2018年8月10日号 Vol.331

想像力を働かせ
自由に、自分らしく生きる

「花筐/HANAGATAMI」俳優:窪塚俊介

「映画化するのは終生の夢であった」と語る大林宣彦監督が40年間温めて遂に映画化した青春群像劇「花筐/HANAGATAMI」。原作は三島由紀夫がこの一冊を読み小説家を志したという檀一雄の同名純文学。戦争直前、時代に飲み込まれていく10代の少年少女たち。17歳の主人公「榊山俊彦」を演じた窪塚俊介に、その役どころを語ってもらった。

saito

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窪塚:戦争当時の資料を調べると、凄くしっかりとした文章が残っていて、あの時代の高校生は侮れないと思いましたね。僕の実年齢とはかなり離れていますが「17歳」という年齢は、演技上の「ハードル」ではないなと。何よりも監督が僕たちを指名してくれた訳ですし、長塚圭史さんは40歳を越えているのに僕と「同級生」の役ですから(笑)。

ーー大林監督とは何度もお仕事されていますが、役づくりのアドバイスなどはありますか?

窪塚:監督は、演技に関しての演出はせず、役者に任せているという印象です。例えば今回なら「俊ちゃんは語り部の役だからね」というような・・・それが全てです。

ーーそれだけ?!

窪塚:全体を通しては「語り部として」というイメージでしたが、ひとつひとつのシーンについては「ここは戦争の前夜で皆が『これが最後だから』という気持ちでいるから」ということは教えてくれます。でも個々の細かい「心の移り変わり」にまで踏み込んで、監督から演出されたことはありません。

ーー監督からは「状況だけ」が与えられるのですね

窪塚:ほとんど現場で全てが変わっていくという方です。台本を持って現場に行っても、監督が「この台本は設計図だから。自分自身も仕上がりがわからない」とおっしゃいます(笑)。現場には他にも役者さんがいらっしゃいますが、皆さんとも「その場で」作っていく。監督さんも十人十色でいろんなやり方がありますけど、大林監督は「テスト」が好きではない方で、「もうカメラを回そう、はい本番!」と(笑)。「えっ、だって一回もやってないですよ!段取りもしてないんですよ?!」ということもありました(笑)。

ーー今回の配役の中で、窪塚さん演じる「俊彦」だけが、周囲の暗さとは反して「明るい」という印象がありました

窪塚:監督から「俊ちゃんは語り部」と言われて「語り部とは一体、何なんだ?」と考えていました。そんな時、台本の最初の方のシーンに「榊山俊彦の天性の明るさは、この物語の唯一の救いだ」と書かれていた。その一文が、僕の役作りであり突破口であり、それが入口であり出口でした。劇中、皆が死んでいく中で、「俊彦」だけが生き残ってしまう、という辛さもある。僕の中での「俊彦」のテンションとしては、最初は「ちょっと浮いてるな、狂ってるな」という印象ですが、物語が進むにつれ、結局は周囲のみんなの方が普通ではない・・・という構図が描ければと思っていました。

ーー確かに冒頭の「俊彦」は「知的障害者?」 と思うほど浮いていました(笑)

窪塚:良く言えば「ピュア」な感じですね。アムステルダム帰りの子で、おそらく両親はお金持ちでしょうから「育ちが良かった」のかもしれません。でも「頭」で考えて役作りをしたくなかったので詳細は考えず、どちらかといえば時代背景を勉強しました。「榊山俊彦とは、どういう人間なんだろう」と考えるよりも「どういう時代だったんだろう」と考える方に、8割ぐらいの時間を費やしました。

ーー「戦前」のことですから想像するしかありませんね

窪塚:でも、ソコに生きている彼らにとっても「戦争」は初めて。日清戦争や日露戦争があったにしても、本当に自分たちが戦争に巻き込まれていく、というのは初めての体験だったはずです。いずれにしても、彼らが「戦争をどう考えていたか」を想像することには無理がありますから、その時代にはどういう作家がいたのだろう、何が流行っていたのだろうと、その頃の文化を丹念に調べました。「俊彦」たちは聡明な高校生だったと思いますから、おそらくそういうモノに興味を持っていたであろうと。そんな文化レベルの高い子たちが戦争に巻き込まれていく。そういう意味で、当時の文化を勉強すれば「役作り」も終わりかな、という気持ちはありました。

ーーそれが「8割ぐらい」ということですね。演じる時に「嫌いな役」などはないのですか?

