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よみタイムVol.69 2007年7月20日号掲載

プリマ 森下洋子 ダンサー 折原美樹

2人の舞姫NYで再会
プリマ森下洋子&ダンサー折原美樹

「ニューヨーク国際バレエ・コンペティション」の審査委員として来紐した松山バレエ団団長でプリマの森下洋子さんと、ニューヨークのマーサ・グラハム・ダンスカンパニーのプリンシパルダンサーとして活躍する折原美樹さんが、ダンスにかける思いを吐露してくれた。「初めまして」と迎えた森下洋子さん。「実は初めてではないんですよ。1980年に森下さんがジャパン・ソサエティーで公演した時、お手伝いをさせていただきました」と折原さん。ふたりは踊りのことで熱っぽく語り合った。(構成=アベ・リョウ)


マーサを知ってるのは私だけに(折原)
バレエに出会って人生が決まる(森下)



森下洋子:ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞受賞(74)、エリザベス女王戴冠25周年記念公演でルドルフ・ヌレエフと競演(77)以後、ヌレエフに最高のパートナーと言わしめる。パリ・オペラ座に日本人として初出演(82)、METオペラハウス100周年記念ガラ出演(84)、ローザンヌやパリ、NYのバレエ・コンクール審査員。数々の受賞歴と共演で世界のプリマに。日本芸術会員(02)。夫の清水哲太郎氏と新公演形態を開拓推進中。

折原美樹:文化学院卒業後NYに。グラハム舞踊団正式入団(87)、同団プリンシパル・ダンサー。95年以来種々のソロ・リサイタル。ブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」出演(97〜98)。アメリカ各地の大学、モスクワ、東京、名古屋、鳥取(非常勤講師)、大阪でワークショップ。2001年より新国立劇場バレエ研修生に指導。ダンサー/振付師の夫、スティーブン・ピア氏とデュエット・コンサート&ワークショップ開催。

 折原さんは森下さんとの不思議な縁をお持ちとか?

折原 実は私がニューヨークに来たばかりのころ、森下さんもご存知の友人から「これは森下さんが使っていた文化釜だから、森下さんにあやかれるように使いなさい」と譲り受けて使わせてもらっていました。以後、日本から来る後輩何人にも回って、また私の所に戻ってきたんですよ。まだ持っています。それでどうしてももう一度お会いしたかったのです。

森下 まあ、そうですか。ありがたい話ですね。あのお釜、今でもちゃんと覚えていますよ。

折原 それに、日本から来た人が交代で住んだ友人のアパートで、森下さんが出る時は、次の人のためにちゃんと冷蔵庫に食料を補充して行かれたということも、友人から聞いています。

森下 次に入る人が、来てすぐ買い物は大変でしょ。まあ、自分が大変でしたから。

 ところで、グラハムの公演は年にどのぐらいあるんですか。

折原 リハーサルなども入れて30週間ぐらいです。一昨日もニューヘブンで踊ったのですが、50年代の作品を写真とスコアから新しく起こして、世界初演として踊りました。でも、ライブ・オーケストラでしたので、音がきちんと出るかどうかハラハラしながら踊りました。マーサを実際に知っているのは、実はもう私一人になってしまったので、辞めるに辞められない状況なんですよ。(笑)

森下 貴重な存在ですね。ビデオやフィルムとは違うから、その経験を大切にしてくださいね。

折原 マーサを知らないで新しく入団してきた人は「仕事」として踊ってる感じがして、ああ、そこは違うなぁとか、マーサの考えを知っていたら、もっと良くなるなぁとかね。ちょっと残念だなぁと思うことがよくあります。

森下 折原さんは大変だけど、そこを伝えていくのが役目ですね。一緒に踊った経験があると、一つの動きでも何かが違うんですよね。だから見ている人には、折原さんの踊りは他のダンサーとは違うように見えると思いますよ。スタッフはいくらでもいつでも集められますけどね。ですからできるだけ続けてくださいね。ところで、木村ゆりこさんは素晴らしいダンサーでしたね。

