日本の本を売って23年を超える。ブライアント・パーク前の明るい店舗に移転してちょうど1周年。店長のジョン・フラーさんは、米国紀伊国屋書店たたき上げの「ブックマン」だ。
紀伊国屋書店への正式入社は85年。パートタイマーとしてのキャリアも入れると紀伊国屋書店とのつながりは81年にさかのぼる。世界中で花開く日本のアニメ・漫画文化の海外インターフェイスとして新たな局面を拓きつつある紀伊国屋書店の文字通り現場の指揮官である。
「若いころは映画制作の仕事につきたかったんです」と流暢な日本語で振り返る。当時、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの「スターウオーズ」が全盛だった。父親は小説家で詩人。現在もシカゴ郊外で旺盛に執筆活動を続けているという。
「ロード・オブ・ザ・リング」などを何度も何度も読み返す読書好きの少年だった。シカゴ郊外で普通のアメリカ人として育ち、高校を卒業するまで日本やアジアの文化に特に関心があったわけではなかった。「映画の世界に行きたい」の一念で当時映画を目指す学生たちが目指したUSC(南カリフォルニア大学)に進学。カリフォルニアの文化はシカゴとは大きく違いアジアや日本文化の影響を色濃く反映していた。多感な青年は映画への憧れと同時に日本やアジアの文化に吸い寄せられるように接近する。
学生生活を送りながら悩んだあげく映画制作への道は断念。何かひとつ外国語をやろうと決意して大学1年生のころ、早稲田大学に1年留学。ホームステイしながら日本語を中心に日本の文化や文学を幅広く勉強した。
読書好きの青年の関心を捉えたのは哲学的な分野だった。アメリカに戻って専攻を正式に映画から「東アジアの言語と文化」に変え、大学院では西洋哲学と儒教を関係づけた「新儒教」を研究テーマとする。韓国にも儒教の研究のために1年留学した。「日本語ほどじゃないですけど当時は韓国語も話せました」。
大学院卒業時に紀伊国屋書店から正式なオファーを受けロサンゼルス紀伊国屋書店に入社。「紀伊国屋は今もそうですが、そのころから広く海外の考え方を取り入れたいというグローバルな視点を持っていたんです」。
95年にニューヨークに転勤。「日本よりもカルチャーショックが大きかったなあ」と笑う。セールスマネジャーを経て01年店長に昇格。アメリカ人でありながら広い売り場を誇る日本の最大手書店の新たな顔となった。
折しも日本の、アニメや漫画などに代表されるサブカルチャーの台頭がいよいよ進む。「紀伊国屋では週末に、アニメや漫画関連のイベントをよくやるんですが熱心なファンのパワーはすごいなあとしみじみ思いますね。アニメ・漫画もいろんなジャンルがあって、子ども向けのものからヘンタイものまでバラエティーに富んでるけど、基本的に人気の高い作品は文学と言えますね、それくらいレベルが高い」と話す。
「これからは世界がどんどん狭くなりますよ。国や民族を超えて、多様性を持って文化を分かちあうことが大事だと思います。文化の融合や『気づき』に満ちた理想的な世界の実現に紀伊国屋書店を通じて貢献できるんじゃないかと思っているんです」。
ニュージャージーで鎮子(しずこ)夫人と2人暮らし。夫人とは紀伊国屋のパート時代に知り合った紀伊国屋メートでもある。当時は2人とも合気道を学んでいて「合気道初段の彼女は投げるのが上手い人、私は投げられて受身を取るのが得意な人だった、いい関係でしょ」(笑)。
社会人となった長女はアイスランド在住、大学3年の長男はテネシー州の大学に在籍と子どもたちは巣立った。
「週末は読書をして過ごすことが多いですね。時々、ストレッチ代わりに裏庭で昔学んだ合気道の受身を練習することもありますよ」と穏やかな笑顔ではにかんだ。
(塩田眞実記者)
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