窪塚:自分のことが「大嫌い」な役をやるなら「自分を嫌い」でいいのかもしれません。でも、ソイツがソイツなりに生きているとすれば、それを演じる自分が「コイツ、なんだかな〜」と思いながらでは、やはり演じきることができない。なんとかして「好き」になる、好きになれなくても「理解」する努力はします。

ーー「役」と、ご自身との「ギャップ」などはありますか?

窪塚:得意・不得意はあるかもしれません。例えば、踊りが得意じゃなければ「ああ、この役は踊りがあるのか〜」ということはありますけど(笑)。でも人間性に関しては、その「役」を好きになるようにしています。ただ、今回の「榊山俊彦」の場合は、人物像というより、時代背景や文化面からアプローチしたことが、ある意味とても面白かった。今までは現代劇が多かったですから「時代背景」でのギャップはありませんでしたが、今回は戦前です。僕にとっても「榊山俊彦」の役作りで「こういうやり方もあるんだ」という「新しいチャンネルを見つけた」と感じています。

ーー「語り部」である「俊彦」は、大林監督の「想い」の代弁者なのでしょうか

窪塚:そうですね。映画の最初と最後、あれは台本にはなく、後から付け足された部分なんです。最終日に残って「じゃあ俊ちゃん、なんか撮ろっか」という感じでした(笑)。その場でスクリプトを渡されて、バッと覚えて。本当に「どういうモノになるのか」を想像しても、大林監督の場合は無理なんです(笑)。僕たちの想像を「越えて」くる方なので、その場で言われたことを自分の感性のままにパッとやる。後は仕上がりが楽しみ、という流れですね。

ーー監督から「今の演技はイメージと少し違うのだけれど」ということは?

窪塚:僕はないし、それを他の人に言っているのを聞いたこともありません。多分、大林監督は、僕のことを僕以上に解ってくれている・・・と信じています(笑)。

ーー「花筐」にはCG合成が多用されていましたが、撮影中「こういう仕上がりになる」と理解していたのですか?

窪塚:実は、全カットの95パーセントぐらいは、グリーンバックだったんですよ。「これはスターウォーズを撮ってるのか?!」と思えるぐらいでした(笑)。

ーー監督は「こういう絵だよ」と教えてくれないのですか?

窪塚:ビジョンがある時は教えてくれます。でも監督に「ここって、こういう感じでしたっけ?」と聞くと、「俊ちゃん、それはね。僕もわからないんだよ」と(笑)。本当に現場で全てが出来ていくんです。「あ、それ面白いね。そういう風に撮ろうか、ねえサンちゃん(カメラマン)」という感じですね。

ーー監督がこの映画を通して伝えたかったことは何だと思われますか?

窪塚:大局的には「戦争に対して僕はこう思う、エンターテイメントでこういうモノを作りました」ということかと思うのですが、監督が実際にどう思ったかは、正直なところ僕には量れません。でも、僕が思うことは、どの時代に、どの場所で生まれても「一所懸命に生きる」ということなんだろうな、と演じながら思っていました。完成した映画を観ても、やはり「自由に生きる」ということが伝えたかったのだと思います。でも今の時代、「自由に生きろ」と言われても、やはり人の目などが気になり中々難しい。さらに「自由に生きるってどういうこと?」と、そもそも「自由」すら解らない。そうなると、これはもう「想像」するしかない。自由に、どうやって生きていきたいかを想像する。戦争時代には出来なかったことですが、僕たちは今、その「想像」が出来るというとても幸せな環境に、時代にいるのです。少なくとも、その部分を放棄しないで、ちゃんと「自由に、自分らしく生きよう」と。セリフにもありましたけど、そこが一番言いたいことなのではないかと思っています。

ーー個人的な質問です。役者になろうと思ったきっかけは?

