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よみタイムVol.203 2013年4月5日号掲載

工房で制作中の川喜多里美さん(Photo by Edward Menashy)
Satomi Kawakita Jewelry
ジュエリーデザイナー/ダイヤモンドセッター
川喜多 里美(かわきた・さとみ)さん
つかんだチャンス、ガラス工芸から彫金の世界へ

 「サトミ・カワキタ ジュエリー」としてブレイク中の川喜多里美さん。
 ブレイクの引き金となったのは「忘れもしない2010年8月31日、西海岸のブロガー、アリソン・ブラウンがどこで私のジュエリーを見たのか、写真つきで私のジュエリーをブログで紹介してくれたんです」。
 川喜多さんは翌日自分のサイトをチェックして唖然となる。翌9月1日のサイト訪問者数はいつもの40倍。さらに数日のうちに別の著名ブロガーたちへの連鎖波及も引き起こして「サトミ・カワキタ ジュエリー」の名前は一気に広まった。
 サトミ・カワキタ ジュエリーを扱う店は現在、アメリカ・カナダ・イギリス、日本などあわせて約40店舗にのぼる。ウェブサイトを通しての注文も増加中で「とにかく今は生産能力を高めたいですね。どんなオーダーにも応えられるように」と、ユニオンスクエアの工房では日々商品の制作に余念がない。
 しかし、ほんの2年ほど前まで、いったんは日本への永久帰国も決めて いた川喜多さんなのだ。いったい何が起死回生のチャンスを呼びよせたのか。

 川喜多さんは大阪出身。洋裁が得意な母の影響で、小さい頃からモノを創ることの楽しさを覚えた。どちらかというと小学校時代はシャイで無口、切り絵に没頭する時期もあったという。
 嵯峨美術短期大学生活デザイン科に進むと、木工、テキスタイル、陶芸などクラフト全般を学ぶものの、のめり込んだのは学校とは別に週1度通い始めた工房での「吹きガラス」工芸の世界だった。
 何事にも集中して取り組む性格が幸いして技術はメキメキと向上。アメリカの吹きガラスアーティストと交流のあった恩師のすすめで、ノースカロライナ州にあるクラフトスクールの2ヵ月間限定のワークショップに参加した。
 ところが楽しいはずの吹きガラスの授業で打ちのめされたことがある。それは技術ではなく英語だった。
 「ガラスは吹けたけど、先生の言っていることがまったく理解できない。あれほど屈辱を味わったのは人生で初めてでした」
 ここであきらめないのが川喜多さんだ。静かな闘志を燃やし「次は英語だけの環境に身を置いて自分を鍛えなおす」と密かに誓った。
 アメリカへの語学留学資金は思いのほか早く貯まった。独学で学んだ「ビーズ織り」 のアクセサリーが全国のセレクト・ショップで販売され、予想外に当たったからだ。それでもビーズはあくまで資金作りのため。あっさり気持ちを切り替えてボストン留学を実現した。
 勉強のための環境は申し分なかったが、学校とアパートを往復するだけの毎日、アメリカ社会に溶け込む手がかりがない。
 元々、26歳を迎える頃までには何かで成功していなくては、という強い目標意識があり、心の中で焦りがジリジリと募る。
 「私に出来ることと言ったら6年学んだ吹きガラスしかない」
 じっとしていられず自分を追い込んだ。 
 いくつか訪ねたガラス工房の一つから手伝ってくれないかとオファーをもらう。
 「初めて自分独りで開拓したアメリカでの人脈」が無性に嬉しかった。
 しかしもうひとつシックリこないものが川喜多さんの心の内で膨らみかけていた。技術では川喜多さんを超えるほどの職人がその工房にはいないのだ。だからこそ充分でない英語でも川喜多さんの言葉に工房のスタッフは真剣に耳を傾けてくれる。悩んだ。ところがその工房がビザをサポートしてくれるという。
 新聞で見つけた、初回無料相談を受けてくれるという移民弁護士に会うためNYに来た時、その弁護士から思いがけない言葉を聞く。
 「本当にガラス工芸でやっていく覚悟はあるの?」虚を突かれて、ふと、われに返った。貴重な自分への問いかけとなった。
 その足で前から興味があったジュエリーメイキングの学校に見学に行き、その場で入学手続きを済ませた。
 8ヵ月間の語学学校を終了すると生活の拠点をNYに移す。専門学校で基礎を学んだあと、03年から宝石の石留め職人としてダイヤモンド・ディストリクトで7年半働いた。
 その間、自分でもジュエリーを作り始め、ある程度コレクションがたまった頃、ソーホーの「Matter」 という店に飛び込み営業を敢行。
 「いいね。委託販売でよければ置くよ」と言われた。この第一号店とは今も取引がある。ゆっくりと売れ始めた。
 しかし「09年までは超貧乏生活でした。会社と自宅の往復だけ。家に帰るとひたすらジュエリーを作る暗い毎日でしたね」と笑う。

 「ジュエリー制作だけのことを考えたらなにもアメリカにいる必要もないな」という考えが頭をもたげた。アメリカで一人でやっていくのはシンドイ。
 「もう日本に帰ろうかな」、迷い始めていた矢先、現在のご主人、西川恭史さんがニューヨークに遊びに来た。大学時代の憧れの先輩だった。当時鉄工所を京都で経営していた西川さんと意気投合。あっという間に婚約。結婚を機に帰国するつもりでそれからの半年間準備を進めていたが、話し合いの末、西川さんがニューヨークに来ることに。
 そんな中、冒頭のブロガーの紹介に始まったブレイクで、川喜多さんの人生に思わぬはずみがついた。

 いま、工房にはアシスタントが二人。最近さらに心強い仲間も加わった。高校の同級生だった中嶋祐子さんだ。
 「中嶋さんは陸上部のマネージャー、選手だった私をいつも叱咤してくれました」
 かつての部員とマネージャーがニューヨークで再び手を取り合った。
 「来年は自前の店舗を持ちたいですね」
 素材そのものや自然の造形からインスピレーションを受けるというデザインは繊細でユニーク。
 川喜多さんの工房はいま活気に満ち溢れている。 
  (塩田眞実)

www.satomikawakita.com