋さん(30歳)はニューヨーク生まれのニューヨーク育ち。小学校低学年のころ、母親に手を引かれ当時市内西26丁目にあった「剣禅道場」の門をくぐった、いわば生粋の地元ニューヨークの剣士。日本での剣道合宿の経験さえない中での優勝は快挙とも言える。
日本で育った剣士と海外で剣道の道に入る剣士の間には、これまで大きな壁があると信じられてきた。中学、高校に剣道部があり裾野も広い日本では、揉まれる質も時間も段違い。これまで実際、日本で剣道経験のある者が優勝をさらうことが多かったという事実がそれを物語っている。
□
「昨年の試合に出たころの自分と今年では何かが変わった」と高橋さんはいう。「これまで試合に出れば相手を打ちたい、試合に勝ちたいという気持ちが強く先行したんですが、今回はそれが全然なかった」。
気持ちの上での大きな変化について「落ち着いてやれたのは、100%自分が出し切れればそれでいいのだ、いつ打つか、どういう風に打つか、どういう風にアプローチするか、攻め合いの中で相手を読む、瞬間、瞬間が見えた」と試合を振り返る。これまでの、勝つことに捉われがちだった心に、余裕が生まれ、伸び伸びとした自由を初めて得たという。
母親に初めて剣禅道場に連れて行かれた時は「剣道って何?」全く知らない世界だった。土曜日の日本語補習校が終わると「行くわよ!」と母親に道場に連れていかれた。「正直言って長いこと、いやでいやで仕方がなかったですね。(笑)10年はそんな状態が続いたんです」。
試合に出ても負けてばかりで「勝負は苦手のタイプ」だった。それでも、道場では先生や先輩に基本を叩き込まれ高校生で2段を取得。ところが高校を卒業するころグラフィック・デザイナーの父親が突然他界、厳しい経済状態に陥った。大学進学を断念、アルバイトで生計を助けるなど苦労が続いたが、剣道を止めることはなかった。
ところが最近、急に試合が面白くなってきたという。「試合という状況に自分の身を置いて、1年間の成果を自分でテストする、どれだけ成長できたかを見るんです。勝ち負けではない」ときっぱり言い切る。
現在、米系の運送会社に勤務する高橋さんは、再び大学への入学を視野に入れ「オンラインのクラスもあるし、もう一度きちんと勉強しなおしたい」と意欲に燃えている。
週のうち水曜と金曜だけが休息日、あとの5日間は剣道に時間を割いている。週2日の剣禅道場での稽古のほかに、ニューヨーク大学剣道部での指導が週3日という毎日だ。このところアメリカ人の剣道熱はさらに深まり、剣道部が設立される大学がたくさん見られるようになった。
若き指導者として剣道を始める後輩たちには、剣道は続けることに意味があると説く。例え、一時的に大進歩があっても、そこでやめてしまったら意味がないのだと。遅い歩みでも一歩一歩進めば、いつか必ず実を結ぶと自らの体験に基づいて語りかける。
10代のころ、イヤイヤながらも剣道を続けていた体験を持つ高橋さん、気がつけば剣道が人生そのものとなった。
「今は、先生、先輩そして何よりうちの元気のいい母に感謝してます」とさわやかに笑った。
(塩田眞実記者)
|