窪塚:大学4年の時に休学してロサンゼルスに行き、そこで演劇学校へ入ってから始めました。元々、映画が大好きだったし、兄貴も役者をやっていたので。ロスで英語を覚えようという時、「目的」としてやっていても覚えられない、「手段」として使わないとと思ったんです。大学へ編入するのも難しいし、じゃあ何をやりたいかと考えた時、「お芝居やってみようかな」と思い、演劇学校で勉強しました。でもその時、強く思ったのは「日本語で演じたいな」と(笑)。それが一番の思い出ですね。

ーー子供の頃は何になりたかったですか?

窪塚:どのぐらいまでが「子供」なのかはわかりませんが(笑)、この仕事についてなかったら医者になりたくて。

ーー気象予報士は?

窪塚:あれはギャグです(笑)。人を救いたいというようなステキな理由じゃなく、医者は「憧れ」の部分もあり、「ブラックジャック」の影響もあって外科医になりたかったですね(笑)。

ーー好きな作品を教えてください

窪塚:マットディロンの「ドラッグ・ストア・カーボーイ」。悪い4人組がヘロインを止めるというだけの話なんですけど、演劇学校に通っていた時、それが教科書にも載っていて、その映画は50回ぐらい観ています。ドラッグが好きという訳では全くないのですが、4人組の雰囲気がイイといいますか・・・。ただ、ドラッグ映画は、人間の一番ピュアで一番汚い部分、うごめくような瞬間があり、その部分が好きなのかもしれません。

ーーこれから「何か」になれるとしたら何を選びますか?

窪塚:う〜ん、役者と医者、半々かな。でも、役者なら医者の役も出来ますからそれを狙って(笑)。実は僕、今度、医者の役をやるんです。「イエーイ!」という感じですね(笑)

ーーーここで15分のインタビューが終了。「大林監督は、僕以上に僕のことを知ってくれている」という窪塚氏だが、暗い時代に「俊彦」が放っていた「光」は、紛れもなく彼の中にあるモノだ。最初は「30歳も過ぎたオヤジたち(失礼)が高校生役とは?!」と驚いたが、皆が演じていたのは、身体的な「若さ(年齢)」ではなく、その「精神性」だということに気付かされる。監督の配役は、そんな高校生たちの内面を「外見として」視覚化し、伝えようとしたのかもしれない。また、「いかに本物らしく、本物以上に見せるか」を競う最新のCGとは一線を画した合成はお見事。桜の花びらが「わざとらしく」舞い、窓の外に見える海の波は「大げさ」にうねり、美少女の背後にはホラー映画のような巨大な月がかかる。一見すると「ヘタクソ」にも思える合成が、逆に斬新でモダン、それが「昭和」を感じさせている。これは大林監督が見ている「夢」と同じ「夢(映像)」なのかもしれない。窪塚氏は「語り部」として、その夢と現実をスクリーン上で繫いでみせた。「さあ、君は飛べるか!この僕は?!」


花筐/HANAGATAMI
Hanagatami


1941年春、佐賀県唐津市の叔母(常盤貴子)のもとに身を寄せることになった俊彦(窪塚俊介)は鵜飼(満島真之介)、阿蘇(柄本時生)らの学友を得て"勇気を試す冒険"に興じていた。青春を存分に謳歌する彼らであったが、そんな時は儚く、いつしか彼らも戦争の渦に飲み込まれていくのであった。唐津の伝統行事「唐津くんち」が映画史上初の全面協力をしており、豪華絢爛な巨大な山車もみどころである。『この空の花』(2012年)、『野のなななのか』(2014年)に続く戦争三部作の締めを飾る集大成。第72回 毎日映画コンクール日本映画大賞、美術賞を受賞。

2017年|169分
監督:大林宣彦
出演:窪塚俊介、矢作穂香、常盤貴子、満島真之介
(Photo / Hanagatami © Karatsu Film Partners)

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