2018年8月10日号 Vol.331

一方通行の「愛」ではなく
「帰ってきたよ」というファンタジーをやりたかった

「YEAH」
監督:鈴木洋平
俳優:柳英里紗

「YEAH」をまだ観ていない人は、ここから先を読まず、まずは先入観なしで映画を観て欲しい。見終わった後、おそらく頭上に「?」が出現するのではないだろうか。鈴木洋平監督と主演した柳英里紗の話が、そんな「?」を「!」に近づけてくれるはずだ。

saito

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ーー今回、一緒に水戸で何かを作ろうと始めたそうですが、そのきっかけは?

鈴木:冨永昌敬監督が茨城の水戸で「ローリング」を撮った時、そのヒロインに柳さんが出演していたんです。それがきっかけで柳さんが水戸へよく遊びに来るようになり、僕は水戸を拠点に活動していたので知り合いになりました。

柳:水戸がとてもイイ街で月に一回ぐらい遊びに行っていたんですけど、その時に監督が街をいろいろ案内してくれました。とても面白く人間的にもリスペクトできる人なので「一緒に仕事したいな」と思い、私から「映画を撮って欲しいな」と言い続けていました(笑)。水戸に、大工町という飲み屋街があって私はそこでお酒を飲むのが好きなんです。東京に居る時よりも解放される感じがして。そういう私の姿を見て今回の脚本を書いてくれたのかな、と思っています。

ーー柳さんの役(アコ)は精神障害者のように見えますが・・・

鈴木:映画の中で、はっきりと「障害者」とは言及していません。あくまでも「人とは違う『美的センス』を持っている人物」だと考えています。病院のシーンもありますが「示唆」する程度にとどめています。

ーー柳さんはアコ役で、監督からオーダーなどありましたか?

柳:特に「こうして欲しい」というような強いオーダーはなかったので「私に任せてくれているんだろうな」と考えていました。監督にもいろいろ質問したりせず、自分の解釈で演じました。実は撮影当日まで、自分の役がどういうものか解っていなかったのですが、解っていなくてもイイなと思ったんです。監督の前回の作品でも良く解らない部分があって(笑)でもそこが監督の面白さだと思うので、私も完全に理解しないままで現場に行こうと。撮影場所は水戸のとある団地なんですけど、到着してから少し時間があったので周囲を少し散歩していたんです。すると「ああいう人」がいて・・・。

ーー「アコのような人」に出会った?

柳:ええ。歩き方が少し普通ではなくて、花を一輪持って、頭にリボンをつけたお爺さんかお婆さんかわからない人に「こんにちは!」って声をかけられた時、「これだ!」と閃いたんです。それから悩みなく演じられました。

鈴木:撮影場所に選んだ団地は、少し「ゲットー」のような場所で、普通じゃない人たちが「押し込められている」ような場所なんです。「アコのような人たち」が住んでいますが、彼らは凄く「牧歌的」で、つらそうには見えない。柳さんには、それらを観察して取り込む力があると思います。

柳:鈴木監督にしか知り得ない場所で出来た映画だな、と思います。

ーー頭に鉢を乗せるのも柳さんのアドリブ?

柳:自分でもなぜ鉢を乗せたか思い出せないんです。乗せてみたら、自分の頭が平なのか歩き続けることができて不思議だな〜と(笑)。

鈴木:乗ったねぇ(笑)

柳:鈴木監督は、そういうチャレンジやアドリブをさせてくれます。事細かに、あーだこーだという演出ではなく、そこに自分で辿り着けるようなヒントを与えてくれる。今回、とにかくセリフが多いんですけど「日本語ラップ」みたいな感じでと、最初に言われました。「聞こえなくてもいい」し、自分独自の解釈でボソボソしゃべっていればいいから、と。

ーー柳さんは映画監督もされているようですが「監督」業はいかがですか?

柳:映画がとても好きで「憧れ」でチャレンジしたので「夢が叶った」という気持ちです。今、劇場で数回上映されているのですが、ラッキーなことに「おもしろい!」と言ってくださる方も多いので、もう少し良い評価を受けることができたら、またやってみたいなと思っています。

ーー鈴木監督は、監督になろうと思われたキッカケは?


鈴木:いろんなところでその質問をされるので、昔のことを思い出してみたんですよ(笑)。小さい頃から映画が好きで、シルベスター・スタローンの映画などをたくさん観ていました。そんなある時「俺だったら、こんな風にスタローンを使いたい。俺だったらスタローンのこういう役の映画を作りたい」と、妄想していた。そういう事がキッカケだったんじゃないかな。

ーー何歳ぐらいの時ですか?

