姉妹のような関係となったシンディ(左)とマリオン |
3作目「Tales From the Topside World」 |
マリオン・ロウジューダスの名前を聞いたことがあるだろうか。シンディ・ローパーとデュエット、フェイスブックのファン数が6万人、過去8回のマンハッタンのコンサートは全てソールドアウト、と聞けば、彼女が成功を収めている人物だと言うことは容易に察しがつくだろう。
しかし、シンガーソングライターとしてのマリオンのスタートはかなり遅かった。
◇
楽器も弾けず、音楽教育を受けたことすらないマリオンが、本格的に音楽活動を始めたのは40歳の時。
ある夜、ソファでテレビを見ていた彼女は自作自演の女性に釘付けとなる。ソープオペラの挿入歌として有名になったポップソングを、実に味わい深く歌い上げる老シンガーを見て、マリオンは突然目覚めたかのように曲を書いてみようと決心する。
翌朝、誰でも簡単に和音(コード)が奏でられる楽器「Q コード(Q Chord)」を購入した彼女は夢中になって曲を書いた。初のオリジナル曲の誕生だった。
その後も次々に湧き出る旋律と歌詞、曲数はみるみるうちに増していく。
「40年間の沈黙が破られたのよ。体験した事や想いが、メロディーと歌詞になって溢れ出して止まらなかったわ。」
曲は増えたものの、音楽的評価すらできないマリオンは、知人を通してサイモン&ガーファンクルとの共演で知られるギタリスト、ラリー・ストルツマンに連絡し、意見を仰いだ。
まさかプロの演奏家が素人の曲を聞いてくれるとは思いもしなかったが、彼女のアプローチは正しく、マリオンの才能を瞬時に見抜いたラリーは、現在に至るまで重要なパートナーとなる。
ラリーにアルバム制作を強く薦められ、マリオンの気持ちは固まったが、その頃まだ幼少だった娘の育児と生活費を稼ぐ為の仕事の両立の中、アルバム制作費を貯めることや音楽の為の時間を作ることは容易ではなかった。
「スーパーでレジを待つ時も、娘が寝静まった深夜も、紙とペンを肌身離さず歌詞を書いたわ」と語る。彼女は一時も惜しむ事なく創作を続け、ついに2003年、デビューアルバム「Mother Wheel」を完成させた。
「仮に私が20歳の時に同じことをしても、今と同じ結果にはならなかったでしょうね。自尊心もなかったし、周りの批判にも耐えられなかったと思うから。でも40年の人生の豊富な経験があったからこそ、次に何をすべきかが明確だったの」
幸運の一言で片付けられそうな成功の数々も、実は40歳にして持ち備えた叡智による決断、行動力に起因しているものだったのだ。
ファーストアルバムは無事リリースされたが、その後に体験した初ステージは本人曰く「お粗末なものだった」らしい。
「舞台の上に立ったら、恐くて客席を直視できないのよ。だから帽子を深く被り終始目を閉じて歌ったわ」と苦笑いする。
しかし、そんな彼女の歌声に感銘を受ける人物が観客席にいた。シンディ・ローパーである。
以来、2人は姉妹のような関係となり、2008年の「Mary」でデュエットレコーディングが実現する。マリオンは大先輩のシンディを相手に全く引けを取らない情熱溢れる歌声で存在感を示した。
昨年には3作目となる殊玉の作品集 「Tales From the Topside World」 を発表した。
東日本大震災の直後、日本公演を敢行したシンディから日本の惨状を聞いたマリオンは日本への思いも強い。
「心が張り裂けそうだった。日本という国を抱きしめてあげたかったのよ。そういう意味でも、私のライブを日本人の人にもゼヒ見てもらいたい」とメッセージを送る。
言葉に生命を吹き込み、物語を旋律に乗せるシンガーソングライター、マリオン・ロウジューダス。彼女の不惑の入魂ライブを、是非とも体験して欲しい。
(河野洋)
Marion LoGuidice
1月26日(土) 7:00pm
会場:Joe's Pub
425 Lafayette St.
212-967-7555
$15
www.joespub.com |