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Vol.239:2014年10月3日号
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 よみタイムについて
河野洋: 名古屋市生まれ。12歳でロックに目覚め、ギター、バンド活動を始める。89年米国横断、欧州縦断のひとり旅の後、92年NYに移住。03年ソロアルバムのリリースと同時にレコード会社、Mar Creation, Inc.を設立。現在は会社では、アーティストマネジメント、PR、音楽、映像制作などエンターテイメントに関連するサービスを提供するかたわら、「NY Japan CineFest」「j-Summit New York」などのイベントをプロデュース。その他にも、エイズ、3.11震災後の日本復興に関わるチャリティイベントや、平和、社会、環境問題などをテーマにしたプロジェクトにも積極的に取組んでいる。
ウェブサイト : www.marcreation.com / メール: contact@marcreation.com
「オンガク喫茶」のこぼれ話はブログ「ゼロからのレコードレーベル」

よみタイムVol.239 2014年10月3日発行号

「音楽があるから今の自分がいる」
ジャズトランペッター
大野 俊三



 如何に素晴らしい演奏家も一人の人間だ。大きな病気や怪我をすれば音楽生命が危ぶまれる。ジャズトランペッターの大野俊三は、2度のグラミー賞受賞など輝かしい功績を残しているが、その裏では、自動車事故、扁桃癌というミュージシャンとしては悪夢のようなどん底も味わった。

 岐阜県に生まれた大野は13歳で音楽に目覚める。正式な音楽教育を受けたことはなかったが、若さと情熱が彼を一心不乱にし、ミュージシャンとして成長させた。ライブハウス、ラジオ、テレビ、音楽があるところ、先輩のミュージシャンの演奏が聞けるところで、全ての時間を費やし全身全霊を傾けた。19歳にはプロのトランペッターとして名を轟かせる。
 ジャズに没頭する毎日が続く1974年。そんな大野に思いがけない招待状が届く。それは、巨匠アート・ブレイキーからのジャズのメッカ、ニューヨークへの直々の誘いだった。
 当時、ジャズ・ミュージシャンには安定した生活などなかったが、ジャズの本場で腕に磨きをかける大野にとっては夢のような毎日だった。
 アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーとの活動。3年にわたるノーマン・コナーズのワールド・ツアーへの参加、そして大野が参加したアルバムはミリオン・セラーとなり、シングルもゴールド・ディスクを獲得した。
 1984年になると大野をフィーチャーした「マチート・アンド・ヒズ・サルサ・ビッグ・バンド」がグラミー賞を受賞。1988年には83年から参加していたギル・エヴァンス・オーケストラのアルバム「ライブ・アット・スウィート・ベイジル」で、大野自身にとって2度目となるグラミー賞を受賞する。
 「トラディショナル・ジャズのアート・ブレイキー、クールジャズ、コンテンポラリージャズのギル・エバンス、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、そして、ラテンジャズのマチート。そんなジャズの達人たちと出逢い、一緒に演奏できたことは僕にとって宝物です。ただ、その当時その貴重さは実は理解できていませんでした。それは、もっと学びたい、もっと演奏したい、そんなことだけを考えていたからです」
 トランペッター、作曲家、アレンジャーとして、成功と栄光の道を歩み続けていた大野だったが、この後、2度にわたる人生の一大試練が彼を待ち受ける。
 1988年、不慮の交通事故ではトランペッターにとってなくてはならない上唇の切断と前歯の破損、1996年には第四期扁桃癌により、顔面片側の唾液腺と神経の除去。これらの致命傷は大野の音楽活動に終止符を打つかと思われたが、不屈の精神と音楽への情熱は更に大野俊三を強靭にした。
 「自動車事故と癌の治療の後、クラシックとジャズの両方の分野のトランペット奏者や交響楽団の先生たちに助けを求めましたが、こうした大きな事故や病気を経験した演奏者の前例がない為、誰一人リハビリの指導ができませんでした。その為、再びトランペットの音を出す為に自分なりのアプローチを見つけ出さなければなりませんでした」
 決して諦めることのない大野は、試行錯誤と研究の連続の結果、やがて独自の奏法を見つけ、個性あるトランペット・サウンドを作り出すことに成功し、見事に復活を遂げる。
 2013年、世界最大規模の国際作曲コンペティション(International Songwriting Contest)で、大野俊三はオリジナル曲「MUSASHI」で日本人としてもジャズ部門の曲としても、同コンペ史上初となる最優秀曲賞を受賞した。前人未到の快挙だ。
 「ニューヨークは素晴らしいチャンスを与え続けてくれます。右も左も判らないまま日本からやって来て、異ジャンルのアーティストとも仲良くなりましたが、一時期、極度の孤独感と喪失感に襲われました。ここは刺激的な街ですが自分を見失う可能性がある場所でもあるのです。でも僕たち一人一人の挑戦が新しい発見と力と夢を生み出し、より良い人間にしてくれる。みんなが、共に参加し、繋がり、希望やヴィジョンを共有することで、自然な形でより良い社会を育み、成長することができると思います」

 「音楽があるから今の自分がいる」
 絶望の淵に立っても、決して諦めず、不可能を可能にする、不屈の精神。現代の宮本武蔵がステージに立つ時、大野俊三のトランペットが優しさに包まれた勇気を与えてくれる。
(河野洋)

大野俊三 Shunzo Ohno
■10月17日(金)9:30pm
■会場:The Cutting Room
 44 E. 32nd St.
■Tel: 212-691-1900
■$20(前売)/$25(当日)
thecuttingroomnyc.com