よみタイムVol.59 2007年2月23日号掲載

  カワハラ・デザイン副社長 河原 滋

商売は売れて評価される
ベトナム戦争を生き抜く


CIB(一番下)を含む勲章7個

若かりしころの河原さん。

 自らのデザインをジャパニーズ・アール・デコと呼ぶ。
 タイムズ・スクエアからほど近い一画に1万スクエアの工場を持つ「カワハラ・デザイン」はある。マンハッタンに事務所を開いて41年になる。照明器具、家具、内装工事、インテリ・アデザインが主な仕事だ。
 ずっとニューヨークのアメリカ社会の中で商売をしてきた。シェラトンやウエスティンなどアメリカの主要ホテルから「カワハラ」のオリジナル性を求めて注文がくる。ホテル業界の経営者層にユダヤ人が多い上、なんと言ってもニューヨーク、顧客の9割以上がユダヤ人系だという。
 「ユダヤ人を知らなければこの街で成功するのは無理。わたしはね、40年前にロシア系ユダヤ人のおばさんから商売を教わったの。ユダヤ人はかれらの教会の中で商談や値段の取り決めなんかするんですよ」。
 しかし、彼らの社会にも食い込み、ユダヤ教会の「カワハラ風」内装工事なども取ってきてしまう、というのだから舌を巻く。車の中に、通称「ブラック・ハット」と呼ばれるユダヤ教の帽子をいつも置いている。教会に入る時の必需品であるからだ。
 「そりゃね、ユダヤ社会との商売はタフですよ。でも、彼らはフェアな仕事しますよ。皆、私のこと、十一(じゅういち)って呼ぶんですよ。ジュウ(Jew)より一歩進んでいるってね」と豪快に笑う。
    ◇
 業界の中で「カワハラ」の評判は群を抜いている。手作り作品であるがゆえに比較的高い商品への注文は引きもきらない。デザインは2、3年後に中国製の大量生産品に化けて市場に現れることもあるという。「マネされるのはいいんですよ。この世界を引っ張っているということでもあるんだから」。
 大きくて、よく通る早口の英語が機関銃のようにポンポンと飛び出す。「うちはね全部軍隊式」矢継ぎ早の言葉のあとは「Yes or No」で締めくくられる。指示というより「上官の命令」。でも、現地人社員は楽しそうに応じる。
 「そりゃそうでしょ。商売のノウハウ全部教えてるんだから、学費取らないで。ここにいることが自分のためになるということが分かるやつだけが残るんだ」。
 「アメリカ人だって自分のためになるんだと分かればやるんです」。工場で働くスタッフは基本的にプロジェクトごとに編成されるチーム。だから、建築現場のようにひとつの仕事が終われば解散となる。河原さんはよく「道」で才能を拾ってくる。
 今も商売の秘訣を、生きたデザインの教えを乞いにインターン志望者が工場を訪れる。成功してミリオネアとなった「カワハラ・スクール」卒業生は多い。
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 1万スクエアの工場は、鉄工所であり、木工所であり、金型・木型工場であり、縫製工場である。半導体以外およそ製造できないものはないと思えるほど、すべてが揃う製作所だ。ディズニーワールドの潜水艦の一部に使われた巨大なパーツ、照明器具のサンプル、改良途上の試作品などが所狭しと並び、壁には河原さん言うところの「マンガ」(つまり設計図面前のアイデア・スケッチというところか)が散在する。驚くのは、金物の組み立てに使う、ボルトやナットなどのねじなどもすべて手作りなのだ。
 鉄パイプの内側にねじを切る機械もドンと据えられている。こうしておけば、いつか必ず顧客は戻る。こうした細部にまで「独自性」の仕掛けを施すことを忘れない。不可能なものはないような要塞だ。時にはひとつが十数トンもある巨大なシャンデリアを作ることも。顧客に見せるサンプルを吊るす場所に窮し、マジソン・スクエア・ガーデンを一日借り切ったこともあったそうだ。
 カワハラ・デザインは東京のカワハラを仕切る妻の郁子さんが社長だ。日本とのビジネスは東京カワハラが営業とデザインを担当し、ニューヨークの工場が製作する。
 最近は神奈川県にある病院のインテリア・デザインで参加し、老人介護医療施設の新しいイメージ作りに尽力した。大手ゼネコンを飛び越えて専属業者となったという。また、横浜ベイスターズのホームグラウンド「横浜スタジアム」のバックネット裏席4300台の納入(よみタイム58号既報)は、メジャーリーグのスタジアムが持つ「野球を楽しむ」というエンタテインメント性を取り入れた斬新なアイデアで評判を呼んでいる。
 取り付け完成2月28日を目指して、現在追い込み中だ。
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 河原さんは、外交官の息子としてインドシナに生まれ、終戦の時に日本へ。そして、東京オリンピックの前年の63年にアメリカに渡った。
 「日本もまだ貧しくてね。東京にはまだ高速道路もない。大学出ても初任給1万5千円そこそこの時代でした」。父親から「行く以上は骨を埋める覚悟で行け」の言葉を噛みしめ大きな夢を抱き船で渡米した。
 ロサンゼルスを経由し、グレイハウンドでニューヨークに来た。「ニューヨークの街並みには正直驚いた。日本人も駐在員という人種が多くって、日本製のラジオなんかを売り歩いてる時代でした」と懐かしむ。
 かつて空挺師団としてベトナム戦争を体験している。いくつもある勲章の中でCIB(Combat Infantryman Badge)という最前線での戦闘体験を持つ兵士にだけ贈られる勲章を持つ。
 今では、生まれも育ちも生粋のニューヨークっ子やアフリカやヨーロッパなど世界から訪れる青年たちに若き日の自分を重ね、ユダヤ人から学び、悪戦苦闘の中で会得してきたニューヨークでの商売の基本を、時に激しく時に優しく教える。
 「自己満足では何も始まらない。どんなに優れたアイデアもお金に換えられて始めて評価が下るんです。そうでしょ? YES or NO!」。
 戦火もくぐった商売の達人の茶目っ気のある笑顔に一瞬キラっと厳しさが光った。
(塩田眞実記者)