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物腰が柔らかく、礼儀正しい。そして、やさしい瞳が多くの女性から高い支持を得ているのかもしれない。
22歳でトラック運転手からホストクラブの世界へ入り、わずか数年で東京首都圏を中心に十数店のホストクラブやキャバクラを経営、年商20億円の一大ビジネスを築き上げた。業界では「ホストクラブの帝王」と呼ばれ、新聞、雑誌にも取り上げられ、小説やテレビドラマ、コミック本にも実在のモデルとして登場している。
だが、ビジネス絶頂の時、あっさり現役引退。今、「多くの人を幸せにしてあげたい」とパワーストーンの新事業に賭けている。
「パワーストーン」は宝石・貴石・半貴石のなかでもある種の特殊な力が宿っていると考えられている石のこと。その石を身に付けるなどしていると良い結果が石からもたらされると愛好家から信じられている。
「ハワイに旅行していた時、パワーストーンに出会ったんです。これだ!、と思いましたね」という。というのもホストクラブ時代、多くの従業員から人生相談を受けていた。結婚、人間関係、健康など従業員の悩みに事欠かない。
「パワーストーンをお守りとして身に付けていると願いごとが叶うんです」。2年前に六本木に「パワーストーンサロン Malulani
(マルラニ)」を設立した。「マルラニ」はハワイ語で「神に守られた」という意味だそうだ。客の9割は女性客。守護石を使ったオリジナルのブレスレットを作成している。
「自分の気持ちの後押しになってくれればいいんです」と話す。値段は1万円前後からある。
「アメリカに住んでいる日本人にもパワーストーンの魅力を知って欲しい」とニューヨークを訪れた。
◇
小さい時は野球少年だった。埼玉県草加のリトルリーグでエースで4番として活躍。川口工業高校の時は県予選で優秀な成績を収めた。大学には行かず、地元の実業団野球部がある電子部品メーカーに就職した。野球はできたが単純な仕事に飽き足らず、友人の親が経営するトラック運送会社に入った。
「トラック野郎」として全国を回った。給料も今までの数倍にハネ上がった。
しかし、心に空洞があった。人との会話がほとんどない。唯一、運転中無線で他のドライバーと話をするのが楽しみだった。でも「心の空洞」は塞がらない。そんな時、就職雑誌に載っていた「ホストクラブ募集」を目にして面接を受けた。
お酒は飲めない。話すのも上手ではない。親からは猛反対される。何ひとつプラスになる要素はなかったが、あっさり合格した。
「野球やってたから体格はよかったので、採用されたのかな」と笑う。
だが現実は、予想以上のものだった。ドジをすると飲めない酒を一気のみさせられたり、同僚からのいじめ。
「俺には、人には負けない体力がある」とプライベートの時間を客のために費やした。掃除、洗濯、運転手、買い物の手伝い、引っ越しなど頼まれれば何でもした。
あっと言う間に店の指名ナンバー1になった。
その後、知り合いの口ききもあって23歳で自分の店を持った。数年後には13店キャバクラを抱える「KIZAKIグループ」のオーナーになっていた。順風満帆の仕事を後進に譲ると、ロサンゼルスのハリウッドに洋服、雑貨などのセレクトショップ「LALLURE(ラルール)」をオープン。
「自分がこれだ!と思うことどんどんやりたいんです。失敗なんて考えたことない」。
何事も「当たり前の事を、バカにせず、ちゃんとやること」が肝心だそうだ。いわく「輝咲のABC」。
「パワーストーンもアメリカで成功させますよ」と爽やかに笑った。
(吉澤信政記者)
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