鈴木:多分、3歳とか・・・そのぐらい小さい時。3歳ぐらいの時に「2001年宇宙の旅」を観ている写真が残っています。猿がモノリスを触るシーンが大好きで、すごく面白いと思ってそのマネをしていました。僕は、映画の中で自分が感じる「ユーモア」みたいなものを、すごく大事にしています。あの「モノリス」のシーンで自分は爆笑していた、そういう人が世界中には一杯いるんじゃないか、そういう表現もあるんじゃないかと。

ーー監督の作品は少し変わっていると思うのですが、最後のシーンにはどんな意図が?

鈴木:いや〜わからないです(笑)。この話は「人間」よりも、「モノ」とのコミュニケーションが得意な女の子、アコが主人公。でも「モノ」は人間側へ「語りかけてこない」。アコはモノに語りかけるが、モノからは返答がない・・・そう考えるとむなしい話でもあるのですが、最後には「モノ」と人間のアコが「何か」を交換しあう。一方通行の「愛」ではなく、「帰ってきたよ」という、ファンタジーをやりたかったんです。

ーー終盤で「人間なんて、ゴミ」という明確なメッセージがあります

鈴木:これは自分の個人的な野望ですが、「モノ」を「モノそのもの」として扱った映画はないんですよね。例えば「トイストーリー」はオモチャの話ですが、人間のように言葉を話しますから、あれは「モノ」の話ではない。実は「モノ」は人間以上に、世の中に溢れている。自然もそうです。このカップだって(手元のカップを指して)自然の一部ですよ。人間も自然の中の一部ですけど、人間は少し違っていて、それらとは一線を引いている。「モノ」の側を脅かし、都合がいいように使う。でも、その「モノ」と「人間」が「平等になるような世界」を、映画の中で形作りたいな、と考えています。

ーー「YEAH」だけに限らず、前作の「丸」も同様?

鈴木:「丸」でも、そういう心が、考えがありました。「モノ」の方が圧倒的に人より長く生きます。また、人はその「モノ」に対し、いろんな「記憶」を持つ。例えばこのコップですが、もし最後に自分の父親が「このコップが・・・」と言って死ぬと、すごく「特別なコップ」になりますよね。

ーー監督にとって「人間」と「モノ」との関係とは?

鈴木:今は、人間中心の映画ばかりで、それは「フェアじゃない」と思います。

ーー映画の中でアコの友人のような「豆さん」が登場しますね

鈴木:アコは、精神が破綻して「モノ」としゃべっているのではありません。アコのように「モノ」は「自分たちと同じ」だと考える方が、実は普通の発想であり、「思考」としては健康的だと思うのです。でも、そういう人たちは社会から「排除」されてしまう。でも僕は、そんな発想を持っている人たちは、とてもイマジネーションがあってステキだと思う。

ーー監督の話を伺ってアコが「異常者」ではないと思いました。柳さんはご存知でしたか?


柳:映画を撮る前から監督とは知り合いでしたので、彼がどういうことを考えていたかは理解していました。私が迷っていたのは、それを「表現する」というのは、どういうことなんだろうと。アコが「特別」ではなく、そんな考えを持っている人たちが普通に生きている世界とは・・・。悩んでいた時に、撮影現場の団地で「その人」に出会ったんです。「その人」は花を持っていることが普通で、リボンをしてることが普通で、知らない人にもあいさつすることが普通・・・「その人」にとっては全部のことが「当たり前」なんだなって、ハッと気が付いた。監督が言っていることと、その街の雰囲気全てが合致した・・・それが撮影日でした。

ーー撮影には何日かかりましたか?

鈴木:3日間です。

ーーーここで、持ち時間の15分が終了。実は、もうひとつ聞いてみたいことがあった。アコが時々、口にしていた「あっちゃま」とは一体、何だったのか・・・。いずれにしても、もう一度「アコの目線」でこの映画を観てみると、監督の意図が、柳さんの演技がストンと落ちてくる。

自らに問いかけるように飄々(ひょうひょう)と応える鈴木監督と、シッカリとした口調で自分自身を分析する柳さん。ジャパン・ソサエティーの立派な館内ではなく、大工町の飲み屋街で、もう一度話を聞いてみたい。そうすれば「あっちゃま」も理解できるかもしれない。

YEAH

水戸在住の鈴木洋平監督が女優・柳英里紗と水戸で何かを一緒に作ろう、という事でタッグを組んだ作品。ニューヨークのNew Directors / New Films招待作品でもある前作『丸』(2015年)の制作スタッフと、水戸で新たに知り合った人たちの強力なバックアップの元に完成した異色作品。水戸のとある寂れた団地、そこに住んでいるらしい女の子がひとり。彼女は恋人と称する謎のマネキンを抱えている。そんな不思議な女の子が、帰る家がわからなくなり、団地をさまよう。

2018年|45分
監督:鈴木洋平
出演:柳英里紗、廣田朋菜
(Photo: YEAH © Yohei Suzuki)


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