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よみタイムVol.147 2010年12月3日発行号

 [其の3]

チンさんのベースに魅了される理由

 東京に着いたとたんに、ニューヨーク稲門会でいっしょだった吉井栄さんに、チンさんのコンサートにいかない? と誘われた。チンさんは、早稲田 大学のジャズ研にいたベーシストであり、作曲家・鈴木良雄で、華奢で長身な身体よりもっと背の高いベースと寄り添った姿がなじまれている。吉井さん は、窓ごしに東京タワーと向かい合って仕事をしている金融マンで、80年代にニューヨークに住んでいたころ、やはりニューヨークで演奏活動をして いた同窓のチ_ンさんに出会い、以来熱心なファンになっている。
 場所は、早稲田の高田馬場。吉井さんと汗だくで探した会場は、思わず見過ごしそうになるような入り口の小さい地下室だった。
 閉ざされたドアをノックすると、おばさん風な女性が顔だけのぞかせて、まだ早すぎるから向かいのコーヒーショップで1時間ほど時間をつぶしてき てちょうだい、ということだった。ぴしゃりと閉まるドア。私たちはすごすごとまた地上に這い上がり、言われたとおりにコーヒーを飲んで時間をつぶ した。
 1時間後、再び地下室に行くと、今度は溢れるような熱気。びっしりつまれた家具や本などの谷間に細長いテーブルがひとつあって、そのまわりの縁 台のような椅子に人がびっしりと座って、飲んだり歓談したりしている。座りきれない人は、立ったり、よっかかったりしている。全員なごや かに話しこむさまは、いつも顔をあわせる常連に違いなかった。異質な私たちは皆にゆずられ、いい席を空けてもらった。
 ジャズより先に、テーブルの上に飲み物、肉じゃがや漬け物のような家庭料理が次々に登場する。ミュージシャンは3人。彼らも飲み、食べる。やが て隙間を見つけて演奏が始まる。飲み食いしながらときには拍手や気合いを入れ、しっとりと聞き惚れ、すぐ隣や向かいで演奏されるピアノやベースや サックスを楽しんでいる、この家族のような人たち。誰かがトイレに行くときは、ベースが動いてドアを開ける。薄暗い電灯の下で、ここにいる人たち はつかの間の別世界に入りこみ、満ち足りてジャズに酔っているのだった。ここは、ジャズの秘密の隠れ家なのだろうか。
 何時だろう。突然帰りの電車が気になって、私は混雑から這い出た。入り口の所には、ちんさんがベースを持って立っていた。やっと外へ出ると驚いたことに、ドアの外に空席ができるのを待って立っている人がいた。
 この前、四谷の紀尾井町ホールであったチンさんのコンサートでは、5人のピアニストが次々とチンさんとデュオをした。主役のチンさんは、終止 ベースの音を控えめに、5人のピアニストの個性を目立たせるように演奏していた。秋吉敏子も最後に登場し、チンさんのベースに支えられて愛らしい 少女のように楽しげにピアノを弾いた。
 私からはスノッブに見えたあの大コンサートホールの満員の観客たちにも、この小さな地下室のテーブル・コンサートの常連にも、共通しているの は、人の心をぐじゃぐじゃに溶かしてしまうジャズ、もっと言えばジャズプレイヤーたちの限りないやさしさへの憧れだろう。
 渡辺貞夫のアドバイスでピアノからベースに転向したあと、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズのレギュラーメンバーでもあったチンさんは、もともと抑圧されていたアメリカの黒人が生み出したジャズが、人の心にどう響くかを知り尽くしている。人の心に重く残る不安や恐れを音で払 いのけ、リラックスさせ、エネルギーを与えるすべを修得している。日本のジャズファンの広がりは、今やニューヨーク以上だという。ジャズクラブの 数は東京だけでも100軒を越えるそうだ。ジャズ研で一緒だったギターの増尾好秋とは今でも親友。今、ニューヨークにいる増尾と、新しい仕事をし ようとしている。
 あのバイオリンの鈴木メソッドの創始者、鈴木鎮一を伯父に持ち、幼いころからさまざまな楽器に親しんできたチンさんには、音を通してやらなけれ ばならないことが、まだまだある。
 今ほど、人々が心に響く音を聴きたがっている時代はないのだから。