折原 そうですね、あのようなダンサーは今ではいませんね。グラハムには日本人プリンシパルとしてオリジナルのユリコ(雨宮)さん、そして木村ゆりこさん、淺川高子さんが活躍しましたが、私がブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」出演時に、映画でユル・ブリンナーと共演したユリコさんに色々とアドバイスをもらいました。

「演出家は絶対」と思う(森下)
踊ることで成長わかる(折原)


 森下さんは「一度も迷わず、悩まず、いちずに踊り続けてきました」とローレックスの広告の中で言っていますが、お二人は困難時をどのように克服して来たのですか。

森下 子どもながらに、バレエに出会った時から、これを続けていくんだと思ってました。それが揺るぎない一つの信条と化してしまいまして、昨年、お陰さまで55周年を迎えたんですよ。痛む身体も、マッサージのお陰で朝になると楽になっていて、ああまたやれると思ってしまいます。考え方がポジティブなのか、こうなったら嫌だなぁという考え方はしないんですよ。

折原 私はマーサが亡くなって5年ぐらいした時、もう新しい作品は入ってこないし、カンパニーはどうなってしまうのかと。また今年写真集が出て、しかも初めてプロとして舞台に立ったギリシャで公演し区切りがいいなぁとも思いました。
 しかし、本格的にソリストをやり出したら、マーサ・グラハムの踊りの深さがわかってきて、面白くなったんです。沢山あるレパートリーの中から、残念なことに15作品ぐらいしか現在は踊っていないのですが、飽きずに踊れるのは、踊ることによって自分の踊りも、人間的にも成長がわかるからだと思うんです。

森下 きっとそうですね。また同じものかと思って踊る人と、深さを追求して踊る人とは、出てくるものがはっきり違うと思います。精神性をわかろうとする人は、人間的にも成長していくでしょう。わかろうとしない人は、何回踊ってもおそらく同じでしょうね。日々、わかろうとしているから深い感動もあるんでしょうね。

折原 『アパラチアの春』という作品はマーサの45歳ごろの作品で、今その年になった私は、なぜ彼女はこの作品を作ったのだろうかと考えるんです。マーサに教えられた教訓を、ちゃんと書き留めておけばよかったと今、後悔しています。(笑)

森下 クラシック・バレエは難しい技術を習得するのは勿論ですが、良く跳べて良く足が上がると、そこで安心してしまうんですね。でも、技術がどんなにうまくなっても、見飽きてしまうんですよ。心が生きてないからなんです。指導者たちの問題でもありますね。コンクールコンクールと世界的にテクニック重視になっています。考え方、自分の持っている理念・思想の方向性が間違っていると、どんなに熱意と才能があってもうまくいかない。
 私はよく思うのですが、「真善美」という人間の理想を追求した言葉がありますが、真は誠意、善は行動で、その結果、美は後からついてくるものだと考えています。先に求めては駄目ですね。この観点から、文化・芸術は世界を平和に、幸せにする武器ですね。ですからアーティストは、謙虚に誠実に生きていかなければと思っています。

折原 特にマーサ・グラハムの作品は、怒りや悲しみを表現した作品が多いから、私はモダンダンスは何も考えずには踊れないものと解釈しています。でも若いダンサーは、形だけで踊ってる人が多いですね。または感じて踊ってないと言えるかも知れません。その振りでどうして悲しみなの、っていうところがあったりします。でも、リハーサル・ディレクターやコーチもいるので私はあまり言いませんが。

森下 私は演出家とは絶対争ったりはしません。演出家は絶対と思っていて、向こうの要求にすぐこたえられるのが、ダンサーの責任だと思っています。演出された形がまずあって、そこから膨らましていくのが仕事です。演出家が思っている通りにさっと自分を持っていける状態が、日ごろの訓練だと思います。

折原 演出家にとってダンサーは楽器ですよね。