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よみタイムVol.181 2012年5月4日発行号

 [其の18]

人間にとって祖国とはなんだろう

上映会場(JS)ですずき監督(右)と筆者

 第二次世界大戦で活躍した日系二世部隊の生き様を描いたすずきじゅんいち監督のドキュメンタリー「442」と「MIS」の2作を見て、人間にとって祖国とは何なのかと考えざるをえなかった。

 日本を捨て、異国のアメリカに移住し、そこの市民となり、家族を作り、人種的偏見に耐え、苦労しながらやっとアメリカ人として生活できるようになった時に、祖国日本とアメリカが戦争状態になる。真珠湾攻撃は、アメリカ人のプライドを傷つけ、日系人を「敵性外国人」とみなし、大統領令により、 東海岸の日系人12万人が、砂漠地帯の鉄条網に囲まれたキャンプに、囚人のように収容された。
 ハワイでは、対日戦用の軍隊に日系の兵士が含まれていることに違和感を持ったアメリカ軍は、はじめ敵性外人として除外した約1500人の日系兵士を再徴兵し、第100連隊とした。
 戦況が拡大し、キャンプに収容されている若い日系人にも志願兵の勧誘がきた。そして、日本と敵対してアメリカに忠誠を誓うかどうかの質問状もきた。
 「これはアメリカへの忠誠心を示す絶好の機会だ」と考えた若者たちは、志願した。差
別を受けている日系人部隊442に志願する息子たちを、キャンプに残る親たちは「しっかりやれよ」と、励ました。一世の父たちが、二世世代に教えたのは、「義務、我慢、恥、辛抱、努力、仕方がない、名誉」などだったという。
 記録的な戦死者と戦傷者を出した442部隊が持っていた根性の根源は、アメリカへの忠誠を証明し、人種差別に勝つための「サムライ精神」だった。

 第100連隊と442部隊は、ナチ・ドイツと戦うヨーロッパ戦線の最前線で、最も激しい死闘を繰り返し、ドイツの強制収容所に収容されているユダヤ人も救出して、連合軍を勝利に導いた。
 「猫一匹殺したって、それを忘れることはできないでしょう。日曜学校に通っていた若者が人を殺したら、それはひどいショックですよ。忘れられるものではない。でも、やった。自分の忠誠心を示すためですからね」と、腕を一本失ったイノウエ議員は語っている。
 記録的な数の戦死者と戦傷者をだした442部隊の戦勝パレードは、雨のためにキャンセルになったが、その忠誠心はトルーマン大統領に認められ、「あなたがたは戦闘に勝っただけでなく差別にも勝った」と宣言された。これこそ442部隊の目的だった。だがこの戦争をしてよかったかどうかは、終わってみれば別問題だった。戦友の悲惨な最後を語る老いた元兵士の苦しげな回想などにうかがえる戦争そのものの想像を絶する悲惨さに、胸が傷まずにはいられない。
 帰米と呼ばれる二世がいた。アメリカ生まれだが日本で教育を受けて再渡米した人たちで、日本語が解るために、米軍の諜報機関にMISとして使われ、捕虜の日本軍兵士の尋問などにあたった。日本語を話す日系人の米兵に、捕虜の日本兵たちが心を開き、情報をとられる。山本五十六元帥の秘密の渡米スケジュールもレイテやサイパンの作戦の情報もすべてとられ、日本を敗北させるのに役立った。日本兵には、軍人精神はあっても情報に対する認識はなかった。日本軍にもなかったろう。
 広大な緑の墓地に並ぶ戦友たちの、無数の白い十字架の列に向かって敬礼する老いたヒーローたちの頬を伝う涙を見ていると、戦争とは、死と破壊と後悔と心の傷以外には何も生まないということが実感できる。たとえ勝っても、失ったものの大きさは計りしれない。そして、心や身体に負った傷は、生涯消えることはない。
 移民した国で差別され、戦争で忠誠心の証明をしようと、命がけで戦った日系人たちが、いま、アメリカ人として生きながら日本人のアイデンティティを持ち続け、どこかで日本を心の拠り所としているのを見ると、生まれ故郷をけっして忘れられない人間の心の深みにひそむ柔らかな秘密の部分をのぞく気がする。これはあらゆる民族に通じるものだろう。
 故国の山や川は、簡単に忘れられるものではない。