よみタイムVol.29 2006年2月3日号掲載


  ユニクロ・USA・インク チーフエクゼクティブオフィサー 堂前 宣夫

世界ブランドの発信基地に

黒い薄手のセーターにジーンズ姿。しっかりとユニクロ・ファッションで固めている。ユニクロがアメリカ東海岸の実験店として昨年9、10月立て続けにニュージャージー州に3店鋪、昨年11月には若者の街、SOHOに店鋪を構えた。「思った以上の反響です」と3か月の限定店鋪だったが、6月まで延長した。日本のアパレル業界では競争相手がいないほど成長した。年商は3500億円にも達している。

しかし、世界を見るとユニクロはまだ6から7位だという。上位にはH&M(スウェーデン)、GAP(アメリカ)、ZARA(スペイン)、NEXT(イギリス)、LIMITED(アメリカ)がいる。「世界で勝つためにはニューヨークで成功をおさめるしかないです」と力強く語る。ニューヨークに店鋪を構えたのは「ユニクロを世界のブランドにするための発進基地にしたいから」という。商品開発をするためのデザインスタジオも設置した。「ユニクロのコンセプトはシンプルでカジュアルな商品を安く提供することなんですよ。特に品質にこだわってるんです」。

素材は世界各国から集め、中国などにある100の取引先工場で生産されている。ライバル各社も中国生産だが、「クオリティーの高い労働力をがっちり掴んでいますから、他社とは比較にならないですよ」。 1969年、山口県岩国市で生まれた。広島の名門校、広島学院を卒業後、東京大学工学部に入学した。専攻は電気電子工学科。「どこの学部でも良かったんです。特別な目的もなかったから」と謙遜する。その後大学院に進み、修士課程をとった。「せっかく大学院までいったので、博士号をとって学者の道とか、通信関係の会社に入って研究者になろうか、とか考えていましたけど」とさわやかにほほ笑んだ。

コンサルティングの「マッキンゼー」でアルバイトをしていたのがきっかけで93年マッキンゼー・コンサルティング会社に入社。「ひとつのプロジェクトが半年、長くても1年」と短かったため「じっくりと腰を落ち着けてできる仕事がしたかった」と同社を退社した。98年、人材紹介会社からユニクロファーストリテイリングを紹介され、柳井正社長と会った。「同じ山口県出身」だったが「まったく関係ないですね」と一笑に伏す。柳井社長の「ソニーやキヤノンのような世界企業にしたい」といった熱意が入社の大きな要因になったという。入社3、4年後に海外担当、生産担当となり、イギリス、アメリカ、中国、東南アジアなど世界を回った。昨年9月、店鋪オープン時にニューヨーク赴任となった。

「いいものを作ることでファッションが生かされるんですね。圧倒的によいものを提供すれば、必ず世界を制覇できますよ」と自信をもって話す。入社した時は800億円だった売り上げが、5倍近くに成長した。一昨年、スイスの民間経済研究機関「世界フォーラムWEF」が、次世代の世界を担う「若き国際指導者」を237人を選出。日本人は10人いたが、楽天の三木谷浩史社長、中田宏横浜市長らとともに選ばれている。「あと5年で1兆円ビジネスにするつもりです」と夢は大きい。

「趣味は特にないですね。強いていえば、仕事かな」と白い歯を見せた。マンハッタンのアパートに夫人と1歳になった子どもと暮らしている。

(吉澤信政)


ファーストリテイリング(ユニクロ)=柳井正氏が1984年広島市に「ユニクロ袋町店」として出店。「ユニクロ」の名前でカジュアルウエアー小売業に進出。91年社名を「ファーストリテイリング」に変更。94年7月、広島証券取引所に株式を上場。98年、首都圏初の都心型店鋪を原宿の出店。99年、フリース製品でブレイク、秋からのシーズンに800万枚を売り上げる。04年12月、ニューヨークにデザインスタジオを設立。05年9月ニュージャージー州に米国初の店舗を出店。