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よみタイムVol.88 2008年5月2日号掲載

米国三井物産財団  平林 伸一

広報人生まっしぐら
社会貢献活動この目で


昨年9月28日の「シニア・キャバレー・ディナー」の様子

 「米国三井物産財団」は、米国三井の社会貢献活動の「窓」となっています。重点は教育・文化・地域福祉・従業員関係の4分野。案件総数は約40件で「年間予算は80万ドル強。その5割が主眼の教育関係ですが、現在の焦点は障害者支援の福祉案件です」という。
 三井物産が、現地法人を設立したのは1966年のこと。日本の代表的商社として同社には常に地元の視線が集まる。「歴代の社長はこれまで、日本クラブや商工会議所のトップを務め、社会的に表に立つことが多いんです」と振り返る。こうした周囲からの「役割期待」が、早くから物産社員に、地域との融合や貢献といった「意識」を植え付けたようだ。
 70〜80年代の日米経済摩擦のころは、成功する貿易商社への風当たりも強かった。「商社は米国貿易赤字を引き起こしている」というのである。
 「物産は全くその逆なんです。毎年純輸出20〜30億ドルの黒字貢献企業ですよ、と説得しました。ワシントンの輸出振興セミナーに当社幹部が出掛けたり、各州にもアドバイスして回りましたよ」。
 当時、商務省は輸出専門商社(DISC)の擁立をはかり、物産も色々な形で協力した。「でも企業の輸出力というのは一朝一夕には身につかないんですね」。この政策は遂に実らなかった。
 財団の設立は87年。各種の寄付要請に、きちんと予算をもって対応する体制を先駆けて作った。
 平林伸一さんは現在、米国三井物産財団の理事長兼CEOであると同時に、広報センターの所長でもある。
    ◇
 国際基督教大学で社会学、政治学を学び大学院では行政学を専攻。行政学は当時新しい分野だった。国際機関での活躍を目指す人が多く、政策の立案などに携わる幅広い分野だ。
 卒業後、フルブライト渡航費とプリンストン大学のフェローシップを得て来米し研究生活を送るなか、経歴が買われて米国三井物産にニューヨークで入社。その後、本社採用となる。東京勤務も2度したが、圧倒的にこちらが長く「米国三井生え抜き社員」だ。
 平林さんの今の仕事は、財団関係が半分、メディアや企業広告を担当するPR関係の仕事、これに社長の対外関係をコーディネートする役割も果たしている。
 ところで、財団が主導する活動は広い。
 大学奨学金では20州で約90人が「三井スカラー」で、日系人会や全米日本医師会にも提供。NY市立大学など3大学では米国三井の冠講座を年8回開催。毎年高校生10人の夏季日本ホーム・ステイ計画や、農業経営者の子弟の団体(FFA)役員一行の日本研修旅行をスポンサー中。また、恵まれない地域の教員養成制度(TFA)を支援し、奨学金を受けた教師の担任生徒と三井NY店の職員のペンパル関係も作っている。
 また、文化関係ではアフリカ美術館で土曜日の家族向けアート・クラスを後援。NY交響楽団のリハーサルに小中学生を招き、オーケストラにじかに触れてもらうプログラムを支援している。
 地域福祉関係では、米国三井は非営利団体「マーチ・オブ・ダイム」の大行進に81年から参加、全米各地で従業員・家族が揃いのTシャツを着て歩く。最近10年間で三井チームの歩行者は延べ6000人を突破、募金は累計41万ドルにもなる。
 この2年間、財団は「知的発達障害者の支援活動」に力を入れている。クイーンズ区の「マーシーホーム」で障害者のバンドを支援、さらに昨年からは自閉症児童のセラピー用に「三井クリエイティブ・アート・センター」を開設。また、スタテン・アイランドの「ライフスタイル」という組織が、知的発達障害者のケアや訓練をやっているが、ここで「寄付以上のことをしよう」と考え、その地域一帯の高齢者の人たちを月一度バスでライフスタイルの食堂に送迎する「シニア・キャバレーディナー」を始めた。
 「料理人ヘルパーや給仕する人など、みんな障害者です。高齢者たちも身寄りのない人が多く、こういう楽しい時間なんかまるでない人ばかりで、とても喜ばれています」。
 03年から、年2回社長邸で「三井ミュージックサロン」を開催し、デビュー前の音楽家を支援・激励している。
 この他、米国三井の社長は地元で地域・文化・教育関係多数の理事や評議員を務めていて、それら団体への寄付や年次晩餐会で貢献するなど、枚挙にいとまがない。 
 01年の同時多発テロやカトリナのような災害があると「グループ会社を含めた全社的な救援寄付キャンペーンで、おおわらわになるんですよ」。
 こうしてみると巨大商社が外国で活動を続けるため、その足場作りにいかに腐心しているかがうかがえる。「企業の社会責任が広く求められる時代なんです。仕事の中身と仕事を超えた分野で、どんな貢献ができるか絶えず検証し、企業と社会の持続を共に図るのがグッド・コーポレーション・シチズンだと思いますよ」という。
 新しい分野だった行政学を専門とし、物産入社後は業務・広報活動ひと筋に歩んできた。年齢を感じさせないほどバイタリティーに溢れている。
 「65歳になったあとは逆算中デス」と笑う。
 まだまだ過密スケジュールの毎日が続く。スタンフォードの自宅から会社までの通勤車中でも書類から目が離せないし、家に着くとリモコンでついオフィスのコンピューターを覗いてしまう。
 「でもアンティーク漁りと読書が趣味で、ミステリーなんかも読みますよ。時間が足りずなかなか前に進まないんですけどね」と破顔した。
(塩田眞実記者)